時間が無さすぎてブログがなかなか進まない。
進まない内に書きたいことが増えて、ますます書き上がらない。。
これはいったいなんていう呪いですか?
サブ垢に絵がぽこぽこ上がる割に、いっこうに更新されないブログサイドは、書きたいことが渋滞してるのに、脳みそがおっつかないナウでありんす。
ども、水無瀬さんの可愛いさのおかげで、落とした財布がその日のうちに帰ってきてハイはっぴー♪なオッサンであります。
気分は、ね。。
単純にオーバーワークなんだよなぁ……(ㅎ.ㅎ )ゞ
環境が変わっても同じであり続けるって難しいもんだな……。
例えばそうね、
他のアイドルさんに目移りするとかそんな気配は微塵も感じないですし、好きでい続けることは難しいどころか当たり前の域なのだけれど、一方で私みたいな人間がオタクであり続けることは難しいのかもしれないなぁ、と思うこの頃でもありまして。。
相も変わらず、毎日水無瀬さんのこと考えたりはしているし、何なら最近ようやっと水無瀬さんらしき人を夢でお見かけすることも出てきたのだけれど(最近寝起きをちゃんとしてないから夢が煩雑…)、定期的に水無瀬さん宛のツイートとかをするマメさは(もともと)ないし(目立つし…)、思いの丈を吠える機会も、そうそう無いでしょうから。。
そもそも、リプ欄に顔出す頻度も低いですからね、私(まぁ、そこは理由が違いますが… )。。
既にオタク感のメッキが禿げてきてやしないか心配だったりするのですよ。
今の私はプレイヤーでもクリエイターでもありません。ただの趣味の人です。趣味の人の上位互換がオタクだとして、その域に居られない私はやっぱり何者でもないナウなんだと思いまする。
能動的にオタクであれるほど、私のオタクレベルは高くないのですよ。。
思いはありますよ? いつだって。だけど、形に表さない思いは、あってもなくてもさして変わらんのよなぁと思ってしまうのが私の性分でして。。
そんな折だからこそ、他の方の描くイラストに励まされたりもするのです。
ヘラヘラ描き続けている反面、私の心中は常に複雑なのですよ。。
理由は簡単。捏ねくり回すから!(←そうだけど違う…)
同じ「水無瀬さんの絵を描く」ってことにしても、その意味するところが他の方と全く違うからです。
自分の「得意」で推しを楽しませたい、喜ばせたいっていう絵と、「描きたい」で描き続けているのは違うのですよ。
勿論私だって、根本を辿れば喜んでもらえる絵が描きたくて描いてる訳ですが、、「いつか」とか「どれか」なんて言葉を添えねば成立しないレベルのものですから、イコールで並べるわけにはいかんのです。。
まぁまず、「私の絵」ってなんやねん?ってレベルで指針がないですからね。わりと数描いてる気がするので、パターンや癖はだいぶ浮き彫りになってきてますけど、それでもたぶん、「らしさ」すら曖昧なまま~、な気がするのですよ。
別に「喜んでもらえない(泣)」的な悲観ではなく、「これでええんやろか、、」と常に思っているというお話です。
だからこそね。他人様の絵を見て感じるものは、他の方より多面的で、文字通り複雑だったりするのですよ。
絵を描くの好きーな人間は、だいたい絵を観るのも好きーです。好きな物、好きな人が描かれているなら尚のこと。だから、大前提としてウキャウキャします。
何より嬉しそうな推しちゃんの顔が浮かぶので、ハッピーな気分になるとです。
あと、実は感謝もあったりします。たぶん、私のスタンスは一角だから成り立ってるものがあるのです。色んな人が水無瀬さんを描いている中での片隅だからこそ、自由奔放なお絵描きができているとです。
「こんな奴もいる」と「こんなやつしかいない」は大違いですからね。もし、水無瀬さんのファンの中で、「描きたーい」って人間が一人しかいなかったら、ここまで奔放なお絵描きはしてなかっただろうなぁと思います(まぁそれでもきっと遅かれ早かれ描いてたとは思いますが)。
ちゃんと上手い人いてくれてほんとに良かったーと思うのですよ。たぶん、私一人だったら申し訳なさでもっと筆が重かったと思うのですよ。
そりゃ、私しかいなければ、私に来る喜びのウェイトが大きくなる可能性はあるかもしれませんが、そういう消去法的なイメージアップに意味はないと思ってますし、私みたいなタイプが「唯一」でのさばると、シンプルに鬱陶しいのです。(いや、ガヤでも鬱陶しさはありぬれど……規模がね、違うとですよ)
日陰者になるためには、太陽や月は必須です。だから、正に太陽みたいなお絵描きやさんがいてくれるのは、ありがたい限りなのですよ。
しかして一方で、スーンってなる自分もゼロじゃないから厄介でして、、上で言っている様な自覚があるからこそ、毎度凹みもするのです。
それは、私の中に「俺が俺が」も住み着いちゃってるが故……。まぁ、それを差っ引いても、そもそも根が負けず嫌いなのですよ。(←こっちがデカいな……)
競ってる意識は無いんですけどね…、毎回「ワオ」って思うし、感服と感嘆の嵐なのですが、ほぼ同時に「チクショウ」って気持ちも生まれちゃう畜生なのですよ、、私ってやつは。。
まぁ、山田さんや小栗さん見て「やるなぁ、チクショウ🤬」って思ってるような奴ですからね……。まぁ、この辺は私に限らず、夢追いするなら持って然る悔しさなんですが、、ド厚かましく格上相手でもガッツリ悔しいのですよ。
上手い下手は勿論ですけど、水無瀬さんを喜ばせる才能に嫉妬するとです。(まぁ、これは絵の話に限りませんがね)ちっさいなぁ、自分……と思いながら、「ぬぁ~っ」って、ちゃんと凹みよるのです。
だって、あんな素敵な絵描いてもらったら嬉しいもん、絶対!(←言い方がもはやガキ)
パッと見、相反する感情の葛藤に見えるかもしれないんですが、実はこの「絶賛」と「感謝」と「負けた感」が揃うと、ひとところに集約していくことがあるのです。
ちょっと違うんですが、だいぶ前に書いた推し愛の細分化~にて私、
一にthanks 二にrespect 三四が❤で 五にyell
ってなことを言ってたと思うのですよ。(まぁ、コピペなんで寸分違いなく言ってたんですが)
今となっては❤が三四に収まってくれるか怪しいところですが……問題はそこではなく、前半のふたつ。
……に、プラスアルファで「敵わない」という思いが加わると、客視点になってしまうのです。
