♥水無瀬ゆき♥さん描きたいマン(修行中)

ド素人による、水無瀬ゆきさんファンアート修行の軌跡 

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(但し、水無瀬ゆきさんご本人及びユキトモさんは、その限りではありません!)

ろみじゅり、Ver……♾️ のつもりだったんけども……

【おしらせ】いつにも増して脱線が酷くて、記事何回分の詰め合わせだよ…って感じになっちゃってますが、今回の本編は絵より後ですので、お間違いなきよう。。(いやマジで)

 

それより前は余談の連鎖で、書き出しの主軸はBEASTARSってロミジュリやんな?ってなお話なんですが。。いやぁ、、そっからえらい脱線しますた。。

 

そんな主軸に触れる前に、早速脱線からはじめて参りませう。(←もはや脱線っていうのか……)

まずは、やっぱオタクって良いなぁ、と、いうお話から。

 

水無瀬さんのバースデー。(いや、一週間前ですが……)

勢い余って歌詞めいたものを添え書いた私でありますが、、直後「これぞ正に」を体感させてもらった気分でありますた。

 

まぁあれは to水無瀬さん というよりは for水無瀬さん な詞なので、当然と言えば当然なのですが……

 

私個人はなんも出来ん無力な存在だけど、彼らは違う。

私はいつも、そんな風に感じているのだけれど、、

きっとそこには大なり小なりお互い様なところがあって、誰かには出来ないことを誰かがやっていたり、誰も思いつかないようなことを思いつく人が紛れていたり、、そういうのがひしめき合って賑わうのが「オタク」達のパワーなんだなぁ、と。

 

彼らがいるからぼくらになれて、みんなの声だから力を持つのよね…というシンプルだけど、大事なお話。

「みんなから」と一括りに伝える思いも、個人個人が並べる思いも、総合値はやっぱり同じで(勿論、形は全然違うけど)やっぱり、「みんなから」の力を持ってるんだろうなぁ、と。

 

示し合わせるわけでもなく、しれっと集まるそれぞれの思いの形。

まぁ、ある種ショールームイベの最終日とかに感じたそれに近い物がありますけどね。

 

例えばアイコンの企画一つとっても、言い出しっぺがいて、広げる人がいて~、と、「みんな」でありつつ「みんな」じゃなくて、だけどやっぱり「みんな」なわけで……

 

わりと最近に、水無瀬さんの歌うファンサを聞き直したから~ってのもあるかもですが。。

そんな各々であり、みんなであるオタクならではの感覚が、直前に書いていた己の詞と重なって、なんだか胸熱だったのですよ。

 

蛇足な解説を添えますれば(やめときゃいーのに)

詩の主軸になる「でっかい天井」にはふたつの意味を重ねとるのです。

みんなが集う場所。。

ライブ会場……と、一見バラバラなみんなの想いが集う場所。まぁ、場所って言い方は削ぐわないかもしれませんが、、要するに「ひと繋がりの空の下と言う意味です。

この「屋根の下」の二重構造が全体にかかってるわけですが~……

 

つまりね、ライブやイベントで空間共有してなくても、みんなが水無瀬さんを思ってる構図は同じで、みんなペンラ振り回して「ゆきちゃーん!!」って叫んでるんだよ! ってことです。

(勿論、物理的に~って話じゃなかですよ)

 

だから「寂しくないよ」は、水無瀬さんに~ってだけではなく、各々になったオタ仲間への思いでもあり、当然自分の実感にもかかってくるのですよ。

例えば地方で声振り絞って推しコールした時に、自分以外の声が重なってくるの嬉しかったりするじゃないですか?  自分が全力で張った声が飲み込まれる様なコールの音圧とか、鳥肌立つじゃないですか!?

会場で、把握してない一角で白いペンラが舞ってるのみたら、なんか空間がぎゅっと縮まる様な感覚になったり~、、しませんかね。。

私はそういう感覚で会場にいることが多いので、バースデーの「各々」を見ていて、なんだか似た感じの幸せな気持ちになりましてん。

 

まぁ、ネットで繋がれる時代じゃなけりゃ、オタクサイドがそれを感じられる瞬間っていうのはないものだったのかもしれないですけどね。

 

「オレがオレが…」で構わないんですよ。

そういう想いが折り重なって、ひとつの大きな波動になるんだろうなぁ、と、そう思うのです。

中には頭一つ抜けて波動でサーフィンして「個」を際立たせたまま思いを届けられる人や、「みんな」の先頭を走れるような人もいるかもですが、そういうのもひっくるめて大きな波なんだろうな~、と、そんな風に感じますた。

やっぱ、強オタさんたちは、一癖、二癖ありますしねw

なんというか、有事の際に何も言わなくても集っちゃうヒーローみたいですよね。(←言い過ぎ?)

神龍が願いを叶えた後に、ちりじりに飛んでくドラゴンボールの映像を逆再生した様な、飛んできた感あるんですよね。(もっとなんか例え方あるだろ……)

 

まぁ、私は……どんなに力んだとしても、たぶん生粋の枠外な気がしますけどね……

光の尾を引かず、気付いたら「おったんかい!」というガヤポジですし、戦闘力は皆無ないるだけくんですが、、ガヤも大事な役割ですので(。-∀-)✧︎←

ウーロン先生ややじろべえ師匠みたく、極稀に役に立つかも??くらいの、、なんだかんだいつもおる……って、今回おらんのかーい!っていうか、仙豆だけ置いて帰っちゃうんかーい!くらいの。(いや、それはむしろ高く見積もりすぎか……)

まぁともかく、、目には付くタイプのモブなので、シュタっと現れるヒーロー陣見て、なんかかっけぇなぁ。。とか、思ってたりするのであります。

 

ってゆーかね、、、

事務所にプレゼントを送るってシステム何っ!?

うちの事務所そんなん無い……  むしろ御法度で全没収や。。(手紙のみ可とかじゃないんですなぁ…)

盲点やった……

お絵描きしてる場合じゃなかったかしら、、文字通り、いるだけくんになっちゃいましたなぁ。。

 

ただまぁ私は今後、、実利のない戦力外オタクな自分を受け入れていかなきゃなりませんけどね。。

てかてゆか、ケーキの絵より手作りケーキの方が美味そうやん(⊙ө⊙!)←前座感w

とかとか、気にしていたらたぶん続けられなくなっちゃいますもの。枯葉が掃き棄てられないためには、ひらひら舞い続けるしかありませんからの~。。

まぁ、実際「やりおるなぁ~♪」って感じで楽しく拝見してましたしね。

 

ただ、プレゼントは、、、んあ~っ……だって、そんなん絶対、彼とかあの人とか、あいつもあの子も、、送ってるやんな?  もうなんか、誕生日忘れてたレベルでやっちまった感満載であります……orz

 

お、、落ち着こう。

ワシは細長いオタクになるんや……

今一瞬、「細オタでもバースデープレゼントくらい用意しません?」って、関西訛りで煽られた気がしたんだけど(←気のせいです)、、め、めげない……もん。。

 

でも、なんかシンプルにごめんなさいの気分。。

基本のなってないオタクで、推しに申し訳ない……。

「ぇ、いいんだ?」以前に、そこ調べようとも思ってなかったもの……(・Д・)ボーゼン  

 

はぁ、、

取り乱したせいで、なんか思い語りしてたんが急に安っぽくなってしまいましたなぁ。。(自業自得)

いるだけくん改め、口だけくん になっちゃったので、話を強引に文字の世界に反らしまする。。

 

なんだか、ほんとに凹んできちゃいましたが、、以下は誕生日前から書いていた記事ですので、ある意味全然関係ないお話です。。(ってゆーか、最近記事に時間かけすぎ……)

 

そうそう、ロミオとジュリエット。

 

ちょうど寄宿学校のジュリエット も流し見(例によって主に耳で)完走したばっかだったので、ついでにちょっとロミジュリトークでもしときませうか?

 

と、書き初めていたお話であります。。

ついでに、例のフィクションフライヤーのシナリオネタを練って遊んでたりします。

 

ネタだけ気になる~って方は、絵の後ろあたりから読んでくださいませ。

逆にそんなんいらんわ!って方は、後半ほぼネタなので、読み飛ばして頂ければ~、と、思います。

 

さてさて、先にロミジュリについて~、なんですが(やっとw)……

いえね、「寄宿~」は、そもそもチェック外の作品だったのですが~……「かぐや様は告らせたい」が、想定外に面白かったのと(←一切関連性無いけど同枠認識だったw)、キャピュレット、モンタギューの文字りじゃなく、西と東、犬と猫という書き分けをしてる点が気になっての視聴~だったのですよ。 

 

これはもはや常識レベルのお話なんですが、、

「ウェストサイドストーリー」自体がロミジュリなわけで、ロミジュリだぞ~ってタイトルで、オマージュ作品の方からも引用して、でもオマージュよりも本作よりの名前にしてて、はてさてどんなもんでしょう? と。

 

まぁ、「寄宿~」は、、蓋を開けたらロミジュリというよりは、ただの秘密の恋でしたけどね。。

「好きで当たり前」みたいな「好き」の性質描くのサボリ過ぎ感が、ハーレム系ラブコメと変わらんなぁ……(まぁ、ある意味では本家もそうなんですがw)と思ったんですが、、そもそもコレ何枠なのかしら??(少女漫画系と思って見始めたけど、ぜってぇ違ぇだろ! と……)

結果:別マガでしたとさ。。(←アレ?と思ってから確認するヤツ…)

あー、、今の少年誌ってこういう長身系の骨っぽいヒーロー像ありなんだ?と。

ただ、少年誌でロミジュリやるなら、こうじゃなくね??とも思いましたけども。。

 

それに比べて、BEASTARSのロミジュリ超えてやる感は凄かったなぁ。。抗えない物がちゃんとしてる。

「私食べられようとしてる!?」は、私の引き出しにはなかったし、かなり新鮮でした。

あれは実に人間的な心理描写でありんしたなぁ。。

「被害者の本能」とはよく言ったもので、被害者意識の染み付いた人格は、次の被害を引き込むものなんですよね、ほんとに。。

まぁ、裏を返せば「口に飛び込もうとする兎」なんて本能は有り得んわけですが……足が竦んで逃げられない~とかもわりと本能だったりしますので、、ね。

「敵わない」と察してしまう負け犬の本能みたいなものもありますからなぁ…(遠い目)

 

「この感情がどっちなのか解んない……」って、描き方も良きですた。しかもそのブレ先が「食欲」なのが……素直に面白い。

いや、でもあれが普通よね。。「いや、好きだよ。間違いなく好き!なんだけど、、」ってヤツ。

特に男女は、直感的に「これ絶対!」って瞬間以外は、常にそんな感じですやろ。。

というか、立場や環境を完全に無視して恋愛なんか出来ないし、性欲や物欲を隔離して進んでいくこともない。

そんな当たり前の葛藤を当たり前じゃない形で描くことで、「じゃあ純粋な愛だの恋だのってどの部分からがそうなの?」っていうシンプル(だけどくっそ見えづらい)物を問うてくる……

 

まさにファンタジー。

 

友だちなのか恋愛対象なのか~ってのや、恋愛なのか性欲なのか~ってのも「絶対」のラインなんかないからなぁ。。人は簡単に自分に嘘をつけますからね。( まぁ彼らは人じゃないですけども)

そんなこと言ったら、推し愛って何欲やねん??とも思いますしね。

絶対、純粋な物質だけで構成されてはいないですからね、自分を見ても傍を見ても。

 

対してBEASTARSは、まぜこぜで混沌としているようで、わりと各方面に極振りして整頓されてますからね。

この感情はどっち? みたいな書き方されてはいたけれど

最大の壁が自分たちの中にある本能っていう随分内向きなパターンですが、、いや、、わりと最高峰のロミジュリやろ、と。

 

というか、、異種間(特に、捕食関係)の恋愛や友情の葛藤自体は、無い話じゃないし(「嵐の夜に」とかな)、私も、前にこちらにチラ乗せした「とりとり」で書いたことありますけども。。

BEASTARSは、切り出す「本能」と「感情」のバランスが絶妙ですた。逆に、ただの恋愛ものとして見たら(見れるならw)ちょっと物足りないんですけどね。

本人たちが、自分の感情分からなさ過ぎて超手探りな上、元々の恋愛感がさっぱりしてる性格の二人なので……。

 

ただ、この「ちゃんと恋愛出来てない」感じも、わりと好きであります。今時ですよね。

ぶっちゃけ、恋愛って何のためにするのか解らない時代なのですよ。子孫繁栄が必須なわけでも、誰かと寄り添わなければ生きていけないわけでもない時代。

なんなら代替品で心を埋め合わせるくらいのサービスは2次元にも3次元にもゴロゴロしている時代。

しなきゃしないで、やっていけちゃう世界で、「本当の恋」なんてどうやって見つけるのかしら?と。

 

むしろBEASTARSの主テーマとは真逆のお話なのですよ。。

立場やら環境やら、そういう付属品をとっぱらって、「それでも好き」という感情を説明するのであれば、、それは本能レベルの好意であり(故に、性欲は直結しちゃいますけどね)、遺伝子レベルの引力であるわけで、、そこまで来て初めて「運命」とかいう言葉が動き出すのです。(いや実際は「運命」なんて、ちょっとしたきっかけと演出次第で、サクサク生まれてしまうものですが……)

 