分かりやすくする為に、更にド厚かましいこと添えときますと、私、芝居やってて完全に「敵わない」と思ったことはないのですよ。まぁ、総合点や技術で負けてるし、何より分かりやすく売れてる方に「勝ってる」と思うほどバカではありませんが、、完全にお客の気持ちになったことは無いのですよ。
完全なお客ポジになるとどうなるか、、というと、自分が受信モードになるため、表現をしなく~、、もとい出来なくなります。
勿論、発信~っていう意図で絵を書いてる訳じゃありませんが、ある程度から先のラインはやっぱり表現をしているわけで、牙が折れ切ってしまうと筆を取らなくなるもんなんです。
いい刺激~のライン通り越しちゃうとそうなります。私が若い頃に音楽から離れたのはそれが原因でしたしね。 元連れのセンスと嗅覚に当てられて、「一緒に」音楽をやることはあっても、自発的に曲とか作らなくなるのです。というか、「敵わない」と思ってる内面からでは曲が生まれて来ないのですよ。
これはたぶん、表現者だれしもがそうってわけじゃなく、私がそういうタイプだってことだと思うんですけどね。。
私は基本的に自分の作るもの好きーなんで、それより好きーが出てくると目的意識が停止する傾向にあるのですよ。(←自作の打ち込み曲がプレリスに入ってるタイプ)
まぁ、それ言っちゃうと水無瀬さんの場合、まずご本人が滅茶苦茶お絵描きのセンスあるので、お絵描きのハードルはもともと鬼高いのですが、、ふたつの理由で水無瀬さんの絵を見ても筆が止まることはありまてん。
一つ目は、そもそも私、水無瀬さんのお客さんですから、水無瀬さんの絵はどんなに素敵でも水無瀬さんの魅力として変換されるのです。(ぁ、でも、悔しいと思うことはあるなぁ…←そういうとこだよ…)
二つ目は、どうも私、このお絵描きをお絵描きと認識してない感がありまして(考えというよりは感覚的なお話です)、、
あんだけ自由奔放に描いててなんなんですが、どこまでも「ファンアート」っていうひとつのジャンルと言いますか、あくまでも思いの形~なんですよね。(あれでも……)
だから、水無瀬さんご自身が自分の絵を描いていても、比較対象にはならないのですよ、不思議と。
たぶん一番大きいのは「水無瀬さんを喜ばせる絵」ってとこなんだと思います。
まぁ俳優のくだりで解ると思いますが、「負けた」の尺度に技量はあまり関係ないのですよ。そもそも勝ち負けの話じゃないのは重々承知なんですが、、無意識レベルの衝動のお話で、お客モード入っちゃうと描くより見たい!になっちゃうんですよね。
だから、唐突に絵が描けなくなっちゃったりします。
まぁ、これは今回に限った話でも特定の誰かにだけ起こるわけでもなく、わりとしょっちゅう陥りますし、切り替えられてるから描き続けているわけですが、一時的にズーンってなるのは反射なのでなかなかゼロにもならないもんでして。。。
青いというか若いというか(同じだ)苦いというか渋いというか、、本人としても残念な感覚なわけですよ。
五分の一くらいの残念な感情なわけですよ。
そんな私を知ってか知らずか、水無瀬さんってばほんと凄い拾い方してくれるのですよ(涙目)
水無瀬さんのファボは時折トリッキーなんですが、だからこそ撃ち抜かれるのですよね。
ファボリツにファボがきたのには正直驚きましたし、泣くほど嬉しかったです。(これで違ったら違う意味でもっかい泣きます←)
他意しかないファボって解るタイミングに解る形でくれるから、「ファーっ」ってなるのです。
以前にも、「ありがとうナウ」を過去ツイへのファボで伝えてくれたり~みたいなパターンありましたが、そりゃ「好き!」ってなりますりゅ。
他の人へのファボにファボ来た~ってパターンは初めてでしたし(本来そんな機能ないですから)、詳細を「」書きで記せるほど完璧に意味合いが拾えるてる自信はありませんが、なんとなく伝わりますし、嬉しさしかないのは変わらんのですよ。
一応、誤解のないように言っておきますが、「複雑な思い」でファボリツしてるわけではなかですよ?そこは純粋に「素敵っ!」の「いいね」です。
だからこそ、勝手に疼いた方の感情にドストライクに沁みたのですよ。ぴえんだったのですよ。(←絶対ぴえんの使い方ちがう)
なんかたぶん、自分のツイにファボもらった時よりも(いや、具体的には自分のツイになんですが…そういうこっちゃなく)嬉しかったりするのです。
ホッとしたというか、ざわつきがスっと抜けよったのですよ。
もしかしたら、ざわついたままの方が反動で上手くなる可能性もあるのですが、そもそもがお絵描き屋さんではないので、平穏に越したことないのです。
そんなわけで、相も変わらず「ありがとう」と「好き」で深呼吸が出来たのでありますた。
最近、(時間無さすぎて)ブログの方がおっつかなくてTwitterに絵を貼るマンに逆戻りしてますが、、まだまだコツコツ描いてまいりまする。
まぁ、こういう話をすると能動的な感じもしなくはないですが、このブログの体裁はあくまでも独り言~ですので、ネト引き(←意味違う)な受動オタだと自分では思っておるのです、、
受動なオタクにしかなれないからこそ、願わくばずっとプレイヤーでいて欲しい、と……切に願っておったりするのです。。だからこそ、水無瀬さんの零していた「プレイヤーでありたい」という渇望が、嬉しかったりするのです。
けして楽な道ではないから、「プレイヤーであり続けて!」なんて私の口がいくら裂けても言えないけれど、、だからこそ、望んでくれてありがとう、と、心から思います。
その願いがなければ、何一つ動きはしませんから。
あくまで拾える範囲~の情報から察するに、水無瀬さんが動き始めたのは悪友の後押しがあってのことだとか。
もうほんと、、水無瀬さんに期待を寄せる世界であってくれて、ありがとうございます。の気持ちなう。
でもそれはきっと、、いや絶対、水無瀬さんがそうあるべき人だからなのですよ。
きっかけ一つ取っても、そうあって欲しいと誰かが願うから生まれるものだし、きっかけを広げるには引力が必要ですから。
先日のツイートも繋がるのだとすれば、チームのトップが水無瀬さんなのかしら? だとすれば、より強力な引力が要りまする。
チームの場合、誰か一人の引力で動くわけではありませんが、トップの引力がそのまま機動力になることは言わずもがなでして、、私自身はそのポジションからの影響力が足りなくて、何度も自作のルートを絶たれてきた人間ですので、、
水無瀬さんの引力が、また一つ新しい歯車を引き寄せたのだなぁ、と、感慨深く拝見してます。
実際は引力というよりは磁力なんですけどね。強い磁力は人を集めもしますが、弾き飛ばしもします。だから、全てを繋ぐ鉄板役も必要だったりするんですが、、表現者集団は磁力屋さんが多いから、弾く時はとことん弾いちゃうんですよね……(遠い目)
水無瀬さんも、まあまず間違いなく磁力タイプでしょうね。
例え話なので当たり前なんですが、この磁力に厳密なSやNといった極振りはありません。一度引き合った状態から弾くこともあれば、逆も然りです。
相手の磁力お構いなしに誰でも引き付けちゃうタイプの人もいます。そういう意味では引力の方が近いかもしれませんが、そもそもこの磁力にはオンオフがありますので……。
つまるところ、マグネットタイプの磁石ではなく、電磁コイルなわけです。
強力なコイルたちが集うと、そこには磁場が生まれます。
「プレイヤーとしての制作」、、なんて言葉を水無瀬さんが使ってらっしゃいましたが、要はこの磁場の有り様なのです。
隔離施設で電磁波の実験を行っても何かを引き付けたり弾いたりすることはありません。クリエイターさんというのはわりかしこのタイプの方が多く、磁力を結晶化した作品を世に送り出すことで人を惹き付けます。
そのクリエイターが商品としてでしゃばるというのは、すなわっち、車工場の塗装工がディーラーのショーケース前に「人力車始めました!」と看板を並べるようなもの……。(うん、この例えいらねーな)
それをちゃんとやるのであれば、ちゃんと商品を売るためのしかけである必要があります。。が、、作り手が出しゃばって商品がよく見える~なんてケースはわりと稀なのです。。(そのわりに滅茶苦茶多いですけどね)
本来ならば、磁力を「商品」に注ぎ込んでいるので、ご本人の磁力は商品に劣る……のが普通です。
劣らない人でも、まぁ商品の前に自分が立つようなことはあまりせんのです。つまりは、これが「商品になるな」の心理です。
クリエイターと括りましたが、これはプロデュースやマネージメントなんかも含む広義の作り手全般に言えることです。
そんな自分スポットなスタンスを、相乗効果が生まれるレベルの「両方売る」スタンスにまで昇華させるには、相応の見せ方と、作品の倍以上の磁力がプレイヤーサイドに必要になります。
そもそも、だから従来はわりと分業されとったのですよ。作り手がいて、それを発信するプレイヤーがいる。各々磁力の使い道が違うのです。
従来は、ね。(今はもうその辺の線引きがよく分からないからなぁ)
しかして、確かに「見せ方」は大事ですが、別に 見せようとしなくても人を魅了するクリエイターというのがたまにおりましてん。作ってる様が商品になるクリエイター、、そうそう、ノッポさんやワクワクさんの話です。(←おしいけど全然違う)
ただ、私このタイプの「自然と魅せちゃう」クリエイターさんで、表に出たがる人をあまり知りません……。
たいてい、作品にとって「自分が邪魔」という理由で引っ込んじゃうイメージがあります。さっき言った「商品の前に自分が立たない」ってやつですな。自分が見栄えするからこそ、かえって邪魔になるのです。
この手の人たちは、別にプレイヤー意識はありません。人によってはとことんまで自分を消します。中にはニーズに合わせて小器用にプレイヤーに転身する人もいますが、「喜んで~」って人はあまりいません。(「喜んで~」って人はそもそもがプレイヤー気質なんで、、このタイプに分類しないってだけですが)
では、問題の「プレイヤーとしての制作」とは、、というお話なのですが、、
いくつかパターンがあります。
一番多いのは、そもそもがプレイヤーだから自分のプレイする作品を制作する~、というパターン。代表的なのはシンガーソングライター とか、バンドとかですね。演劇界でも、作演、や制作を兼任するプレイヤーはおりますが、商業的に「大きく」なっても両立が見受けられるベーシックなジャンルは、「音楽」と「お笑い」だけな気がします。
唐突に「お笑い」を並べちゃいましたが、、
自給自足が基本っていう、プレイヤーの中でも特殊な職業ですからね。
表現のベクトルには「娯楽」と「芸術」の二方向があるわけですが、「お笑い」は娯楽特化のエキスパートプレイヤーですから。「笑い」は制作だけでもプレイだけでも難しいので、笑いのトップアスリートは本当に凄いです。
面白いが正義の世界は嫌いだけど、面白くなりたいとは思う。(←しょっちゅう言ってる)
お気づきだと思いますが、、今や「面白い」は権力ですからね。。権力である以上、時として暴力にも化ける厄介な代物なのです。だから嫌い。そんな嫌いなものに縋りたくはないんですけど、面白い人物にはなりたい。。
少なくとも私の幼い時分には、「ギャグセン」なんて言葉は無かったし、人を測る指針として、「面白さ」に今程の重きはありませんでしたよ。
この「面白い」に interesting まで含めると、もはや「面白い」は世界最強になります。
多勢に無勢、炎上商法、自作自演、、、
集団心理を「面白い」で絡めとった人間がのし上がっていくネット社会。
「是」か「非」かは数字には現れず、ただ「面白い」か否か。
一応、善悪の線引きで「これやっちゃダメーっ!」っていう悪のボーダーは引いてありますが、、
そっから先は、見せ方も思想も、ぜーんぶひっくるめた「面白い」が勝つシステム。
だーから、ネトウヨ減らんし、クソリプおじも健在だし、誹謗中傷、公開処刑、晒し、炎上、ネットリンチ……みたいのが、無くならんのです。
ってか、無くなるわきゃないのですよ。それ自体が「盛り上がる」「面白い」と、誰もが知ってるわけだから……。
大炎上の只中、便乗リプで屁理屈捏ねてる連中をため息混じりに眺めてるのだって、日常ツイや飯テロなんかを眺めるよりは幾分面白みがあるからですしね。。
まぁ、あれは「言ってる側」が楽しんでる~のがメインで、そのネタ元である幹(要はエサ)が面白いって話ですが。。(この場合、笑えるって意味とは限りませんが)
いい加減、その嗜好が思考を侵食する危険性への「シグナル」の方が浸透しても良い頃合だと思うのですが…。