つまりね~……そういう描き方はされてないけれど、レゴシとハルの葛藤はたぶん、本能VS本能なのです。だから面白いんだよなぁ、、と。

もうだって、二人の世界の中だけでも、恋心と性欲と食欲が三竦みで立ち往生しちゃってるんですもの。

まぁ、設定自体では「それ以上」は膨らまない話ですけどね。

レゴシくんの「素直さ」と「不器用さ」、ハルちゃんの「弱さ」と「強がり」が、上手いこと歯車になってるので、いくらでも膨らみますね。

たぶん、あれだけ「迷い」がある状況下で、普通の純愛物ではベッド・イン「してみる」段階は来ないと思うんですけども、、そこはハルちゃんの性格はもとより「素直すぎる」レゴシくんの性格も出てますよね。「純粋」と「素直」は一味違うのですよ。

「ダメだよ!」っつって慎重になったりはしねんだなw と。

あの行き当たりばったりの手探り感からの「食べられようとしてる!?」だから、いいんですよね。

あそこで「心の準備が……」ってワンクッション置いて、満を持して「いざ!」って感じで描き直されてたら、、「食べられようとしてる!?」は、邪魔でしょうから。。

タイミングや出し方……上手いなぁ、と。

「ん、あれ?まだ未解決の問題がチラホラ……これはレゴシくんやらかすパターン?」と思いきや、まさかのハルちゃんブレーキなので、お決まり感も無いんですよね。。あの瞬間まで、助け出されて~からのハルちゃんがブレーキになるパターンってあんまり想像出来てなかったのですよ。。

距離感作ってるのはハルちゃんですが、だからこそギア入ったら退く要素ないなぁ、、と思ってましたから。。ありましたね、退く要素。挙句、まさかの劣等感で3歩下がる。。

この流れが「ちゃんと向き合う」ためのゼロ地点まで一気に引き戻しましたよね。。

うん、第一幕の幕引き上手い。。

 

この幕引き~についてなんですが、、、アニメの「BEASTARS」最終話と「寄宿~」の最終話の結論がほぼほぼ同じであることに関しては「おもしれぇ」と思いました。 。

なるほど。喧嘩が強かろうが最強クラスの肉食獣だろうが、今の時代の男の子(ヒーロー)は、牙が折れていることが前提なのですなぁ……。

いや、牙を研いでいないと言うべきなのかしら?

まぁどちらも一応「男子サイド」がメインのストーリーですが……実力ないけど牙だけは立派~なところから、グイグイ実力伸ばしていくパターンではなく、実力あるのに省エネな「やれば出来る子」なヒーロー像が増えてるんですね、今は。。結局、折木くんかぁ……。

男子向けにそういうのが増えてんのは「やる気スイッチさえ誰か押してくれれば~……」な子が増えてるってことなのかしら。。?

つまりは、「アイツを本気にさせるのは○○ちゃんだけ~」な構図ですよね、コレ。

無論、昔ながらの根性と隠れた才能~なヒーローもおりますが、、今更たっちゃんブームなのかなぁ。。

たっちゃんは牙を隠してただけなんだけどなぁ。。

たっちゃんのスイッチ押したのは、別にみなみじゃないいんだけどなぁ……。(←じゃあ違うだろ)

たっちゃんは、わりと最初からイケメンなのですよ。

全部自覚してた人ですから。

弱さではなく優しさで逃げ続けていた人ですから。

たっちゃんは「やれば出来る子 」じゃなく「やったら絶対出来ちゃう人」ですからね。。

レゴシくんはじゃっかん掠りますかね。。

ただ、そもそも、たっちゃんのアレは女々しさじゃないんだよなぁ。。根本が違う感。

 

重要なのは、逃げてはいるけど背は向けていないこと。……目を背けてはいない、ということ。

 

まぁまぁ、たっちゃんはさておき、、今のロミジュリは「諦めない」方向に足並みが揃っていて、その解決策が「ひとまず出世!」なんだなぁ、、と。

 

こうやって筋で見ると生々しい現代っ子思想ですなぁ。

雑草のまま世界を変えてやる!  的な無鉄砲さは無いのですね。。

室井さん……だなぁ。

否定したいものの一部になって、内側から変革を……か。

ただこれは、物語だから成立する皮算用だと私は思ってしまうんですけどね。。

実際は飲み込まれて握りつぶされるから、単身で内側を這い上がるのは絶対止めた方がいい、、と。

同士を引き連れて、対抗勢力を立ち上げた方が幾分可能性がありまする。

「取り込まれる」ということの不自由さは、気合いや誠意で振り払えるほど甘くは無いのですよ、現実は。。

 

ただね、、こういう現代的に夢見ちゃうシナリオも、それはそれで耳が痛いなぁ……とも思うのですよ。

 

こういう例え話に水無瀬さんにご登場いただくのはとても申し訳ない気分になるのだけれど、、自分に置き換える時に他にあてがないのですみません。。

要するに! ガチ恋だけどリア恋じゃないとか、そういう「理解」はいっぺん置いといて、本気で心奪われたなら「ひとまずバカ売れ」して、真っ正面からぶち当たって砕け散るまでは「有り得ない」とか言ってんじゃねぇ……という解釈であってますかねぇ。。

そもそも、走ってみないことには自分自身がどう転ぶかも確定はしないですから、一理はある気もいたします。

まぁ、プレゼントも用意してなかったやつがガチ恋もへったくれもないですけどね……(←わりとしっかり「ぁ……」ってなったらしい)

そもそも、推し愛を「恋」に昇華させるために突っ走る~のはわりと痛い…というか、ただただ危うい発想ですし、二作のヒロインは共通して「信じて待ってる」なので、当たって砕けるために頑張るのとはわけが違いますけどね……。

 

あと、そもそも彼ら、みんな若いしw (←わりと重要)

ただまぁ、年齢に関しては特に問題では無いのだということは身をもって知ってもいるのですよ。。

私自身の恋愛遍歴における最高年齢差は11歳……。単純な話、水無瀬さんの二つ上の子と付き合ってたことあるわけでして。。別になんら弊害なく恋愛してましたし、なんならしれっと二年近く付き合ってましたので。。

結局はどんな人か~以外のなんでもないんだよなぁ、、と、理解はしております。

とは言え、私自身の年齢は上がっていく一方なので、年齢差以前に年齢そのものが意味する所は変わってきてます。アラサーとアラフォーじゃえらい違いですからね。

やってる事、やってきた事への成果や評価も変わってきますしね~。。(グッサグサ刺さる記事だなぁw←自滅)

 

ふむ。。

別に、何がなんでも恋愛話にこじつけ隊なわけではなくて、現行ロミジュリの解釈の末に、ちょっくら置き換え作業がしたかっただけなのですよ。

これまた単純なお話。「諦めたらそこで試合終了だよ」的な言葉は、ドロップアウターの鼓膜を引き裂きに来るのです。。じゃあ例えば、ここで言う諦めないって何さ? というお話であります。

自分自身のためだけになんて頑張れないボクらには、頑張るのは「誰かのためだ」っていう体裁が必要で、その誰かを見出すためには愛だの恋だのが手っ取り早い……ということだと思うのです。

ん~違うな、「体裁」って言い方を選ぶのは、まだ一歩引いてる感じだ。

誰かを意識することで初めて起こる衝動がある……という、わりと本能に似た感覚(似て非なるものですが)の話です。

 

しかして、私は知っておるのです。

そんな愛だの恋だのにだって色んな形があって、頑張る理由にならない恋も勿論あるのだ~……と。

 

繰り返します。

水無瀬さんに出会ったことで、「初めて」垣間見たゾーンみたいなものが、確かにあったのです。

事務所所属に切り替えて(要は仕事として考えるようになって)からの十年以上の間、恋愛を全くしてなかったわけじゃありませんし、ふっつーに恋人もおりました、、が、その間にそういう感触があったことはありませんでした。まぁ、徐々に恋愛の仕方自体が温くなってたってのもあるでしょうし、それ故に「もいっか…」ってなって、恋愛を視野に入れるのを止めたわけですけどね。。

 

桜井さんも歌ってましたね。

 

誰かのために生きてみたって Wow 明日は見えず……

勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく……

 

無論、この歌詞はツッコミ待ちなわけでして、、

「生きてみた」なんて、そんな衝動も伴わないような「誰かのため」じゃ世界は変わらないし、明日なんか見えないのは当たり前なのです。

逆に「ため」なんて体裁を孕んだ姿勢じゃなくても、「誰かを想う」ことで、刹那視界が開けることもあるんですけどね。。

それは衝動というより、もはや衝撃です。

その衝撃波だけで吹き飛べるほどヌルゲーでもないんですけどね。

 

ただ、、もうひとひねり先の話をするなら、無い話ではなかったのですよ。。

BEASTARSや寄宿~をベースに話を広げたから「ガチ恋」を口火にしましたが……、それ以外の「好き」の側面を核に置くなら、話は違ってきます。

このブログの後半で私は脚本のネタを練って遊んでるんですが、、これはその際に頭を過ぎった戯言です。

戯言なんで、スルーよろです。(それでも頭を過ったことをいちいち書き出すのは、単純に私の習性です←)

 

そもそも私が「この子おもしれぇ」をベースに気持ちを育てていたならば、一緒に仕事をするために売れるという選択肢があったのですよ。。

私の一人足掻きで、そこまで駆け上がるのは、たぶんただの夢物語ですけど……当て書きを引っ提げて、そこそこのチームを組んだ上でオファーをすることは可能だったかもしれないのです……。

 

少なくとも映像や舞台であれば、、ね。

小劇場を回せるチームなら速攻で、、中規模の商業作品を回せる繋がりも無いわけじゃない。ちょっと旧い伝なので、温いシナリオで通せはしないでしょうが、そこに全神経を注ぐ価値は、もしかしたらあったかもしれんのですよ。

私はあくまで俳優をベースに活動してましたから、脚本は片手間で、ショートストーリーやワンシチュエーションのみ、、しかも映像向けのものしか書いてませんでしたから。。出会った時から「この子使いたい」っていう視点で動き始めていれば、現時点で既に構想2年……舞台作りには十二分な時間があったとです、、

核になるメンバーさえ説得出来れば、単身では動かせない規模の企画も盤上に上げられるのがショービズです。

「ワンアイデア」の価値がとてつもなくウェイト高いので、単身で頭下げて回るという方法もあるにはあるのですが……、無名でこれをやるのは、まぁわりと無謀な夢追いです。しかし、突破口のコネさえあれば、ワンチャンのレベルは格段に上がります。

まぁ、あとキャスティングに首突っ込むにはチーム編成がわりと大事になりますので、、タンバリンさんと組んで仕事するレベルのメンツは集めなきゃいけないですからね。

ただ、、ワンチャンの手筋がギリギリ見えるくらいには、色んな知り合いおるとですよ。。LINEでやり取りできる範囲でも、上下関係の絡まない伝はちらほら、、

細々とであれ、十年業界にいれば、ちょこまか知り合いも増えるとです。

まぁ、「舞台」か「映像」に限った話なんで、そもそも水無瀬さんにとってやってみたい仕事になり得るかは微妙なんですけどね。。

 

そして 、これは勿論、後の祭なお話です。

 

まず、べべんちゃんに水無瀬さんが言っていた「私のファンにならないで」が、どどーんと発動します。

まぁファンだと公言するくらいならセーフでしょうが、オタクになってしまった時点で、私主導で一緒に仕事をする~なんて展開は絶対「無し」ですから。

オタクとしてマナー違反なのもそうですが、ビジネスサイドでも難しいとです。。

そもそも私の場合、オタバレ自体がアウトなので、オタクになってしまった時点で、協力要請自体がほぼ出来ませんからね。社外でチームを組むにも、自社の許可はいりますから。。

隠して動くのは、炎上の種蒔くようなもんですしね。。

しかも、万一バレた際に被害を被るのは水無瀬さんの方ですから、そんな真似は絶対できません。。

 

あくまでも作品作りのために「面白い子がいる」を提案できる立場が必要です……少なくとも、私のフィールドではそれが最低限のルールなのです。。

気に入ってる「素材」をセレクトすること自体は造り手として自然なことですし、そういう形のオファー自体は珍しくありませんが、、アイドルさんのオタク~って立ち位置からそれをするのは、、かなりハードルもリスクも高いので、誰も乗ってくれますまい。。

ヨッピーさんやコータローくんみたいな動き方は、わりとイレギュラーなんですよ。。

独立か、、それ相応の立ち位置が必要です。

ついでに、多少の無理を通す財力も。。 

 

まぁ、そもそも私にその実力が足れば……って話もあるのですが、、キャスティングイメージとワンアイデアをベースに企画を練っていくというパターンもあるにはあるので、最悪脚本すら人任せに出来なくもないんですよね。(←そこまで来ると私プロデュースやらなきゃならなくなるんで逆に大変なんですが…)

 

今となっては……なのと、私以外誰も望んでない展開な気もしますが、、そもそもの私は、それくらい水無瀬さんを「買っている」ところからスタートしてるんですよね~……っていう振り返りであります。勿論、今も以前も、そんな上から言える身分ではありませんけどね、、。

 