他者の承認を数値化してしまった現在の数字依存は、金に支配された資本主義より厄介ですなぁ。(って、借金から爆逃げしてる過去タイプの人間が憂いているという高度な自虐ネタよ、コレ。←止めろ)
踊る阿呆と踊らぬ阿呆、しかしてその二択じゃなく「踊らせる」人間が生まれているのは、資本のシステムと変わらないと言いますか、結局資本に絡め取られて人間に勝手なランク振りをするシステムがバイアスブーストしてる感が、ね。。嫌な時代やわ~、、とw (←この辺はわりと他人事)
そんな私は、Netflix の 「F♡LL♡WERS」がちょっと気になるお年頃。(「全裸監督」は、ウォーリーくんで二、三回紛れ込んでるのであまり見る気がしないですし……。)実写をじっくり観る時間を割けないので保留にしちゃってますけどね。(←アニメのラジオ視聴ばっか捗る)
まぁそもそも「嫌な時代」とか、、カミツキガメが何言ってんだって話ですけどね。。。
私は表舞台で暴れる気はありませんし、本当は誰かの駒や盾として火を噴くのが本望なガメラなのです。。カメラの前の作り物ならいざしらず、他人に牙を向いた分だけ自分の道を切り開く武器は磨り減りますから…。何でも噛み千切れるような立派な牙をお持ちの方々なら話は違いますが、私の貧相な牙はもう何度もへし折れ継ぎ接ぎだらけですから。。
政治や情勢に物申すのは、問われた時だけでええやん?と。(←選挙の勧誘とかはバッチバチにぶった斬るタイプ)
まぁ、日本はさっさと旗下ろして、国債ごと国家売却したらええのに…なんて、あまり大きな声では言えませんしね(๑>•̀๑)テヘペロ ←敵しか生まないタイプの思想持ち。
まぁ思想は危なっかしいですが、私は自身の思想を振りかざす様な思想家プレイは好みませんので、沼に沈めてパーツに変換しよ~、と、芸の肥やし位にしか思っとらんのですよ。
自身の思想を細分化したパーツって、組み直してみると、意外と感情的で、生き方を彩る「考え方」の基礎パーツになったりするんですよね~。
ま、この脱線は遠出すぎるから止めときませう。
言いたいことを言えない~&言わない!の核の部分をここで言い始めたら、いくら自由なブログとはいえ私の(薄っぺら~い)モラルに反しますからね。
時事ネタは必ず批判を孕みます、、が、それは面を見せて自分も槍玉に上がって初めて許される行為だと思ってますし、ね。
ベーシックなジャンル~……と言ったのは、今はその辺の線引きがかなり複雑になってるからなんですよね。
まぁ、ここに来て下さる方々にはむしろお馴染み~なジャンルな気もしますが……。
「プロデュース」がプレイスタイルのプレイヤーさんや「V-tuber」界隈なんかは、かなり前に出るクリエイタースタイルが主流。。なんですが、、そもそも顔は出さないし、声を売ってるわけじゃない(いや、そういう人もいるけど)……かと思いきや、、中の人だけやるプレイヤー専任の方もいたり~で、非常にごちゃごちゃしとりますけん。
ただね、線引きが曖昧故に間口が広く、およそプロとは言えないプレイヤーも増えているのですよ。。いや、悪口というか素直な感想として「嘘でしょ?」ってプレイヤーさんも中にはおるのですよ。。
それは技術的な話に限らず……というか、むしろ思い入れや努力の指針にこそ首を傾げてしまうのです。
売れたいという願望も持たずにメディアに乗っかってた人間から見てそう思うんだからよっぽどです。。たぶん。
だけど、そういうプレイヤーにニーズがないかと言われればそうではなく、必ず客は付く時代。(まぁ、よっぽど酷けりゃ別ですが…)
言い方厭らしいですが、まぁ現実です。芸事がクォリティ勝負じゃなくなったのはだいぶ昔のお話ですが、それでも舞台に上がるための線引き…ボーダーラインがあったのですよ。。昔は。
しかしてこれは憂いや不満の類ではなく。。見てる分には面白いし、表現者としてプロじゃなくても、プレイヤーとして成立するご時世なんだなぁ……と。
結局、どんなスタイルだろうが数字を動かしたもん勝ち~っていうのは、もはや表現ではなくビジネスゲームやんなぁ……と感じたりもするのですけどね。。
私みたいにプロの端くれで数字一切動かさずにのほほんとやってた人間とは真逆ですよね。。
勿論、磨いた武器を掲げてそういう数字レースに参加してる人も沢山いますが……、表現の技量だけで数字伸ばす人は一握り……なんですよね。
そもそも各界のプロも参戦してますから、その中で数字を勝ちとる人たちは、立派なプレイヤー…なのかなぁ……。(←スパッとは言いきれない)
YouTuberとか、、人気があっても「流石にこれはプレイヤーじゃない……」って思う人けっこういますからね。。
数字ゲームの一角にプレイヤースタイルの人もいる……ってことなんでしょうな。。
私は数字ゲームには参加する気がないので、どの表現に手を出すとしても、そことは隔離されていたいですけどね。。
さてさて、「プレイヤーとしての制作」には、自給自足以外にもパターンがあるのですが……。
まぁ、脱線してる内にわりと触れちゃった感ありますね。ざっくり言えば多様化した故~ってやつです。
ただ私、「〇〇してみた」系のプレイスタイルに関しては、そもそもプレイなのか……? という線引きが解らなくて、あれこれ明言し難いのですよ。。
結果人気が出る人、売れる人、プロになっていく人がいるのが考えちゃう要因なんですが。。
「してみた」って、ステージを降りてる宣言な気がしてしまうんですよね。。
一方で角度を変えてみると、他者の作品をプレイしてみせるプレイ特化のスタンスに見えなくもないのですよ。
ただ私、その界隈の表現ってどうにも苦手なんですよね……。
「プレイヤーじゃないけど出来るよ~」っていうスタンスがあまり好きじゃないので、人前でプレイする以上はちゃんとプレイヤーとして立とうぜ? って思っちゃうんですよね。。
これは賛否くっそ割れると思うんですが……
私、岡〇体育さんのプレイスタイルがどーにも受け入れがたくって……。
いや、いいんですよ。あれもこれも上手いんで……器用なプレイヤーさん、、ってことで。
でも、、なんであの人前に出たんだろ。。なんで、死んだ魚のような眼をしてMVに映ってるんだろ。。なんで……って、なってしまうのですよ。
なんも…なんも伝わってこんのです。。
ただまぁ、上手いしよく出来ているし、面白いとも思うのですよ。。
しかして、あれは表現……なのか?
「表現のルーツは遊びである」という自らの主義主張をねじ曲げるような疑問で我ながら片腹痛いです。。
が、どーにもしっくり来ない。
「これくらいオレにも出来る」が作品化しただけのものに見えてならんのです。「〇〇してみた」の延長線上で作品作ってるような気がしてならんのです。。
あれはほんとに……なんなん?
出来てんだけど、全部なんか違うんだよ。。
プレイしたいだけのひとが作品作ると「オレを見ろ!」が前面に出過ぎる~って傾向にあるんですが、、彼のはそれとも違う。。
そういう顔だと言われりゃそれまでですが、、目に宿るものを軽くは見積もれませんからね。。ナメプならナメプなりのドヤ臭があるもんです。
まぁ、たぶん水無瀬さんがTwitterで言わんとしていた「プレイヤーとしての制作」っていうのは、その辺の線引きとはまた別物だと思うので、私の言い換え自体は的外れだと思うのですが……私がふつふつと感じていたものに近かったので便乗でボソボソ喋っとるとです。
結局、数字取りゲームのフィールドにいる以上、「売り方」は、多種多様。「お前は前に出るな」とは言えない時代なのです。。(そこに拘り持って裏方に徹する人は好きですけど、もはやそれは個人的な美学になっちゃいますからね…)
ただ、そういうズレた磁力を基盤に出来上がる作品って、「なんか違う」感が半端ないんですよね。。(あくまで超個人的な見解です)
ぁ、因みに……一応私にも磁力は働いておりました。
事務所以外からも、引き戻そう、とか、新しいきっかけを作ろうとしてくれる声掛けはあったのですよ。。
ただ、マジでお金がね……。
働き詰めでもやんわり赤字で火を吹き続けているので、とてもじゃないけど、プレイヤータイムは組み込めません。。ぶっちゃけ、オタクに戻れるのかも見通し立ってませんので。。
いえね、いきなりご指名のCMとか、、一口15万オーバーの仕事ならやりますけども。(←どんだけだよ)
まぁ、そんな美味しいカムバックは有り得ませんので、ある程度ベット出来るものが必要なのです。
それに、、「戻る」べきなのか、、本当に様子を見る時期なのです。。
どうもね、、私が離れてる間に、事務所が今更舞台に手を出しているようなのですよ。。(禁止してたのに……)
戻るのだとしたらタイミング逃したなぁ……とも思います。私の真価は、小劇場でこそ発揮されるというのに、そんなマストな動き出しを完全にスルーしたわけですからね。
ただ……、今、舞台はきっついですわ。。
どんなに良くても、まともな生活送れるレベルになるのにあと半年はかかりそうなので、そこにプラスアルファ乗せらんなきゃね……、動くに動けない。。
別に守りに入ってる訳じゃなく、ノーガードで特攻した後は傷が癒えるまで動けねぇってだけの話です。
いくら回復魔法使って生活を回しても、状態異常が治らんことには、燃費悪過ぎて街から一歩も出られない。。
そんな近況。
思い……に関しては、、Theオタクな日々においても、ろくに「伝える」ことをして来なかったなぁ、と、振り返っておりまする。
このブログがあったせいもあって、改まって思いを丁寧に伝えることってなかったなぁ、、と。
このブログとて、水無瀬さんのお話ばかりしているわけじゃありませんし(それは勿論わざとなんですが……)、「水無瀬さん宛」という形で書いてるわけじゃありませんから……手紙と同価値というわけには行かないことは、分かっているつもりなんですけどね。。
ただ、思いの丈を小出しにしてしまっている分、やっぱり手が紙へは伸びんとです。手紙だけにね(←うるせぇ)
ま、私、字ぃ汚いですしね。。
今思えば、水無瀬さん「手紙が一番嬉しい 」って言ってたのになぁ、、
(言った傍からゾワドル認定食らってましたけど。ゾワドル認定回ってことは、、初期も初期か……。私は傍観してた頃ですが、「一生会うことは無い相手だろうけど、応援の手紙くらいならいつか書いても良いかもなぁ~……」なんて思いながら聞いておりました。まぁ、直後、「いや、住所と本名を相手方の事務所宛に送るとか狂気の沙汰や……」と、セルフでツッコんだのですが……)
今思うと、、ね。
ぬるっとそういうお話忘れちゃってたなぁ~、と。
目の前やこれからへの意識が強いとそういうのすっぽり抜け落ちるんけど(←典型的な記念日とか忘れて怒られるタイプ)、ふと立ち止まると色々思い出すなぁと。
当時は「いや、本名は……」とか「いや、住所は……」ってマジで思ってたんですけども、、気付けばその辺の線引きガンガン踏み越えてましたからね。。
てゆか水無瀬さん、住所も名前もすぐ分かると言ってますたしね…(ㅎ.ㅎ )ゞ
年賀状って聞いて「ぁ」と、思ったけど、まさかまだ手元にあったとは!っていう衝撃でありんした。
いえね、勿論私個人としては、ああいうのめちゃくちゃ嬉しいんですよ。そもそも、年賀状企画はツアーのクジ特典ですし、滅茶苦茶忙しい頃合だったはずなので、誰に書いたのか覚えててくれたこと自体が嬉しいお話なわけでありまして、その時のメモ書きをポイしてないあたりも水無瀬さんらしいなぁ、と。
水無瀬さんは、ご自身のファンのことすごくよく知ってらっしゃいます。オタクのオタクなんじゃないかってくらい、色んなこと知ってます。ユキトモについて分からないことがあったら、水無瀬さんに聞いてみるのが一番早いんじゃないかってくらいです。
だから、オタクサイドも全力少年が多いんだろうなぁ、と。