芝居のフィールドで活躍してもらうなら、水無瀬さんには何層か突破してもらう課題が出てきちゃいますが、わりとそこは私にもお手伝い出来る話なんですわ。

時間のかかるパフォーマンスの基礎値は、既に高いですからね、水無瀬さん。

作品合わせの感情表出や表現技法は、通常の稽古期間でクリアしてくれそうな気がしています。

水無瀬さんご自身は「演技は苦手」と仰ってましたが、「演じる」ことに捕われなければ、作品の中で「生きる」ことが出来る人なのは確信してるとです。

(簡単に言ってますが、演技以前にその場に「居る」ことが出来ない役者さんはわりとおるのですよ)

 

ま、、そんな実現しないし、しない方がいい野望よりは、別枠から見えるところまで浮上して、刺激のお返しをする方が幾分現実的かもしれせんけどね。

それも、今しばらくは手がでませんが、、

枯れ切らんためにも、遊びは大切なのですよ。 

 

足掻いてる場合じゃなくても、可能性まで全投げする気はないですからね。。

 

ただ、そもそも水無瀬さんは、あまりプレイヤーで踏ん張る気は無いような気もしますし、今更私がコツコツ浮上したところで、なんの刺激にもならない気もしますけどね。

 

先日の「もう無駄に命を燃やさない」って言葉も気にかかりますしね……。

たぶん私は、水無瀬さんの言葉の真意を拾いきれるほどの読解力もなければ、良き理解者でもないと思います。。だから、それがどういう意味かを決めつけて拾うわけにはいきませぬ。

そもそも、水無瀬さんは他人の努力や自分の努力を「無駄」という言葉で指し示すタイプの人では無いと思うので、もっと違うものを指しているんだろうなぁ、とは思ってます。が、「じゃあ何のことやろ?」までは分かりまてん。。

なのでこれは、反論や意見の類いではなく、ふと思い浮かんだ持論です。。

 

私ね、、そもそも命ってのは無駄の塊だと思っているのですよ。(賛否……というか、否論がいっぱいな予感のする発言ですが……)

私は曲解的な極論星人なので、そもそも「生きる」こと自体が無駄なルーチンワークだと考えているのです、、が、たぶんこの言い方は、「無駄」の解釈がかなり一般と噛み合わないと思うので、「生きる」ことは無駄ではないと仮定した上で、もう少し狭義な「無駄」のお話にしておきまふ。。

 

それでもやっぱり、一見無駄な物の積み重ねこそが人生だと思うし、沼人思考からすれば、人が無駄だという物の中にこそ価値ある経験が潜んでいるもんだと思っていたりいなかったりするもんでして。。

それは、楽しかろうが辛かろうが、光輝こうが馬鹿馬鹿しかろうが、時間を費やそうが刹那的だろうが可能性は同等にあると思っておるわけです。

 

まぁコレ、昔書いた歌詞の中身なんで、結局は逆説的に「無駄じゃないかもよ」「例え無駄でも、そーゆーのこそを幸せと呼べたら良いよね」ってお話なんですけどね。

勿論、完全な空振りだってあるし、他人に踏みにじられて価値が下がることだってあるけれど、、それでも……というお話です。

 

因みにこの曲、複数のメロディラインが、交錯して重なっていくタイプの曲構成になっていて、サビは同時進行の歌パートが3ラインあります。(それこそ、無駄に……)

 

シンプルに命を語るなら いらないかもしれないことが

枯れ果てたと捨てられた蕾を咲かせてくんだ(Da×5)

淡い記憶の狭間で 泣きながら夢を見てる

そんな青い 無駄な命を 幸せと呼びたいなら

 

例えばいますぐ 無駄な時間を取り戻せるとして

例えば そんな便利な 魔法がこの世に あったってさ

(以降コーラスっぽく)あったってさ~♪

 

世界中に広がる歌なんて 歌えやしないと思うけど

誰かの心 震わせるくらいの 音色はあるんだ(Da×5)

僕らの言葉は 拙くて 下世話なものかも しれないけど

いつかの空を 染め上げるくらいの 色味はあるんだ

 

たぶんこの曲、ブログで一回触れてますね。。

コーラスパート合わせると10パート近くあるので、どう頑張っても、ひとりじゃ歌えない歌です。

そも②は低音なので声出ないしw

(↑それでも無理して音録りしてる……から、わりと酷い音源w)

 

まぁつまり……

 

あくまで「私は」……ですが

 

「無駄の無い生き方ほど無駄な生き方はない」……と思っておるのです。

 

勿論、先に述べたとおり、水無瀬さんのいう「無駄」が何を指すのか、その真意は私には解りません。。

っていうか、たぶん言い方の差異で、話聞いたら「それはそう」ってことだったりすると思うのです。

ただ響きだけ聞くと、、「そんな悲しいこと言わんで~(泣)」っていうのが正直な気持ち……でしたので、こちらに一筆添えときました、とさ。

 

無駄を肯定するのは私流儀なんで一旦置いときまして、「もう……」っていう、、過去に否定的な「無駄」という言葉が響くのは寂しいなぁ、、と。

推しにそう言わせてしまう要因全てを呪いたくなりまする。。(どっかの悪魔屋さん、私の魂を買っていただけないでしょうか……出来れば高値で♪←)

 

ただまぁ、、そもそもがそういうお話じゃない気もするんですよね。。単純に無茶しすぎたなぁ~ってお話かもしれませんし。。労力ではなく時間や気持ちの話な気もしますし。。

命や精神を擦り減らす行為は、例えそれが一種の「頑張り」だったとしても避けて良いものだと思います。

無理も無茶もし時は選んで良きものですし、そもそも私が言いたいのも何かを我慢しろ~とか頑張れ~ってお話じゃないですから。。あくまで気の持ちようのお話なのです。

っていうか、もっと肩の力抜く~って意味合いの話なら、ずっと抜きっぱで、超お気楽~も良きかと思います故。

逆もあるか……しばらく色々お休みしていた期間を指してる可能性もありますな。。いずれにしても、無駄~とは思いませんけれども。。(私は、ね)

 

あくまで私は……無駄に燃え尽きるのも好きやし、いずれ回復した折には手土産あること多いので、そもそもあんま命を燃やすほどの熱意を「無駄」とは呼ばない(ことが多い)のですよ…っていう自分語りですた。

ただ、「無駄なものなんて何一つない」とは絶対言いません。それだけでは無駄になっちゃうことも少なからずありますからね。人生における無駄は、まさしくチリツモなのですよ。

 

うぬ。。。

また余計なお世話ゾーンをうろついている予感が致しまふ。。。ので、このお話はここまでにします。

長々と失礼いたしますた。(ほんとだよ……)

 

 

少しだけお話を戻してから、お絵描きと、シナリオ(ごっこ)に移って参りませう。(←この時点ではそのつもりだったということです。。。)

 

そもそもちょっとお話が混線しちゃいましたね……。

「ために」っていうお話と、衝動のお話とは同じ線上で語るには、ちょっと主軸がズレているので、きっちり分けて語るべきだったかもしれませんね。。(今更感)

実際ね、目的こそ「恋愛」じゃありませんが、水無瀬さんのいる業界でなら、売れることを目指すのもありかもしれないな~(←しょせんこの程度)と、思っていた時期はあるのですよ。当然これは、「ために」ではなく、動機が水無瀬さんだった~というお話です。

まぁ、それでいきなり売れる程、主人公気質じゃありませんが、実際その期間は芝居の評価も顕著に伸びてましたからね……。

結局オタクとの両立が難しくて、じわじわとオタクに傾きましたけども……(←これが私のリアルラインです)

「もっと本気出せ!」、「あとは心構え」、「勿体ない」と、ずーっと言われ続けた人間に、超久しぶりに前進の感触をくれたのは、間違いなく水無瀬さんだったのです。(ま、この件はここでもさんざん言ってきてますしね)

 

混線したコンセントを解いて通電してみたついでに「つまり」を添えておきませう。

たぶんね、「誰かを思う自分のため」である必要があるんだろうなぁというのが、垣間見えた感触なのです 。

ま、あくまでも私の表現に欠けていた歯車はそうだった……というお話ですけどね。

 

ひとつ断っておきますと、、「売れたい」という願望がなかっただけで、「本気を出していない」つもりはなかったのですよ??

むしろ、何においても「やるからには全力」という主義ですから。単純に、「もっと上手く」「もっとシャープに」と、演技と真剣に向き合ってきた「つもり」なのですよ。。

だから、、言われ続けた「足りないもの」は、「売れたい」という願望だけなのだろうな……と、解釈していたのですよ。

「もっと出来る」は買い被りだ…と。だってとっくに全力出してる。。と。

それが、水無瀬さんきっかけで、今更しれっと前進しおったのですよ。

「売れるのありかも」程度の向き直り方で……。

何が言いたいか……。

「売れる」意欲の大きさではなく、その先に何がチラついたのか、、何故そう思ったのか~、こそが必要だったのだなぁ、ということです。

「売れたくはない」→「売れとかなきゃ」の時点での私は、「売れるのもありかも」な私よりも、売れることに目的意識がなかったのです。

 

ただまぁ、、最終的なお話をすれば、、「一緒に切磋琢磨してくれ」と言ってくれた、、「私の応援の前に自分のこと!」とまで言ってくれた水無瀬さんの言葉すら置き去って、オタクに走ったのが私の現実なんですけどね。

無論これは、水無瀬さんの言葉の力や、存在の力がどうの~って話ではなく、「そうしたい」のが第一の願望になった私の気質の問題です。

度々触れているように、その選択に後ろめたさこそありますが、特に後悔は無いのですよ。

そもそも、オタクと揺れ始めた時点から、初めて垣間見えた「売れることをちょっと意識した自分」からも、改めて遠ざかっていってたわけですしね。

しかして、こうして一歩引いて文字にしてみると、「あかん」感じは見て取れるから、誰に聞いても「それで良かったのか?」と詰問されそうな話ではありますけどね。

 

そこはええんですよ、これで。

 

何度も努力や手応えをへし折られてきた私は、新たに垣間見た不確かな可能性のために、せっかく見つけた今やりたいことを犠牲に出来なかった……というだけのお話なのですよ。

 

ちょっと先に進んだとはいえ、今までの延長線上に過ぎない芝居の可能性より、オタクの経験値の方を高く見積もってましたからね。

芝居は、別に何歳でも出来ますし、得たものを捨てるわけじゃありません。

それよりは、「推しは推せる時に推せ」だったのです。確かに駒が動いたのは芝居の盤面でしたが、駒を動かしてくれたのは水無瀬さんですからね。。

せっかく出会った推しちゃんに会いに行ける機会を、不確かな手がかりを模索する自分の活動ごときで逃したくなかったのですよ。(←言い方)

 

それでも、撮影やAUDを優先して、チケット抑えてるライブを蹴ったりもしてたんですよ?(←流石にそこはそうであれ)

逆に稽古病欠してライブ行ったこともありますけども…(←つまりこういうこと)

 

まぁ、いずれにしても「結果」が全て。

今の私が現実だし、それを踏まえないことには、これからのことも全部惰性になっちゃいますからね。

どっちに対しても温いと言われればそれまでですが、私はこの温度で「やりたいこと」を渡り歩いてきた人間なのですよ、自分のために 。

正確には、ありたい自分であるために~、ですかね。

今は燃えカスくんなので、遊びに興じるくらいしか出来ませんけど、オタクを選択したことの意味は、いずれ結実させまする。

 

 

して、その「遊び」の話 でありまする。

今回の遊びのきっかけは、「ロミジュリ」でありまする。お絵描きもシナリオも、起点はそこでありんした。

 

ロミジュリと言えばシェイクスピアの代表作(?)……な、わけですが、まぁ二次三次、与次、誤字(←)、と、紐付け可能な作品が、アホのように生まれたベーシカルな超有名シナリオでありまする。

まぁ、そもそもシェイクスピアって誰やねん。という、未だ解明されない「詠み人知らず」は置いときまして(私は、複数人で話し合いながら書き進めていた…に一票派なんですが)、、劇作家であったのは間違いなく、ただ「物語を紡ぐ」ためにではなく、「見世物を作る」意図で書かれている。というのが、大きいと思います。

 

現代の作家は、映画化やアニメ化を意識して書いてる人がほとんどです。(影響されて……というのもあるのでしょうが、、)だから、古典やテンプレを掠めずには書けないのです。文字で終わる作風なら、、きっとまだ隙間は残ってるんですけどね。。

奇抜・斬新って言われてる作品群もキングやコッポラを避けきれないことが多いですからね。。

 

そんな中でも「興味深い」ではなく、「人が観たいと思う作品」の一例、、雛形を残したのがシェイクスピアなのですよ。

他の古典と比べても、シェイクスピアのオマージュや関連作品が圧倒的に多い理由はそこです。

まぁ著作の問題もありますけど、、

上手にイジれれば、堂々とお金を稼げる土台ですからね。

 

私が学生の頃に、故 蜷川幸雄さんの舞台で「天保十二年のシェイクスピア」という作品がありまして、、(藤原竜也さんと唐沢寿明さんのダブル主演となっていましたが、実質篠原涼子さんが主演だったような~…って感じの作品です。←雑)

その挿入歌を、宇崎竜童さんが書いてらっしゃったんですが、独特の字余り感が耳に残る、正に芝居のための楽曲で、リズムをはみ出すことで「感情的」な表現が強調される良曲ばかりでありました。(逆に音源として聞きたいとは一切思わないけど)

その中に「もしもシェイクスピアがいなかったら~♪」なんてことを歌った歌がありました。

「シェイクスピアは飯の種」と。

まぁ、シェイクスピアオンリーではありませんが、現在の表現の九割が、なにかしらの古典の足跡の上に立っているわけでして、、

例え真似る気がなかったとしても、誰の足跡も踏まずに作品を作るなんてことは、まず出来ない時代なのです。

 

だから、「つもり」はどちらでも良いのです。

ツモリチサトは復活して欲しいです。(しらねーよ)

 

BEASTARSは、新感覚のロミジュリである。

これは、絶対なのですよ。

 

そんなロミジュリを私はどう扱うか。。

 

ま、学生の頃、「ロミオ対ジュリエット」というラブコメ作品でロミオ役(の役者の役)を演じたことはあるんですけどね。

舞台裏を舞台にしたシチュエーションコメディですが、ロミジュリ役は現実でも付き合っていて~ってなお話です。

 ロミオ役のシュウジくんは浮気性で、今もゲスト出演(母親役)のショウコちゃんを口説くことで頭がいっぱい~なクズ男くん(←わりと私が苦手な役どころ)

そんなシュウジくんと長ーいお付き合いのジュリエット役のカオリちゃんのお腹には、シュウジくんの子が宿っていて……ひとり悩んでいたカオリちゃんは、ショウコちゃんにフラフラしているシュウジにイライラ……つい勢い余って、カオリちゃんに絶賛片思い中のユーイチくんがお腹の子の父親だと言ってしまう。。

この素直になれないお騒がせカップルの当てつけ合戦は、舞台上のロミジュリにまで影響し、ロミオを無視して実父との禁断の愛を演じ始めるジュリエット、、負けじとロミオはジュリエットの母(ショウコ)を堂々と舞台上で口説き始める。

三谷さんの「ラジオの時間」みたいな、、その場の人間模様がどんどん表の作品をぐちゃぐちゃにしていくお話です。

まぁ、ショウコちゃんはそもそも演出家のチエさんと百合関係なので、ただ距離感の近い天然系思わせぶりっ子なだけで、シュウジくんに脈は無いんですけどね。

他にも、すーぐ恋に落ちちゃう暴走娘のアイちゃん(ストーカー気質)がシュウジくんにお熱モードになったり、シュウジとなんだかバチバチなシノブ(男)が、カオリの相談役としてシュウジを煽ったり~……と、基本ドタバタなコメディなのですよ。。

 

なのですが、このお芝居の最大の難所は、「色々あって(←雑w)」やっぱカオリしか! ってなったシュウジくんが、ロミオを通してカオリにプロポーズするシーンでして。。。

舞台裏が舞台の作品なので、作中の舞台上は現実の舞台裏なわけですが(ややこしい)……よりにもよって、その舞台裏である舞台上にクライマックスを持ってきやがったのですよ、脚本家……。

因みに、作演は一人でやってるので、この役者泣かせの構成は当然わざとです。。(たまーに、イメージだけで書いてて、実現難度を考慮してない脚本に「これ、、どう見せる……?」って悩まされることありますが……、コイツはそこを役者に丸投げする腹づもりで書いてやがります。。)

役者目線から言えば、舞台裏のシュウジがカオリにプロポーズして~からのハッピーエンドを舞台上のロミジュリに乗せに行く~……って展開の方が百倍楽なんですが。。舞台上(舞台裏)で決めて来い! と……。

 

まぁ、その作演くんがそんだけ私を買ってくれていた~……ということなんですけどね。

大学卒業後、社会人になった私を呼び戻して「この役は絶対……」と、オファっ  てくれたこともありましたしね。。

 

更にハードルが高かったのは、ジュリエット兼カオリ役の子は、お芝居初めての子でして……演出家は「演技しなくていい」「素直にそこにいてくれればいい」と。。

そして私には、カオリが笑うのも泣くのも全部シュウジ次第だから、本気で泣かせて笑わせて……と。

 

まぁ、彼が見たかったのは、最後の最後にカオリがシュウジに零す「バカ……」っていう幸せたっぷりの恥じらう笑顔……らしいんですが(←わりと王道好きな演出家)……それを、私に作れ~……と。。

 

ジュリエット=カオリに自家発電を禁止しているということは、シュウジのプロポーズがカオリの心を撃ち抜かなくてはならないわけですが……、それをシュウジの言葉でではなく、舞台上のロミオに用意された「台詞」を通してやれ、と。まぁ、この時点でも難易度はAランクですが……、それでもここまでなら、わりと「よくある」シナリオなんで、何とかせい!ってお話なのですよ。。アニメなんかでもありますよね、、役なのに思いは本気で、だから本気で泣いちゃって……みたいなお話。役者なら、それくらい……「作り物」と「本物」を演じ分けるくらいは、してみせよーぜ?  っていう、程よい課題ではあるのです。(ハードルがここまでなら、ね?)

ただそれは、ロミオに乗り移ったシュウジの本気を「見せる」ことが前提なのですよ。少なくとも私は、肝心要のそのシーンを「見せない」演出を見たことが無かったです。。

 

何が大変って、客席には声しか届かないのに、その声すら「作り声」なのですよ。

なんたって「ロミオ」は、作中ずっと声だけの存在で、「マキューシオ、僕は今、恋をしている!」「ああ、お義母さま、あなたはなんてお美しい!(←当て付け)」と、散々傾いた芝居で声を張ってきているわけですから……(そういう演出でしたし)。その声に、シュウジを乗せろ……と。。

まぁ、あと物理的な問題で……本当に舞台裏で芝居するので、声めっちゃ張らないと聞こえないのですよ。。

マイク無しだから、パネルや暗幕が声吸っちゃうのです。。 にも関わらず、大事なシーンだから、とBGMのボリューム上がるのです。

舞台裏が舞台なので、基本は作中のロミジュリが動いても、楽屋サイドがバタバタとリアクションを取るんですが……このシーンに限っては、楽屋組もステージを見守っているていなので、袖付近で客に背中を向けておるのです。。超やりづれぇ!!ことこの上ありませんでした。

私、シリアスなシーンは小手先の芝居使わないので、感情を込めるだけって言っちゃえばそれまでですが、、見えない相手を見えてるていで、かつ、超不自然なボリュームでやらなきゃならんのは……しんどかったぁ。。

 

曰く私、「言葉はあくまでも入れ物」ではありますが、ここまで全力で入れ物側を縛られて中身を求められたのは、後にも先にもこれがダントツです。。

この芝居に限っては稽古中に過呼吸になったこともありましたからね……。

(駆け出しの役者さんなんかが激しい感情芝居の末に過呼吸になることがしばしばあるんですが、、これは心ばかり燃焼させて身体が役になりきれてない時に起こるわりと未熟な事例なのですよ……←厳密に言うと、心拍上がってる状態で、声量と呼吸のバランスを欠くと過呼吸や貧血になります。。「そんだけ本気」と褒められるのは初期に限るんだよなぁ(と、私は思ってます)……)

そもそも、私の素材の中でも「声」は、最弱の武器です。見せ方、居方、空気感……、全部奪われたクライマックスの怖さは、今でも忘れられませんにょ。。

 

んなわけで、私は四苦八苦して、声を客席に中身をカオリに届けることに注力しつづけました。

因みに、舞台裏(作中のステージ)に明かりが点いてたり、ジュリエット役と触れ合えるなら、まだ「二人」で演じる術があったんですが……。

出捌けの問題で、真っ暗な細い回廊の端と端で芝居しなくちゃならず、、シルエットがギリギリ視認出来る程度なのですよ。

いやぁ、しんどかった。。(二回目)

本来、芝居は自家発電をするべきではなく、会話のキャッチボールはそれ以前の空間作りや距離感を作るとこから始まる「共同作業」なんですが、、

この掛け合いに限っては、一投目を私が作るしかないですからね。。

 

結果……。本番のカオリは毎回舞台裏で涙ぐみ、グスグスしながら舞台裏のステージに戻ってくるけど、客席の誰一人「ロミオのセリフに感動した」っていう人はいない、、っていう珍妙なクライマックスが仕上がりました。

まぁでも、そんなクライマックスの後、恥じらいながらいつもの調子で冗談交じりに「これから家族3人で」とシュウジが差し出した手を取るカオリが放った笑顔に、演出家はガッツポーズしてスタッフとハイタッチしてたそうなんで……正解の一つには辿り着けたみたいですけどね。

 

最高の「バカ」をオーダーされて、私たちが辿り着いたのは、「(ぐすん)……バカw」でしたとさ。

これ、最後が草じゃなく♡だと、たぶん愛じゃなく恋になっちゃってたんで、うっかりそっちにならなくて良かったです。。♡は「……」に込めて、「バカ」は、なんの裏表もなく「バカだなぁ」って愛しみを込めて……ってのが、私たちの着地点。

私たち、、というのは、勿論、カオリ役の子と私……です。

演出家は、最後のシーンは「完成待ち」で、見守るスタンスでしたから。そもそも「泣く」のも演出にはありませんでしたし。。

私のハードルも去ることながら、カオリ役のハードルもめちゃくちゃ高かったのですよ。。

相手役に身を預ける……っていうのは、芝居の基礎であると同時に玄人でも躓く難所です。

自ら泣いたり笑ったりするのではなく、泣かされたり笑わされたりする完全な「受け」芝居。。技術的なものより感覚特化の難題です。

普通のお芝居はキャッチボールなので、互いに身を預け合ってバランスを取りますが、この二人の掛け合いに限っては、なんて言ったら良いんだろう……ハイキューの影山、陽向の速攻(初期)みたいな感じでしょうか……。カオリのフルスイングに私が当てに行くような……、、

ちょっと違うな、、

ちゃんと「受けて」芝居をしていると、相手の出方が変わったら意図しなくても受けて返す芝居が変わってくるのですが、本来は上乗せ上乗せの相乗効果でガン上げしてくんですが、カオリからは「仕掛けて」は来ませんので、カオリの打ち返しの変化に打たれるしかなく、、初級しくじると自家発電でも挽回不可なのですよ。。

それはつまり、カオリは何が飛んできてもただ信じて打ち返してくれる。ので、こちらも全力で投げられるということなんですが、、

この、ただ打ち返すっていう素直な芝居が、ある種一番難しいのです。

フラットに受け芝居をするためには、状況を信じる必要があるんですが、、芝居上の嘘が多い程、それは難しくなります。

私が苦戦したのと同じ条件で、カオリは受ける……というか、打ち返さなきゃならんのです。

 

加えてこの子、男性超苦手っ子だったので、最初手を取り合うどころか目を見ることも出来なかったのですよ。。

まぁ、私は昔っからオスを消せる男の子でしたので……彼女のリハビリにはもってこいだったかもしれませんけれど、、それでも特別合宿組まれて、一晩一緒に寝る~……とか、やらされてましたな。

↑なんかそれ違くない?って思う方もいると思うんですが、、わりと役者の世界ではある話で……出来ない役者はこの手の訓練をやらされること少なくないのです。

 

肉体の距離が詰められないとお芝居出来ませんからね。

 

行き過ぎた劇団なんかだと、カップル役やるんだったら「一発やって来い」とかいう話も聞いた事ありますし、それに応えるのが「本気」だという解釈で演技をしている人たちもいます。

私は嫌いですけどね。。あくまでそれは「出来ない」人たちの理屈です。出来ないを出来るにするために手っ取り早い手段だというだけです。

 

ただまぁ、大なり小なり必要なことではあるので、例えばハリウッド方面の養成所では、男女入れ替わり立ち代りに絡み合って転げ回る珍妙なトレーニングがあるそうですし、私もアイスブレイク(一般的にいうウォーミングアップみたいなもの)でハグするのとかは慣れっこですから……。

実際ね、上手く会話の出来ない役者に踏ませるステップに、手を繋いで台詞を読ませるとか、背中合わせで座らせてしばらく話させる~みたいなのっていっぱいあるんですが、、劇的に変わるんですよね、、コレ。

身体に相手を意識させる、受け入れさせるってけっこう核なのですよ。

 

これ、勿論、恋愛に限った話じゃありません。

恋愛が一番身体距離から見える空気感が顕著に出ちゃうのでネックになることが多いだけで、、

例えば親子役なんかやる時は、子役とずっと遊んでたりしますしね。

あちらもプロなので、休憩時も「パパ」扱いで、上手に距離を縮めようとするんですが、、一方でプロだからこそずっと敬語が抜けなかったりして、中々距離詰めが難しいのですよ。

女の子はセルフでやっちゃう子多いんですけどね。

「よーい、スタート」で、「パパー」ってスイッチ入れられるなら、子役だろうが距離詰めは要りません。

男同士の親子の方が、距離詰めは難しいので、私自身のためにも息子役とは撮影の合間とかに遊んだりすること多いです。(まぁ、私は父親との関係をしくじってますから、、父子を演じる時は「自分」の感覚をほぼ使いませんので、慣らしておきたいってのもあるのです)

 繰り返しますが、身体の距離を埋めるのは「出来てない」部分を埋めるためですから、どんなに心が冷めきってても、親子に見える芝居が出来るなら要らんのですよ。

むしろ、プロのお仕事でいちいち距離詰めを~なんてしてたら、相手役の事務所に詰められちゃうんで、これは子役に限った話です。

 

映像業界では、プロの役者同士が「距離詰め」作業をすることはまずありません。まぁ、お互いがタレントさんな事がほとんどなので当たり前ですが、、演出サイドの要請が無い限り相手に勝手に触れないのが常識です。