最近もTwitterとか眺めてて、ふとそんなことが頭を過りましてん。オタクは基本的に池の鯉ですが、水無瀬さんの池の鯉は、よく跳ねます。そこに水無瀬さんがいれば、全力にならずにはいられない、、そんな人が集まっている……違うか、、水無瀬さんが全力にさせる人なのかもしれませんね。うむ、なんかそんな気がします。
トンネルの話はね、どっちかと言えば鼓膜がぶち抜けるレベルで耳が痛い話なのですよ。
人生で最もなりたくなかった自分ナウですからね。。
仕事しかしてない日々。しかも誰のためでもない、未来のためでもない、過去の自分の代わりにただただ働く生活。「生きることを目的にしない」という過去の自分との約束も反故にしかねない生き様に突入してるわけですから、。
それでも、まだ投げる気は無いですけどね。
例え話に便乗します。
トンネルは確かに落し物多いです。
ただ厳密には落としたのではなく影に奪われるのです。
トンネルで出会った影はトンネルを出る時に外の光に引き剥がされます。影に持っていかれたものは影と一緒に出口で引き剥がされるのです。
裏を返せば、トンネルを抜けない限りは傍にあります。影と向き合うことでいつでも取り返すことが出来るのです。だけどどの道、光の指す出口をくぐる時に必ず引き剥がされます。
前に進むというのはそういうこと…何かを得るというのはそういうことなのですよ。
彼ら自身はけして急ぎません。こちらの意識に敏感で、常に先手を取ってくるというだけです。
影に置き去られると感じることがあるのは自分自身の焦りや恐怖を影が写し取っているからなんですよね。私たちの方が彼らを急かしているのです。
私たちの歩かされるトンネルは、必ずしも一本道とは限りません。向かう出口や歩き方によって影の奪うものも変わってきます。
というのも、奴らが奪っていくのは駄賃なのですよ。
影はあれでも案内人の役割をしているのです。
最短で真っ直ぐ一直線に案内をさせれば、それだけ大きく沢山のものを持っていかれます。これはわりとルールめいたものです。だから多分、響ちゃんはいっぱい持ってかれるでしょう。それだけ多くを得てるでしょうけどね。。
まぁ、裏技や抜け道も沢山ありますし、駄賃を値切る術もあります。それでも必ず何かは代償に奪われます。それが影と共にトンネルを抜ける時のルールですから。。
ただ大事なのは、影が持っていっただけなので失くしたわけではないということです。
ん~、正確に言うと「消え失せた」のではなく、「手放した」のだということ。
言葉ってのはよく出来ています。
取り返しのつかないこと以外は概ね取り返せるのですよ。
ま、一見するとどれも取り返しつかないんですけどね。見えるところにはもう無いですから。。
手元から離れるのは事実ですし、トンネル内に置き去られるわけでもありませんから、まあ「失った」と言っても別に過言ではないです。
改めてトンネルに入ったとして、その時ついてまわる影は引き剥がされた影とは別のヤツです。
だから、同じ道をなぞってみたところで見つかりません。なんなら、新たに別のものを持ってかれます。
……が、、失くしたと思ってるものはそこに無いだけで、たいてい「どこか」にあります。
「どこか」がどこかって、そりゃ勿論「沼」に……必ずあります。影は沼の住人ですから。
また「沼」かよ……と。
すみません、沼人なもんで……大概はそこに集約していくのです。。
私は「沼」と呼びますが、、一般的には「闇」として表すことが多いでしょう。
私の言う「沼」は、厳密には色んな概念の集合体ですから、見かけより多くを内包しておるのです。
ただひとつ言えるのは、全ての「闇」は沼の一部です。
影と一緒に引き剥がされたものは、沼で影に会えば返してくれます。会えればですけどね。
ふたつポイントがあります。
ひとつは、影のシルエットを目に焼き付けておくこと。
影はじーっと見ていると瞼の裏に焼き付きますよね。「影送り」の要領です。(分からない方は「ちいちゃんのかげおくり」を読んでやってみて下さい←)
比喩的すぎるので、もうちょっと具体的に言うと、その時の自分の有り様を客観的に見てなるべく覚えておくということです。
影はどこまでいっても影、自分の姿を写す存在です。鏡の無いトンネルで己が姿を視認するためには、歪んだ影を読みとかなくてはいけません。そのためにも、よく見ておくことです。
もうひとつは、何かを持ってかれる時に、それが何かを知っておくことです。
これは、先の「値切り」にも繋がるものですが、影が何を持っていこうとしているのか注意深く見ること。
まぁ見てても解らないこともありますが、影がその内に何を抱え込んでいるのかをよく見ておくことです。
自分の輪郭の写しである影でも、内包するものは大きく違います。その違うものの中に、自分の失いたくないものが紛れ込んでいないかよく見ることです。
そもそも影は、道中の闇を担ってくれています。不安や焦り恐怖なんかを、ある程度肩代わりしてくれているのです。その点はトンネル専門の連中も、日光専任の奴らも同じです。
影は闇持ち故に不気味なのですよ。。
ただまぁ、トンネル専門の奴らは、日中のヤツらより抱える闇の量が多いですから、その存在感もまた闇に寄ります。
光が強いほど闇は濃くなるという表現がありますが、まぁあれもひとつの正解です。矛盾してるようですが実はそうではなく、濃い闇はハッキリと輪郭を持ちその内を一切見せませんし、闇の内にあるものも外に出たがりません。境界がはっきりしているので、滅多なことでこちら側のものがすり抜けることはありません。
何かを得る代償を闇に支払うとしても、それは意志を持って決断してのこと、「捨てる」と言った方が近い「選択」なのです。