これは異性じゃなくても……芝居の勢いで相手に触っちゃダメなのですよ。

まぁ、休憩中に話しながら距離詰めたりすることはありますけどね。

 

裏を返せば、そんなことせんでもさも当たり前に長年連れ添った仲を見せるのがボーダーラインですし、要請があるなら、その場で一気に距離縮めるのが当たり前~なのです。

まぁ若い女の子に限っては、事前の事務所確認なしに制作サイドが接触を要求することはまず無いですけどね。

 

ただ、演出変更で接触の相談をされることはあり、そっから先は役者判断~みたいになることがあります。

男同士の殴り合いとかもそうですね。急遽「実際殴って!」になったりしたら、事前確認なくても役者判断でGOしちゃったりしますんで……。他の仕事との兼ね合いもありますけどね(顔NGとかは、キープによります)

 

このパターン、たいがいの役者は「ほいじゃま」つって、演出に乗っかります。(慣れもある)

 

こんなことがありました。

再現のメイン夫婦役で大麻を売っていた時の話。(←言い方)

闇パの主催者である私の元に共犯の奥さんがフレイムインしてくるシーンでのこと。実際の映像はナレが入る箇所なので特に固定の台詞はないんですが、そういうシーンってドライで立ち位置なんかを調整しながら欲しい絵を固めてく~ってこともしばしばあるのですよ。そういう時、役者は人形になるのですが。。。(めっちゃ売れてる人とかだと、ドライは別の人がやったりする)

 

監督「ここどうしよっかなぁ……ただ普通に話してるだけじゃパーティ感ないし、ちょっと踊ってましょうか」

助監「主催夫婦だけで踊ってたりしますかね」

監督「ん~、確かに……ブースにいる旦那に話に来た感じとか?」

助監「夫婦っていうより店長と愛人みたいになりません?」

監督「抱き合ってみる?」(←遊んでんだろ絶対)

 

この間、二人の役者は言われるがままに身体だけ動かしてます。(ドライで本気のお芝居をすることは、まずありません)

この「抱き合ってみる?」に対して、無心で抱き合って「ん?これ違くない?」の顔で監督の方をキョトンと見た私たちのテンポがあまりに良すぎて、しばし笑いが起こったのですよ。。

この撮影の期間、私たちは子役とばっか遊んでましたので(←子どももいた)、夫婦としての距離詰めは(子どもを通してしか)ほぼしてませんでしたが、それにしちゃ息のあったネタ振りだったと思います。(ネタじゃねんだけどな…)

子どものいる夫婦役は恋人とはまた違いますので、身体関係より信頼関係を見せられればよいんですけど、芝居の上で相手をパートナーだと認識しているので、色々躊躇はないのです。

故に「抱き合ってみる?」と言われ「はいよ」と抱き合ってみたものの、そもそも芝居としての流れも辻褄もさっぱりなので「ん?これ、どういう状況?」と。。。

監督「あ、うん、ごめんww」ってな感じでした。

この時の奥さん役の方、確か一個歳上とかで芝居歴も長くて、そもそも「出来る」女優さんだったんですが、、たまたま「間」の似た方だったんですよね。

「抱き合ってみて?」って言われて抱き合うのはお仕事なんで当たり前ですが、急遽の演出の場合、普通はもう少しだけ探りの間があるんですよ、一応。。特にドライのタイミングであれば自分がOKでも相手サイドは解りませんし、「どうします?」「あ、大丈夫ですよ」「じゃあしときますか」「OKです」くらいのアイコンタクトがあるもんなんですが、この時はそれがめちゃくちゃ早かったんですよね。

まぁ、単純に「あ、この人出来る役者さんだ~」っていう認識が前提にありますが……「どうします?」が「いっとく?」だった上、ほぼ同時だったので、「OKです」もすっ飛ばして「GO」だったんですよね、たぶん。

なので、「ん?これ違くね?」までの流れがスムーズ過ぎて、テンポだけで言うなら「イエス、フォーリンラブ(古い)」のあれみたいな感じになっとったわけです。

しかも、キメ顔じゃなく「抱き合いましたが?」というクエスチョン(二人とも)だったので、そりゃ監督陣も笑いますわな、、と。

 

事務所とかつかないでずっと舞台の人~とかだと、退いたら負けって意識があったりするので、確認もなく「GO」な人もいっぱいいますけど、映像現場だと珍しい気がします。例に漏れず、自社が極端に厳しいだけって説もありますけどね。(←私個人は舞台出身&現場優先なので、抵抗無いんですけども)

そもそも、よく考えたら「抱き合ってみて?」ではなく「抱き合ってみる?」だったんで、その時点で抱き合う必要は一切無かったんですが、その時は日帰りの山地ロケだったので「サクサク行きたいっすね」っていう意識がお互いにあったんですよね。。(別にそんな話はしてないけどその辺は解る…)

 

まぁただ、、この方とのお芝居は間が合いすぎて逆に不自然が生まれるタイミングがしばしばあって、NGも出してたんですけどね(遠い目……)

客である友人夫婦を迎え入れる際、私は旦那さん側に奥さんは奥さん側に~って輪に取り込む形で二人を迎え入れたのですが、動き出しのタイミングが同時過ぎてモーセの十戒みたいになっちゃったり……ね。

打ち合わせしてないのに、スっと一歩引くタイミングが被って二歩引いた感じになっちゃったり~とかもしたので、芝居の相性が良いというよりは、むしろ悪かったんだと思います。まぁ軌道修正はすぐ出来ましたし、基本やりやすいお相手だったんですが、息が合いすぎるのも考えものやな~、っていう新しい発見でした。

どちらも「抜き」よりなナチュラル重視の役作りしているのに、動きが揃うせいで「作り物」感が出ちゃうんですよ。。

 

本来「被る」ってのは、インプロやエチュードでも初歩的なミスでして、お互いが動き出しそうなタイミングを察知して譲り合うもんなんですが、、それすら被ると稀にこうなります。「どーぞお先に(ハモり)」「ぁ、じゃあいきます!(ハモり)」ドーン!な感じです。

私の間はわりと独特なはずなんで、そもそも滅多に被らないんですけどね……こういうこともあるんだな、と、勉強になりますた。

 

まぁ、ただここで言いたかったのは間の話ではなく、オープンな身体感覚について、なんですけどね。

 

「ランウェイで~」の着替えのくだりともよく似ているんですが、容姿の善し悪しは一切関係なく、役者の身体は撮る側からすれば素材であり、役者自身にとってはツールなので、自在に距離を扱えなければ話になりませんし、いちいちあれこれ抵抗してられんのです。

お仕事なら、ですけどね。

 

海外映画のお仕事で、銭湯のシーンがあったんですが、、海外の監督さんに「休憩中はちゃんと隠して」と(通訳で)言われたことがありましてん……w

その位「気にしてない」状態になるんですよね。。

カメラ回ってるセットだろうが「ここは風呂」。

赤の他人だろうが「オレの嫁(←言い方)」って信じてなきゃ始まりませんからね。。頭で信じるのは初歩中の初歩です。。身体に信じさせて頭に余力を残すことで、客観的な見せ方や間合いを考えながら動かせるようにならないと、「お仕事」としては出来ませんからね。。

 

とはいえ、これは役者モードの時に限ったお話ですし、相手も役者だから成り立つものだったりします。

普通は相手の身体の緊張や距離感もあるので、誰彼構わず距離詰めたり~ってことはしません、、というか、元来のオフモードの私はむしろ鉄壁クラスに身体距離が遠いので、わりと「あんまベタベタ触んないで?」ってなります。(役者やってから、だいぶ緩くなりましたけどね)

 

ただね、オタクしてるとじゃっかん役者の感情解放モードに近しい身体距離感覚になることがあるんですよね。。(熱量のせいかしら…)たぶん、単純に身体のテンション上がるからだと思うんですが、昔はスポーツやったりしてテンションが上がっても、ハイタッチ以上の触れ合いは「嫌」だったんですよ。。その辺の線引きは大きく変わりましたね。

だから、テンション上がると、衝動的にハグくらいはしたくなることがあるのですよ。

オタク相手にも、水無瀬さん相手にも。

ただ、相手が身体解放されてないと自然に止まるんで、基本的には一瞬よぎるだけ~な感覚なんですけどね 。

ライブ後の水無瀬さんにも、たまーに(日による)ガバッていきたくなることありましたなぁ(←言い方)。いきませんけど。(←当たり前だ)

 

え、おまえ、特典会とかいつも緊張でテンパってんじゃなかった?  と、過去ブログとの矛盾に気付かれるかもしれませんが、、実は矛盾してはいなかったりします。

私が頭真っ白になりがち~、で、ろくに喋れないのは事実ですから。

 

心の緊張と身体の緊張は別物なのですよ。

だから、感情をいくら落ち着けても震えが出てしまったり、本気で好きだと思って芝居していても身体距離が埋まらなかったり~なんてことがあるのです。

が、逆も然りでして。。

私、特典会は終始どキンチョーなんですが、傍から「そうは見えない」と言われる原因は、たぶん身体はキンチョーしてないから、、むしろちょっと前のめりなくらいだから~……だと思うんですよ。

 

心はわりと常に「どーしよどーしよ💦」ですけどね。

 

勿論、身体も緊張することはあるんですけど、、水無瀬さんの第一声でだいたい身体の緊張は無くなります。故に上手く喋れてなくても、身体のテンションが高い時は「ゆきちゃんゆきちゃん」ってしっぽ振って、言葉とはチグハグ~な感じになってたりもするとですよ。(←ライブ後の特典会とかでありがち)

そんな自分を振り返って、、口調や言ってる内容とは関係なしに「コイツたまにグイグイ来るな……」って思われてたんじゃないかしら、、と、今更ながらハラハラしております。

因みに、おつむの方はちゃんとテンパってて「ゆきちゃんゆきちゃん」で頭ぐるぐるしてるから、よくチェキとか携帯受け取るの忘れたりするのですよ(←わりと常習だった気がする)。

ツーショの後、戻り際に「いらないの?」って何度言われたことか……。

 

因みに、覇気がないモードの時がデフォなんですけどね。(ふだんはゆる~っとノソノソ生きてる)

こうして振り返ってみると、現場ではちょいちょいはみ出してた様な気がするな~、、と。(ちょいちょいか?)

ただまぁ、ハグ衝動は水無瀬さんのテンションが高い時に限られます。別に水無瀬さんが「114514」に見えた~ってお話じゃなく、テンションとテンションが重なるとそんな気分になるよ~ってお話です。

水無瀬さん自身が、ライブの熱冷めやらぬ~って方だと思うので、たまにそのテンションに乗っかって「ゆきちゃーん!」って行きたくなるんですよね……身体が。。行きませんが(←そうしてくれ)

てゆか、だから、女の子のオタさんめっちゃ羨ましいですもん。。私もキャッキャしたいですもん。(まぁ、容姿の問題をさて置けるならですけどね……)

まぁ、その都度の水無瀬さんの(身体的)テンションに関しては、、これこそほんと、ただの「たぶん」……なんですけどね。。対水無瀬さんにおける自分に関しては、さっぱり掌握出来てる気がしませんので、おつむの方がテンパり過ぎてて身体感覚のアンテナがぶっ壊れてるだけかもしれませんから。。

あとね……テンション上がると一瞬本気で忘れるんですが、、「あ、やべ、オレおっさんだったわ」ってなるので、基本すぐ勝手にブレーキかかります。さすがにずっとウズウズしてるわけじゃありません。

そういう意味では、机を挟んで握手から~っていう順番はとても良いですよね。両手広げてバーって駆けて行ったらスっと手を差し出されて「あ、はい。握手ですね…」ってなるあの感じ。(あくまでイメージです)

クールダウンにもなるし、何より意味するところはハグと同じですので(なんつーか、ハイタッチとか含め、強弱みたいなものよね)「落ち着け~」ってなりますものね。

 

ところで、この身体感覚~なんですが、、不思議なのは、頭部と身体で分離してるところなんですよね。

どちらも感情と直結しているはずなのに、反応や状態は必ずしもイコールではないのですよ。

勿論、厳密には全部ひと繋がりですから、逆位置の末端とでも言えばよいのでしょうか。

身体の中でも顔(表情とか)はまた別枠なんですよね。

まぁ位置取りは「身体」のはずなんですが、声や言葉に繋がる「思考」と連動しやすいんですよ、顔は。

思考の方もわりと上部に留まりがちですしね。

だから、首から上だけしか把握しないまま物事が進むことってわりと多いのです。(身体の有り様に無自覚な状態)

よく「仕草に現れる深層心理~」なんてのを見かけますが、あれはつまりそういうことです。

(ので、身体を「意識」してる人には通用しないお話です。あれはあくまでも「無意識」で身体に現れる感情を拾うものですから。。)

 

まぁそもそも、、ライブ終わりとか絶対(私が)汗ダクなんで、冷静に考えたらオッサンじゃなくても嫌なんですけどね。。

そういうのさて置いた上で、身体の正直な衝動を拾うと、ゆきちゃーん!の先にハグってしたい衝動は自然に起こる(ことがある)らしいです。  しませんけども。(←これに関しては、念を押しまくっておきませう)

 

オッサンの私がこういうこと言うとすーぐアウト~なラインに響きそうだし、実際にしてなくても問題発言にはなりそうでなんですが、、少なくともハグしたくなる衝動は、ガチ恋だなんだ~っていう側面から生まれてるわけじゃありませんし、、いたって健全な衝動だとは思うんですけどね。。(いや、しちゃダメなのはちゃんと解ってますからね?←当たり前だ)

ま、これに関しては言わぬが仏でしょう。(←言いやがったけどね)

 

じゃ、なんで言ったのか…。

一応、私はあれこれ問題の細分化、整理整頓の最中ですので。。

ハグしたくなる……は、私から見ても問題発言なわけですよ。。ただ、たぶん問題点が違うとです。。

別に hshs の末に~ではないので、オタクとしてヤバい域……って話じゃなかとです。

むしろ、これに関しては真逆でありまして。。

たぶん、この感じは「仲間意識」なんですよ。。

つまり、、私がオタクになりきれてなかった部分の現れだと思うのです。

先に述べたように、オタ仲間相手にもそんな感じになりますが、そりゃ文字通り「仲間」だからです。水無瀬さんにも、ライブ後に「お疲れ~」って一瞬飛びつきたくなっちゃうあの感じは、たぶん自分がプレイヤーだと認識してるんですよ……身体が。なんなら、一緒にステージ立ってたテンションなのです。。

いやぁ、、超烏滸がましいなぁ……。勿論、頭では違いますよ? 「ボキはひっそり生きたいんじゃー」って思ってますし、そもそも「ふぁー、ゆきちゃんだー」の時点でドッキドキですから。。ただ、身体の方は「お疲れ~、最高のステージだったよ~」が、共演者ノリなのですよ……。しかも、仕事じゃない舞台とかのテンションなんですよね、あれ。

まぁ実際、夢アドさんのライブに行くと、1ステージ立ったくらい感情と体力使いますし(←おまえは動きすぎなんだよ)、逆に映像のお仕事なんかでは、むしろ大人しくというか大人らしくしてなきゃならない分もっと冷静なので、それよりテンション高いのは当たり前っちゃ当たり前なんで すけどね。。

完全に趣味だった頃のステージの感覚なので、もしかしたらお仕事でステージ立ってる水無瀬さんよりテンション高いことあるかも……、いや、それは無いか。。例えお仕事でも、水無瀬さんは、ライブを全身で楽しんでる印象がありますから。

ライブを通して「呼吸が出来る」人だと思いますから、、だからこそ、水無瀬さんのライブを見に行くことで、私も呼吸が出来てたわけですしね。

 

ただ、、これってそもそも私だけなんですかね。。

さっきも言いましたが、女の子たちの駆け寄ってく感じは近しいものある気がしますし、男性陣も「おっとオレただのオタクや」って急ブレーキ踏んでる人、他にもいておかしくない気がします。てゆーか、いてくれ。。恥ずかしいから。

身体のテンションが上がるとオープン寄りになるのは、別にプレイヤーに限った話じゃありませんからね(先にチラッと触れましたが、スポーツなんかもそういう側面ありますしね) 。ただ、距離感…というか立ち位置に影響が出るのは芝居人だったから~な気もしますので、、その辺はどうなんでしょうね 。

 

ん~でも、、やっぱそこはあんま関係ない気もしますな。。

 

なんかここに来て、「オタク特有の一体感」って、他でも見かけることに気が付きました。

例えば、熱狂的なサポーター……ってそうですよね。厄介=フーリガンですし。

「好き~」の共有と、興奮(テンション)で、距離感縮まるのは普通なのかもしれせんね。

ただ、サポーターと選手がハイタッチしたりハグするようなことはまず無いでしょうから、、やっぱり、プレイヤーサイドとファンサイドは、それぞれ別枠の仲間なんでしょうね。

つまり、私がハグしたくなったりするのは、やっぱおかしいとですよ。大迫~!!つってフィールドに飛び込んでった時点でフーリガンですからね。

ああでも正にだな、万一私が「ゆきちゃーん」つって突っ走ってったら、厄介(どころの騒ぎじゃねぇか……)としてつまみ出されて即出禁ですもんね。

いや、だからしませんってば。。自己分析でそういう側面を掘り返してるだけで、私にも理性の一つや二つは備わってますから……たぶん。。

 

しかして、衝動に関してはどうなんでしょうね。スポーツ観戦に熱心な方々って、得点入ったりすると周囲の人と肩叩きあったりハグしたりしてるじゃないですか。 あれってプレイヤーにハグしたい衝動の代わり~だったりするんですかね。

でもあれはやっぱり、仲間として~ですよね。

端から対プレイヤーにそういう衝動は起きないもんなんですかね。

「うぉー、中山~っ!!(←古い)」つって抱き合ってる人ら見た時は、、どっちも中山くんじゃありませんでしたが……それでも「代わり」とはちょっと違いますもんね。。

やっぱり私の衝動はズレとる様な気がしますね。

むしろ、ガチ恋拗らせて「触れたい」ってなってる人の方が(アウトだけど)、感情と身体の連携としては正しい気がします。

そもそも、しっぽ振ってるのもおかしいのかしら……。いや、それはみんな振ってるか。。

同じ目線と錯覚するのが良くないんですよね。

水無瀬さんと同等~っていうよりは、自分がプレイヤーの気分を残しちゃってるんでしょうね。。

客になりきれてない……のかもしれない。

いや、、でも、おもっきし客だけどなぁ。。

 

もうちょっと厳しく切っておきませうか。

どっかでまだプレイヤーを気取ってたんでしょうな、と。気取ってんじゃねぇよ、と。

そういう切り替えの温さは、いざONにする時に出ちゃいますわよ、と。

うん、我ながら痛々しい発見でありました。

執着やプライド……ならまだいいですが(やだけど)、、もっとチープな皮を被ったまんまなんだろうな……と思います。別にオタクであれとは言わないけれど、何者でもない自分をちゃんと受け入れないと、自分の足で立てなくなるわのよ。また、歩けなくなるわのよ。

すーぐ保身やカッコつけで何かであろうとするの、良くない癖だ。。

だいたいね。人間誰しも何者でもない瞬間が一番弱くて一番強いのですよ。

最近は防御特化系が流行ってるみたいですけどね……鎧や盾はそりゃ強いけど、枷にもなるのです。それがお飾りの盾なら尚のこと、、ただ邪魔なだけなのですよ。

 

己が矛の先を見失わなければ、纏うものなんざ要らないのです。

己が指針を「矛先」と言いまする。振り回す刀や斧ではなく心に一本の槍を持て、と。

お気づきでしょうか、、脱線しまくって脈絡の無い話をつらつらと並べているようで、壮大な振りだったりするのですよ。

今回は主に設定を練って遊んだだけですが、この記事全体がネタ帳だったりするのです。(一部全然関係ない話もしてますが)

普通は箇条書きに書き出して組み立てるんですけどね。

せっかくなので、紐づく実体験と共に記事に混ぜ込みましてございます。

 

下記の設定に上記の屁理屈を反映していくと、はたしてどんな「物語」になるのでしょうな。(屁理屈いうなし……)

 

あ、そうだ。これは改めて言っておかないと。。

散々弁解しといてあれなんですが……

たった一回、最後の最後にぽーちゃん呼びされた時に限っては、明らかにオタクとして……否、何者でもない私として、水無瀬さんを抱きしめたくなっておりました(これは前にも言ってますが……)。

あの時のあの感じは、上記の衝動とは別物であります。

感極まってたし、先の見えない不安もあったし、水無瀬さんから儚い空気感を感じていたし、色々歯がゆかったし、、そもそも私自身が半壊状態(後に発覚)だったと思われるので、、あの時の衝動は、もうなんか色んな感情の集合体です。。

言葉にならない思いを身体が伝えたがっていたとです。だから、あの時に限っては、、マジで御容赦願います。いうて、流石にみんなそうだったやろ!?  って思ってますしね。(←違ったらどうしよう……)

 

うーん、、にしても、どんどん脱線するなぁ……。

 

身体距離のお話……でしたっけ?

ジュリエット=カオリちゃん役の子は、身体距離がめちゃくちゃ遠い子で、まず近距離で話すことが無理~って感じからスタートだったので、「向き合う」ための努力は、私の比ではなかっただろうなぁ、、と思っております。

「強化合宿」で、だいぶ慣れてはくれましたけどね。

一晩中、ずーっと腕枕でお話してたとです。

先にも言いましたが、私自身はこの手の荒療治に頼るのは負けな気がして好きじゃないのですが、相手役に慣れてもらうために協力するのは厭わないのですよ。

 

超余談を添えますれば、、更に舞台裏~なリアルにおいては、私、ショウコちゃんの中の人と付き合ってたんですけどね。。(学生時代ずっと連れ添ってた子で、そもそも舞台に乗る前からの付き合いです)

だから作演は、私にではなく彼女に頭を下げておりました。「ちょっと一晩お借りします」と。

私が芝居を始めてこの団体(私はそもそも所属ではない)に参加するようになった時には既に付き合ってましたので、わりとずっとセット扱いだったのですよ。

その上で、浮気相手役に配置してくれるんだから、ほんといい性格してます。

まぁ、お互いそういうとこ気にする人間では無いので、彼女の部屋で「ちょっと読み合わせしよっか」と、大真面目に自分の彼女口説いて肘鉄砲食らってましたけどね。。

二人とも役者だから~っていうのもありまして、、相手が誰かと恋人役とかやってても気にしませんでしたしね。

ただ、、圧倒的に私の方が色恋シーン多かったですけど……(←わりと主役ばっかやらされてたヤツ)

 

一方で、小劇団でこの規模のカップル役を本気でやったりすると、役者同士の歯止めが効かなくなって主演がデキちゃう~ってのも、よくあるお話ですよね。(私は、一切そういうの無かったですけど)実際、共演がきっかけで結婚~なんて有名なカップルもゴロゴロおるわけですが、、それくらい心と身体を開け渡すからなんですよね。。

まぁ、そこは「線引こうよ」って思いますけど、、稽古期間の長い舞台なんかだと特に、お互いの人間性にどっぷり触れることになるので、急接近すること自体は当然っちゃ当然なんですよ。

逆に二度と顔も見たくない! ってなって終わる人たちもいますけどね。

ただまぁ普通は仲良くなります。

私たちがやった様なリハビリめいたことをしなくても、身体的な距離は嫌でも近付きますし、向き合ってる時間も長いですからね。。

実際、毎回共演者にガチ惚れする女優さんもいたりするので(女性の方が多い印象) 、役と自分の境が曖昧で~ってパターンもあるのかもしれませんが、、どちらかというと、単純に人として深く関わるからだと思うのですよ。

 

私個人は、(特に相手が初心者の場合)、身体的な慣れより、役者同士の信頼関係に重きを置いているので、その期間、その子とめっちゃメールや電話してますた。

普段はそこまでやらんのですが、シュウジとカオリに関しては、馴れ初めやら思い出の場所やら、カオリの飼ってる犬の素行まで、イメージを擦り合わせて二人の世界を作りこんでおりました。勿論、全部フィクションですし、もう忘れちゃいましたけどね……(犬の名前がキナコだったことは覚えてます。。なんか、本番当日にきな粉を差し入れた覚えがあるので)

そもそも、シュウジとカオリは最後以外は終止「喧嘩中」なので、こういうのを直接活かすシーンはほぼ無いんですけどね。まぁ、プロとして触れてる人間からすれば、当たり前の話ですが……前提の「好き」を作らずに喧嘩のシーンばっかり演じさせると「君ら今すぐ別れた方がいいよ」っていうカップルが出来上がるのです。

台詞の上では「大っ嫌い」ですからね。

これ、ツンデレみたいな「好き」の裏返しじゃ無いので(怒ってるんだから)、台詞の言い方や中身を変えてはいけません。「嫌い」や「別れる!」は、本気で言ってるのです。ただ、彼らには過去があり、今も捨てきれない思いがあるのです。いや、当たり前の話なんだけど、、わりと出来ない人多いんですよ、コレ。ちな、、こういうとこでつまづく人にも、身体感覚の荒療治は有効だったりします。そもそも、近しい間柄あっての喧嘩なんだよ~ってことを、先に身体に教えるのです。

「手を繋いで全力で喧嘩して!」とか、、わりとよくやる手法です。

 

それくらい誰でも解るでしょ!?って思うかもしれませんが、意外と台詞を「思い出す」芝居をしているうちは出来ないもんなんですよ。目の前の「台詞」とシンプルな感情で手一杯だったりしますからね。

 

因みにですが……私は、この手の課題でつまづいたことあまりありません。(ドヤ) この辺は、最初っから出来た勢です。(ドヤ)

台詞入れサボって、直前暗記した時なんかは、似たような感じになることもありますが、そういうの回避する小手先の「見せ方」もありますので。。(←良い子は真似しちゃダメ)

 

それよりは私、ショウコちゃんサイドのお芝居の方が苦手でした。彼女いても気に入った子いたらフラフラしちゃう~ってとこまでは、まぁなんとなく想像で出来るんですが、ショウコちゃんへのちょっかいに横槍が入ると本気で怒るし、上手くいかないと本気で凹むんですよ……。ん? 浮気な上に、まだ進展もしてないんでしょ? 浮気って遊びじゃないの? なんなの? って。。  シュウジくん、ショウコちゃんに対して超一生懸命なんですよ。。 対して、カオリちゃんのご機嫌取りも必死でするし、そのために嘘塗れで……何がしたいんだこいつは、、って感じなんですよね。