一方で、境界の曖昧なトンネルの影は、こちらの無意識の内に代償を写し取ってしまいます。
だから、「それを渡すつもりはない!」と、はっきり意識することで取り返せます。
トンネルを出る前であれば、大抵のものは返してくれまする。
中には、それを持ったままではトンネルを抜けられないものもあります。そういうものに関しては、濃い影の時と同じで選択するしかありません。単純な話、手放したくないものと出口の先にあるものを天秤にかけるのです。
ただね、あれもこれも全部拾って前に進み続けると荷物いっぱいで歩けなくなりますし、両手に相反するものを握りしめているとかえって迷子になるので、ある程度くれてやることも大事なのですよ。
ほんでもって私が言いたいのはそういうこっちゃなく、、なくなったように思うものも案外取り戻せるもんだから、恐れず進んで良いんだということ。
大事なもんなら取り返せば良いのです。
そしてそれは、失くった、と、感じてからでも遅くないもんだったりするのですよ。
だから、「あれ、、なんか失くしたかも……」と思っても引き返す必要は無いのですよ。
(あ、財布は別です)
とは言え、いつ手放したのか……というより、どんな状況で手放したのか~、そもそもそれはなんだったのか~が解らないと、探すのも一苦労です。
まぁずーっと沼をフラフラしていると、思いもよらないタイミングで出会って「あれ、おまえ……ちょ、待てコラ、持ち物見せろ!」みたいなこともありますが、流石に稀ですし、そんな偶然を期待してウロウロするには沼は広すぎます。時間だって食い潰しますしね。。
ただ、必ずどっかにはあるのです。
ピングドラムはくるくる回るのですよ。
ただし、対外的なものや時に纏わるものは、そこにはありません。影の仕業ではなく本当に失くしてしまったものだからです。でもそれは、失くした……というよりは、過ぎ去って行ったもので、、遅かれ早かれ~なお話です。
ある意味ではオタクもひとつのトンネルなんですけどね。。中で色んな人に会えますが、一方で、どこまでも個であり孤独です。
初期の私からしてみれば、「随分遠くまで来たもんだ」……否、「随分と足を踏み入れたもんだ」と言ったところでしょうか。
私のくぐった入口には「( 'ω'o[ 立入禁止 ]o」って看板が立ってたんですけどね……有刺鉄線乗り越えて入り込んじゃいましたから。
コレに関しては本気で頭上がらないというか、水無瀬さんに感謝しかない所なのですよ。
ただ「ファンです!」で留まらず、色々出過ぎた真似をしてきてしまいましたからね。。水無瀬さんサイドから「クレーム」という形で動かれた場合、私のクビ一つで収まる話じゃなくなっていたとですよ。。
ルールを破っている以上、「最悪クビはいたしかたない」という覚悟は最初からありましたが……(無論、覚悟があっても最大限の悪足掻きはしてましたけどね)、「おたくの所属のお行儀が……」って話に発展すると、マジで洒落になりませんでしたからね。。
こんなんでも、ちっぽけな事務所の看板背負ってたエースの一角なので、いざってなってたら詫びも一入だったのですよ。。
ただまぁ、オタク期間中にがっつりポジションを落としましたんで、後半の私であればサクッとしっぽ切りされてたと思いますけどね。(←会合や試写会の出席率がガタ落ちしてた奴)
それでも、気にせず突き進んできたのは、その生き様を私が良しとしたからで、トカゲのしっぽに些か嫌気が差したから。
私は「何者であるか」よりも、私が私らしくあれることに重きを置きますから。
そりゃ、思いも募ります。
しかして手紙かぁ、、改めて考えるとやはりなかなか難易度高いですね。
別物とはいえ、やはりブログにいろんな思いを書き出しちゃってますからね。。
勿論、お手紙でまで屁理屈捏ねくる気は無いんですが……だからこそ、シンプルに思いだけ綴ると、もはやただのラブレターにならん?? しかも、 3文字で終わるんけど……と。
もしくは、感謝状になるのかしら。。ただ、あんまり堅苦しい文も書きたくないですよね……。
みんな、いったいどんなファンレターを書いているんだろう。。(←書いたことないからピンと来ない)
実はもはやラブレターな人も混ざってたりするのかしら、ね。。
書いてみようかしら、と、筆を取る前に、ぼんやりシュミレーションしてみたのですが……、撃沈。
「大好き」 以外の何を書いたものか……、考えすぎた挙句、ポエってそうで怖いです。。
これは当たり前なんですが、、水無瀬さんに届く前に必ず一度開封されますからね。。
そこは、Theファンレターであって欲しい。。が、、そのファンレターらしいファンレターの実態が分からにゃい……。
まぁでも、、私にはこれくらいがちょうど良かったのかもしれませんね。解りませんが。。
後に残るものは素敵だわって無感情に言ってたのは誰だったかしらね。私は、私自身が通り過ぎるものであることを自覚すべきなのです。
この「通り過ぎる」は、相対的な意味合いで、私がすたこら先に進むわけではありませぬ。
むしろみんなが足並み揃えてトンネルを抜ける頃合に、私はまだ影と遊んでおりますゆえ……。私も影もいずれは沼に帰る者ですからね。
もうひとつ、大事なことを添えておきます。トンネルを嫌って早抜けしてもトンネルを好んで長居しても、結局出る時に影に代償は支払います。なんなら、長居しすぎるとかえって色々持ってかれます。
だから、振り返らずに進んで良いものなのですよ。
ってか、振り返っても影と遊んでる私がいるだけです。
ね、振り返る価値無いでしょ?(←)
ま、手紙に関しては絵を添えて~……ってのも考えなくはなかったんですが……