プレイボーイっていうよりは、口八丁手八丁の八方美人(が、出来てないヤツ)って感じでして。。

勿論、分割すればショウコちゃんへの恋とカオリちゃんへの愛を演じ分けることは出来るんですが……一人の人物としてみると「ん?」って、なっちゃうんですよね。。

まぁ、そういうクズ男くんですから、客から見て「そんな男止めときな」ってなったら、その舞台はそこで終わるのですよ。。(そういうお話なら別に良いですが、あくまで着地点はハッピーエンドですからね)

カオリサイドの愛情が隠れきってしまったら、結婚なんてゴールは薄ら寒いこじつけになっちゃいますので。。

シュウジサイドも、最低限「おまえもっとちゃんとしろよ」って思って貰える範囲のクズでなきゃならんのです。

若い頃は私自身がわりと異性関係に潔癖だったので、脚本読んだ時点では「コイツ、既にアウトでしょ…」って思いましたけどね。。

そっから、カオリに愛されるシュウジ像つくるの…苦労しますた。。

 

正直、これはシュウジの芝居だけではどーにもならんとこがあります。喧嘩してない時(一緒にいない時)のお互いの芝居が重要になってくるんですが、シュウジはそこでショウコちゃんまっしぐらですので……

カオリの中のシュウジ像を育てるのは、私にとっても重要項目だったのですよ。

 

ただまぁ、メールや電話の半分はそんな詳細設定や演技の相談ですが、あとの半分は役の外側の世間話や悩み相談です。単純に役者同士の距離詰めも兼ねてましたからね。

勿論、これは学生時代だからやってたことです。そもそもうちは、共演者さんとの連絡先交換は不可ですし、そういうことしなくても相応の距離感、感覚を用意していくのがお仕事ですから。。

因みに、この子からの相談~は、舞台後もしばらく続きました。彼女の遅めの初恋の始まりから終わりまで~……と、あと就活というか将来の悩みなんかも聞いてました。

ただ、学年で言うと二つ下の子なので、彼女が将来に悩み始めたのは、私が会社辞めて芝居やるわ~って頃合なので、、ろくな相談相手じゃなかった気もしますけどね。

 

もはや、ロミジュリの話じゃありませんね、これ……。

 

いやはや、脱線めちゃくちゃ長かったです。。(猛省)

舞台の話はあくまで私が「触れた」ロミジュリでありまする。私なりのロミジュリを、、が今回のテーマですからね。

 

今度こそ本筋に参りませう。。(←何回目だ……)

 

まずは、お絵描き。

今回は似せるというより、水無瀬さんの中のメスっ気とオスっ気を描き出せないかしら~、というトライから描き始めたのであります。(←まーたそういう)

要は一人ロミジュリ……。

この絵が先にあって、シナリオイメージが膨らんでったのが今回の「遊び」の道筋です。

 

が、、他が長すぎるので、「絵について」は、サクサクまいりませう。


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色気とメスっ気はちゃうねん! ってところで迷走してしまってわりと表情や輪郭もぐるぐるまわぁる、でありますた。

 

ちな、迷子中のサイド「メス」がこちら。。

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うん、右の絵がもう別人な感じですよね。。

 

パースも狂ってて、筆が迷子ってるのがよく分かります

 

そもそも私、意図的にメスっ気を割り増しで出してくる女の子苦手……というかちょっとイラッとしちゃう口でして、、

滲むってか、、ほのかに香るくらいなんだけど、はっきり見えるメス感ってどんなよ?って辺りで迷走しましてん。

 

……で、結論は、

「あざとさも駆け引きも一通り解るしできるけど、そういうの面倒くさくない?」っていう一周回ってきた感。

ただ「そういうのたりぃ~」って投げやりな構えじゃなく、「もっとシンプルでよくない?」 っていう余裕感。いわゆる「抜け感」……かなぁ、、と。

 

まぁ、それがちゃんと描き分けられているかは別として、、下の迷子絵から上の絵に向かう際に目指したのはそういう空気感です。

品のある脱力感とでも言いますか、、そんな感じです。(←雑)

 

むしろオス感は迷わないんかい!ってとこなんですが……。

一切の迷いなしでしたね。。

そもそも男っぽく描きたかった訳ではなく、強さと脆さの共存みたいな空気感が描きたかったので。

 

で、そんな描き分けの後~


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ちょっと遊んでみました♪(←やめろ)というわけです。

 

全手書きなので安っぽさ満載ですけどね。

 

さてさて、せっかくイメージ画があるので、「どんなお話か」想像して遊んでみませう。(こっからが今回の本筋っていうね……)

 

Twitter でフライヤー(風)の妄想絵を見た後にこのブログを読んで、既に嫌な予感がしている方がいたらご安心くださいませ。間違ってもその恋(?)物語に私が絡むような茶番はありません。

例えごっこでも、物作りにリアルの妄言は持ち込まないのがポリシーであります故。

そもそも私は、私自身の存在で作品を汚すことを一番嫌うのですよ。。。

ごっこのプロットであっても、私がやるべきではないポジションに私をあてがうなんてことは、絶対に致しませぬ。

 

まずは、絵の「ふたり(?)」から、広げてまいりませうか。

役名は、坂口 ミオ と 江藤 ジュリア で良いですかね……ダサいですね、止めましょう。(←ぉぃ)

 

ミオとジュリで良いでしょう(o_o)←安直

漢字、美桜と珠璃 で、、うん。

(因みに、既に「ミオとジュリとエット」という舞台が存在するよ?って情報は、知ってますので不要であります←)

 

えっと、、(←わざとらしい)

この二役、どちらも水無瀬さんにやって頂きたいんですが……いけますでしょうか?(誰に聞いてんだ?)

というのも、一人物の別人格として描きたいんですよね。(まぁそこはお察しかとおもいますが)

 

タイトルの「矛振ル」は、まんま 「シェイク・スピア」なわけですが(ㅎ.ㅎ )ゞ 間もなくは、時間だけではなく「隙間」も指しておりまして。

シェイクスピアも入り込む余地が無いくらいの近接的な悲恋を描いてみませう~ってなお話です。

そもそもロミジュリは、二人の立場……距離の遠さを壁として描いているわけですが、反してこちらは近過ぎた故に叶わない恋、という所から初めてみませう、と。

 

つまりは、同一人物内での人格間ロミジュリが書きたいわ~ってなお話です。

まぁ、ナルキッソスにも類似する訳ですが……

自分の外見めっちゃ好き~なお話ではありませんので別物かと。。ただ、相手が「自分自身」だと気付いてない点においては、ナルキッソスと変わらないんですけどね。。

今回の大筋は、自分の内面に救われ、支えられ、、っていう当たり前のことを、人格を分けることで「叶わぬ恋」にまで発展させちゃおうってお話です。

 

多重人格の恋、なんて言ってたから、「別々の人格で同じ人を好きになっちゃった……」「どっちかが消えなくちゃ」→「どっちもおまえだろ?」 → ドットゥンク……的な「いや傍から見たら最初っから最後までただの両思いやん!」的な実質1体1の三角関係とかイメージしましたでしょうか。。

それじゃ結末見えてますからねぇ、、そんなもんは書きませぬ。(今回は、ね)

 

因みに、、多重人格の人格間での恋愛は「ある」らしいのですが(理想像や、抑えきれない衝動なんかが人格化して現れることもあるため、異性人格は「超嫌い」か「超好き」なタイプになりがちだったり、、するんだとかしないんだとか←知らないw)、、

しかして、今回のお話はそういう自分の内側で起こる話ではなくて、そうとは知らず「外側で出会ったもう一人の自分」なわけで……会いたい、、触れたい、、が生まれた上で、「会えないよー」「触れらんないよー」「無理だよー」って、なる悲恋の形が書きたいのです。

同時に「自分を好きになれない」二つの人格が惹かれ合うことで、客観的に見たら自分って捨てたもんじゃないじゃん? っていう「気付き」系の物語でもあるんですけどね。

 

あれ、人格内恋愛がありなら悲恋じゃなくね? って思った方、「それはそう」なのですよ。上記の通りにつがいの人格が有り得るのであれば、人格同士が結ばれることは出来るのです。それが、自分だと知っていれば……ですけどね。

好きな人に会えない、触れ合えない……というのは、充分悲劇たりえるのですよ。

 

「シェイクスピア」のミスリードのために、どちらかは薙刀部に所属して頂きたいんですが……。ロミオサイド……ミオちゃんの方ですかね。薙刀は槍じゃないですが、ミスリードだからそれくらいの方が良いです。

ま、単純にミオは運動系で且つ和風の部活の主将がいい!ってのもあるんですけどね。

 

たぶん、恋としての歯車を動かし始めるのはジュリちゃんの方だと思うんですけどね。。先に惚れるのはどっちかしらね。。ま、そこはエピソード次第でどうとでも出来ますかね。(←今回、恋愛エピを練る気はあまりないのです)

 

ただ、支え合い惹かれ合う……を、傷の舐め合いや依存関係で描くと痛い話になっちゃうので(どっちも自分ですからね)、お互いに見落としていた良いとこを見つけて惹かれていく、ポジ恋が良いですな。

ただまぁ、いくらポジったところで実らないんですけどね。。(←いらんこと言わんでいい)

 

大筋は、まだ見ぬ「あの人」と秘密の百合文通……ってとこですかなぁ。

 

お互いがお互いに影響されるようになって、徐々に揺らいでいく自分の輪郭。。凝り固まった冷たい世界をパッと広げてくれた「あの人」の存在。

しかして残念。恋した相手は、なんと自分の別人格でした~……って、このノリで書くとわりと痛い感じですけども……(←言い方の問題)

これは、先のボツネタ(三角関係w)でも共通する話ですが、人格には「相手のために消える」という選択肢がありますので、わりと心抉る悲恋は描けると思いまする。

 

というか、文通をネットにするだけで、ニアミスはもっと簡単に描けるんですけどね……、PCとスマホとか。

例えば、ミオはスマホの所持を(親から)許されていないと思っているので置き場所を知らず、ジュリはPCとかよく解んなぁいから立ち上げもしない、、とかね。

ただ、舞台よりは映像向けの仕掛けだし、、電子は言葉が軽くなるんですよねぇ……まぁ、、いいか。

電子でやりませう。(ナレーションで読み上げるかは悩みどこね……←やり方ミスると安っぽくなる)

一応補足しておくと、無自覚な多重人格者は自分(人格)の存在を脅かす不都合な矛盾点を見ない……というか無意識下で避けるものなので、これくらいの棲み分けで充分成立はするでしょう。

一応、精神疾患なので、記憶が捏造されてたり、辻褄の合わない出来事は忘れてしまったり~ってのもあるみたいですが、、ストーリーの進行中にはあまりそういうのを如実には起こさない……っていうか見せない方向で進めたいですね。

ちょっとずつ違和感を残すくらいが理想的。

 

二部屋以上ある家に住んでいて、「家」のシーンが別の家っぽくなるように見せるのがベターですね。

つっても、コレは映像向けの演出で、、抽象的なセットの舞台なら、ワンルームでも見せ方ありますけどね。

 

共通の持ち物とかあるのも良きですね。

 

ミオくんは性同一性障害で悩んでいるんでしょうね。時代が時代なら、女性の中の男性人格の描き方は、極端な「男真似」でやるんでしょうけど、女性の身体で男性の心を持つ人のイメージが受信側に浸透している現代なら、「戸惑っている」方が自然でしょう。

同級生にも胸の内を知っている友人はいるし、同性からモテたりもするけれど、女子校だから制服で生活しているし、家柄を気にかけて家族にも打ち明けられないため、完全に「男」として過ごせるのがネットの中だけ……。

そこで、ミオが初めて男の子として思いを寄せた女の子がジュリだった……というわけです。

 

対するジュリはと言えば、勘当同然で家を追い出された(と思っている)非行少女タイプで、遊び歩いているパリピ……。

なんだけど、育ちはいいもんだから仲間たちと価値観は合わない。街に出れば友だちはいるし、イケメンの彼氏だっているけれど、薄っぺらな人間関係、中身のない会話、ルーチン化している義務的な「遊び」に居心地の悪さを感じている。

ダメな自分は親に見放されて、知人の経営する夜学なんかにぶち込まれて…開き直って遊んではみたけど「やっぱりお嬢様」と一線を引かれる。「あんたたちとは違う」オーラ出しちゃってるのは自分なのだけど、、「私の居場所はどこにも無い」「帰る場所もない」と、そう思っている。

 

いやはや、ありがちですが、、輪郭は見えて来ましたな。

 

主人公二人をきちんと演じ分け、それぞれの日常と非日常をお互いに支え合い、価値観の歩み寄りを繰り返して行く様を、いかに「ロミジュリ」に描けるか~ですね。

家はどちらも「名家」だと認識していて良いでしょう。

ただ、家柄に持つイメージや、両親から自分に向けられた思いは、それぞれ解釈が違う方が良いですね。

同じ学園ではあるけれど、ミオは昼(普通科)の優等生、ジュリアは夜学、、とかで、リアルに生活が噛み合わない感じが良きかなぁ、と。起きてる時間帯が違うからって理由で、同時進行は有り得なく出来るので、矛盾をガッツリ潰せますしね。。

 

まぁ、悩ましいのは「出会い方」ですよね、、

同一人物ですから、食パン加えて何百回曲がり角曲がってもぶつかることはありませんから。

 

あくまで文通の趣向ですから、、言葉で繋がって欲しいですね。。

 

ミオが図書室で借りてきた本~とかに、、いや、逆だな。。本好きはジュリの方でしょ。ジュリをただのスレたパリピにしちゃうのは違う気がするし、「二人とも」繊細なはずですからね。

ジュリが図書室で借りてきた本に、ノートの切れ端が挟まっていて、そこには詩の一説が走り書きされてるのですよ。

「あなたも寺山修司好きなんだ……」的なのは、出会わないことには始まりませんから、、そこはまぁミオの自作でしょうな。

作品というよりは、思い浮かんだ言葉を走り書きしたメモでしょう。ミオは携帯を持っていない(と思っている)ので、紙媒体にメモするのはありでしょう。

 

メモを栞代わりしていた~よりは、栞の裏に書き留めていた……の方が良いですかね。

 

しかし、こういう共通の趣味的な物を作ってくとなると、演じ分けは難しくなってきますなぁ。。繊細な部分で触れ合うのであれば、極端な演じ分けしない方が良いですしね。。。

うぬー……。

こういう舞台は「本人の中でのイメージ」として描くことも出来るので、ミオとジュリの役者さんを分けても良いかもですな。。(水無瀬さんごめんなさい…←何がだ?)