一発描きの直筆絵は、今までさんざん失敗してますからね~(←メセカとかに下描きなしで一発勝負するから)
はてさて、そんなお絵描きなんですが、、
今回はSSRなゆきちゃん!(毎度のTwitter時差)
まーたなんでカードだよっていうのはわりと単純な理由で、、カード枠という素材があったので、使ってみました~ってだけだったりするんですが、、まぁそれを差っ引いても、また随分とはみ出したわね、と。
ファンタジックなゆきちゃん……というより……服を描きたかったのだけれど……服飾のデザインセンス、ほんとないなぁ。。
「ランウェイで~…」を見てたら、ちょっと凝った服描きたくなってんけど…以前も言ったように、私、ドレス系の絵、めちゃくちゃ苦手なんですよ。。
せめて頭身下げずに描くべきだったかしら。。
私はキャラ絵サイズ ……だいたい3~5頭身くらいで描くことが多いのですが~、、それは、スマホ閲覧を想定した3:4比の台紙の都合や描きやすさみたいなもんがありましてん。(6等身以上で全身絵だと、お顔が小さくて描き込み難しくなっちゃいますからぬ~)
しかも、加工もやたらした上に、蝶ギミック(←自分でギミック言うなし…)なんざを並べてしまったので、服ちゃんと見えませんしね……。
枠も素材からかなりいじってますが、蝶の方はそもそも素材使いませんでしたので。。骨っぽさと言いますか、、透け感と躍動感が欲しくて、ゴリゴリの線画(処理無し)で描き殴ってますからね。
アゲハ系のフリー素材はいっぱいあるんですけども、今回は一応マジカルな「飛光蝶」を手描きで~……
羽根は磨りガラスのような半透明で、アゲハの羽根というよりはヒグラシなんぞの羽根を大きくしたイメージ。
いわゆる夜光蝶と違い、暗くなると光る~のではなく、飛ぶと……正確にはパタパタはばたくと、鱗粉が摩擦を起こして光るので、ちょっと熱を帯びた光です。
因みに、もともとはこういう服です。
更に、、レース類や柄を除くと、、
こんなんです。
赤味のあるレースを挟んでいるので透け感が強いイメージの絵になってますが、下地の時点で膝上ちょいくらいからのスリットで、透けてはいないんですよね。
実は、ちょっと前屈みになってる絵なんですが……スカートのボリュームのせいで、姿勢が解りづらいですね。。これ、去年のハピバ絵の時にもハマったんですよね。。ドレスっぽくスカートにボリュームつけると動きやアングルが描けなくなっちゃうのです。。
ところで、この絵……流石にちょっと水無瀬さんから遠かったかなぁ……と思っておる私です。。
なんかうっすら上坂すみれさんっぽさがあるのは、このポーズと表情のせいやろ…と思っております。ま、あとは衣装のせいもあるか。。
すみぺさんきっかけで、声優ネタにちょっと脱線しちゃうのですが… ダーウィンズゲームになかなかハマれない私がいます。
シュカが上しゃま過ぎる……あと、なんてゆーか、主役の名前はもうスバルきゅんでいいだろ……と。
これはもう、上手い下手の話じゃないからダメ出しをするならキャスティングした人に……ってレベルになるんですけどね。。
すみぺさんも上田さんも、知ったきっかけは「てさぐれ」でありますが、二人とも器用に声色を使い分けて役幅の広~い印象があります。
以前、某テレビ番組の実験コーナーで、「声優の凄さ」を科学的に分析する~というのがあって、その時の被験者が上田さんだったのですよ。
テーマは老人の声……。人の声は老化するもので、それは厳密に言うと「声帯が下がる」ため、音声域が変わるのだとか……。
だから、我々が小手先でじさまばさまの喋り方を真似ても「違和感」が生まれる。。
対して、何も知らされずに老婆芝居をした上しゃまの声は……実際の老人の声の波長に酷似していたんですよね。口先だけでなく、ちゃんと声帯が下がってる…んだそうで。。
科学的な証明にスタジオは「凄ェ!」一色でありました。……が~、一方で私は、器用過ぎるのも考えものだなぁ、、と思って聞いておったのですよ。
こと上田さんにおいては、寄せ過ぎて声のパワーも落ちてしまっとるやん……、と。
まぁ、そもそも声にパワーの無い私が口を挟むようなお話じゃありませんが、、「勿体なくね?」と。。
シュカは、、正にその「勿体なくね」のゾーンな気がするのです。。演技力や細かいお芝居がハマっても、欲しいパワーが来なければ、どこまでも物足りなさと違和感がついて回ってしまう……。
別に音量や声の張り方のお話ではなく、ね(まぁある程度はそこも作用しますけど……)
その手の違和感で言うなら、ブラックラグーンのレヴィもなかなかでした。。まぁ、真逆と言えば真逆ですが……
豊口さん、上手いし迫力あるんですけどね……逆に抜き芝居の方が……キャラ芝居が先に立ちすぎて緩急がない。。なんか違~うし、勿体ない感じが凄くしたのですよ。ま、、私の得意とするジャンルの芝居だから、抜き方が気になる~ってのもありましたけども。。
ところで、豊口さんって「アリスSOS」のアリスでデビューなんですね!?(←知らなかった)
因みにこの二作は原作知りませんので、所謂「イメージと違う」拒絶感ではなく、作品のバランスから見た物足りなさみたいなものなんですよね。。
実力不足……じゃない人たちだからこそ、「ぬ~……」ってなってしまいますた。キャスティングもだけど、、「ハマる」ってホント難しい。
ってゆーか、話途中なんだけど、、流石にもうブログ更新したいから、、仕事出る前にアップしちゃいますわ。。
そう、もう出るのよ。。(なう(2020/03/09 05:54:29))
最近、こんな感じ。