その方が、文通の描き方は格段に楽になりますし、同一人物だと最後まで解らない方が、段階別に楽しめる作風になると思います。

まぁ、そこが最初から解っていても充分「気になる」シナリオを書ける設定だとは思いますけどね。。(そのつもりでしたし)

映像なら演じ分け一択ですが、舞台だと早着替え大変そうだし。

 

ちょっと、その線(演者を別ける)でイメージ広げ直してみませう。

 

仮にミオを小林さん、ジュリを志田さんに演じてもらうとして、、二人の共通の友人として、水無瀬さんが出てくるのもありですね。

なんでも話せる「先生」役には、是非荻野さんを。

 

まぁこのキャストの場合、最後は素舞台でスポットを駆使した四人芝居とかになるでしょうか。。(心の中での対話になりますから)

しかして、、ハマりますね。パパっと絵が見えますた。

 

普段の私は、当て書きをする時、その人の性格や考え方から少し離した人物像で書くんです。。

その人の素材や持ち味を殺さない、、というより、割増せるラインの中で、「出来るでしょ?」っていうギリギリはみ出さない、若しくはちょこっとはみ出す辺りを提供するのが当て書きの楽しさだと思っていますので。。

このキャラまんま○〇じゃん!?  みたいな役は、演じる側も面白くないですしね。。(←この辺は演者目線)

まぁ当て書きって、そもそも知った仲で書くことが多いんで、「おまえがこれ出来たらかっけぇ」とか、「このタイプの色気も出せると思うんだよね、、」とか、「このラインにハマればちゃんと武器になる」みたいな、普段見せない(もしくはまだ扱ってない)けど、確実に届く見積もりがある(←私基準)引き出しをイメージして書くわけですが、、対(元)夢アドの皆さん相手にそれが出来るかしら。。

 

まぁ、皆さんじぃっと見てた相手ではありますが、、あくまで客サイド~ですし、知り合いではありませんからねぇ。。

ファニコンや配信に足繁く通って、人柄や本音に近い所をちょっとでも覗き見て来てるのは、推しの水無瀬さん(の、はず…)なんですが、他の御三方の方が遥かに長く観てきてもいるので、外に出てくる顔(物理的な顔立ちや表情の意味じゃなく)は、先輩方の方がパターンをたくさん見てきている気もするのですよ。。

 

ただねぇ、、どちらもわりと離れた距離から観ていた物ですからねぇ。。(普段狙い撃ちしているような)そこまでタイトな当て振りは出来ないかもしれません。。

ただまぁ、「出来るっしょ!?」ってラインくらいは見えるわのよ。

 

まぁ私は、稽古用とか資料用にしか当て書きは書かないんですけども。。

本来は固定客付いてる劇団とか、シリーズ物の作家さんがやることですからね、、当て書きって。

(そもそも、100%その人が演じてくれないと当て書きする意味が無いですから……)

そして、今にも書き出しそうな雰囲気で話しちゃってますが、、「書き」はしませんよ?

一作書き上げたら、大層な文量になりますし、わりと時間もかかりますから……。

ちょっと設定やプロット練って遊んでみませう。ってお話です。

 

先に言いましたが、、「当て書きは100%その人に演じてもらう」つもりで書きますので、そもそも宛てのない当てを書ききる~なんてことは、、滅多にしませんにょ。

特に今は……ね。

(以前、完全当て書きの連ドラ書いてる矢先にキャストが数人辞めて泣いたことありますしね)

 

まぁ、そんなわけで、あくまで私の手遊びにございますが、新たなキャスティングイメージで広げてまいりませう♪

 

まず、

荻野さんの役を、仮に神成ローラ先生としましょう。(ロレンスは、和名に文字りにくいなぁw)

 

水無瀬さんの役は、、振槍(フルウチ) ユリア とでもしておきませうか。

ちょっと名付けは強引で適当ですが、、ウィリアム・シェイクスピアの意味を残し、「百合」の響きを持つことで、二人に意味深なアドバイスをし続ける友人像としての説得力とミスリード効果も期待出来ます。

どちらかの隣人だとシナリオが窮屈かもしれないので、「夜学生」唯一の「薙刀部員」というポジションにしようかしら?  急激にキーパーソン感出ますよね。

あくまで「水無瀬ゆき主演」作として練ってますからね。

まぁ、和服似合うので、そもそも和風な部活、滅茶苦茶ハマると思うのですよ。

しかも、「解る~」「いや、イメージ通り」なハマるじゃなくて、「ぇ、うそ、超似合う……」っていう不意打ちラインを取れる人なので、掴みどころのはっきりしないキーパーソンとして、凄く絶妙な落ち着き方をしてくれる気がするんですよね。

実際、ユリアの存在は謎めいた感じの、いわゆる「幽霊ポジ」が理想です。(別に恨めしい感じの湿っぽさは要りません、、あくまで立ち位置のお話です)

舞台の立ち方は難しいですが、水無瀬さんの持ってる透明感と存在感の共存する矛盾した空気感(←褒めてる)と、澄んでて高いけど張りと芯のある声色なら(←勿論褒めてる)、そもそも素材としてもハマる気がします。

夜間組は制服着ないでしょうから、服装にもよりますけどね。申し訳ないけれど、ユリアはジャージじゃダメ………………!?  ん、いや、、あえてのジャージありかも知らん。。

分からんけど、、ちょっとそこは、ほんっとに見て見ないと解らないアレなんで(ジャージ姿をじゃなく、ジャージ姿と空間のバランスを~、ね)、今は無かったことにします。

 

薙刀部としては特別枠で、部長のミオと顧問のローラしか会ったことはないけれど、ミオが見蕩れるほどの腕前の持ち主(練習頑張ってください←)……ということにしておけば、ミオだけの友人ということでもまぁ成立するし、ジュリはユリア以外に親しい学友はいないし、ユリア自身が夜学を休みがち(ジュリの遊び仲間にしちゃうとしっくり来ないから、病弱…とかの方が良い)…ということにすれば、会う時は二人きりばかりで、ユリアの話をする相手はローラ先生とだけ…という構図が成り立つし、ユリアがよく、「主治医」とか「診察」とか、そういうワードを出していれば成立します。

なんなら保健室登校でも良いかもしれませんね。

というわけで、ローラさんは保健の先生ってことで。

 

最初、二人から別々に「恋」の相談を受けていたユリアは、様子を伺ったりからかったり~と、いかにも友人らしい行動をとっていたんですが、話が進んでいくうちに、ローラと結託して二人の仲が進展しないように邪魔をする様になっていきます。(二人の恋路を秘密にする様アドバイスしたり、部屋に忍び込んで(まあ、自分の部屋ですが)メールを削除したり、初めての待ち合わせを入れ違いにさせたり……いやはやベタベタだなぁw)

それもそのはず、ユリアはジュリとミオと同じ存在……三人目の人格なんですから~。 というお話です。

 

先にもチラッと言いましたが、ユリアの舞台上の「居方」は難易度高めです。

ジュリとミオ、それぞれにしか見えていない、、居ないんだけど居る存在なので、誰の目にも触れず透明に存在する必要があります。

勿論、1対1 の時しか現れなければ居方は気にしなくて良いのですが、、その描き方はチープだし、ユリアの存在の意味に早々に気づかれてしまう原因にもなるので、避けたいのですよ。

例えば夜学の教室で、自然で且つ空間に一切の影響を与えない様に存在し、ジュリと目が合った瞬間だけはっきりと浮かび上がる。。という様な「居方」を、ナチュラルにやって欲しいのです。まぁ、こういうのは主に演出側の仕事ですけどね(客観視した上で作ってくものなので)。

 

特に難しいのはローラとの距離です。

ローラとユリアは、ユリアが身体を独占している時しか会話できません。つまり、ローラと 1対1 の時はずっとONですが、ジュリやミオとローラが一緒にいる時はローラにユリアは見えません。しかしてローラはユリアの存在を知っているので、話題には上がるし、ジュリやミオを通してユリアの存在を「見よう」とするので、見えてないのにいるていで話しかけるようなシーンも出てきます(後半に)。。

 

この、「存在が曖昧な感じ」をどこまで匂わせるかで、作品の空気感がかなり変わってきます。

勘のいい人が「幽霊」や「精霊」だとミスリードするラインが良いですね。

 

少なくとも「二人」には見えていて、「一人」には、、「(もしかして)見えてない?」……それ以外の人は話題にも上げない。。この子ってもしかして……

くらいが、理想です。

 

まあ、根底の「ネタ」から書き始めているのでチープな骨組みに見えるかもしれませんが、観ていて「オチ」全体を拾える先読み勢はそう居ないでしょう。

 

だからこそ、わりと大胆に伏線を落とせます。

心の中の「私だけの友だち」なのに、共通の友だちがいる。。だから、見る側は判断に迷うし、その存在こそがテーマだと察しはする。。けれど、その追っかけ方だと「私だけの友だち」を見ている2人が同一人物ということには気が付きにくい。

逆に、二人の生活リズムが真逆という点や、なかなか会えない「文字でしか知らない存在」というところから、「同一人物」を疑う人にとっては、両方と知り合いで、別人として接しているユリアやローラの存在が引っかかる。

ローラとユリアが協力関係にいながら、ミオとジュリにとって真逆の存在という構図が、「読みにくい」けど、別に「分かりにくくはない」設定を組み上げるキーになるかと思います。

多重人格を疑ってかかると、ローラが専属のカウンセラーだということにはすぐ気付くでしょうけど、そうするとユリアは何だ? ってところで迷います。

ローラとユリアの距離感や、結託して恋路を邪魔する素振りを見て、三人目……に届く人は、あんまり居ないんじゃないかなぁ、と、思うのです。たぶん。←w(結局最後は「見せ方次第」ですからね、、こういうのは)

 

ただまぁ、ジュリやミオと、ユリアでは人格としてのルールが違いますので。。

分析や説明をしようとする人にとっては、一括りに定義できない存在……矛盾した存在に映るんですよね。。

 

ただまぁ、「矛振る間」は与えませんので(今更タイトル絡めてくw)、端から「居方」が違うでしょ? で、一刀両断出来るお話なのですよ。

矛盾ではなく「違う」のです。

 

実際、多重人格の方には、自分の別人格を「認識」している人としていない人がいます。

また、自分の内側で他の人格とやり取り出来るかどうかも人によります……が、それは人格の生まれた経緯によるものです。

もし、ユリアの側から「認識させた」としたら、そのルールは壊せるということです。

 

この二通りの人格分離を説明抜きで「読みとる」のはわりとメンディなので、、ネタばらししていく中で、どれかしらのポイントに「驚く」ことになる……はずです。

 

そもそもチラシのイラストは、三人ではなく二人の水無瀬さんですしね。(ある意味この絵が一番「説明」してるんですが……)

 

ネタばらしの始まりは、、

ベッドで横になっているユリア、枕元に立っているローラ……ってとこからですかね。

 

ローラ「おはよ」

ユリア「……おはよう…ございます」

ローラ「こんな時間に起こしちゃってごめんね。早速で悪いんだけど、二人の様子を聞かせてくれる?」

ユリア「…お互い、強く惹かれあってます。前よりずっと……どうしても会いたいって…」

ローラ「そっかぁ、、想像していた以上に進展が早いなぁ」

ユリア「元々相性がいいんだよ、あの二人」

ローラ「あんたがそれを認めちゃったら元も子もないでしょ」

ユリア「でも…」

ローラ「でもじゃない!あんた自身、、いつまでもつか解らない状況なんだよ?解ってる?」

ユリア「私は、別にいいんだよ……だけど、苦しそうな二人を見てたら、なんか今の私ってただの邪魔者みたいな気がしてきちゃって……」

ローラ「あー、ダメ! 今、あんたが弱気になるのが一番ダメっ! 邪魔者でもいいんだよ? あんたが意志を持って二人を邪魔することに意味があるんだから」

ユリア「私の存在意義は二人の邪魔をすることなの……?」

ローラ「そうじゃなくて、意志をハッキリ持てってこと。ただでさえ、あんた消えかかってるんだから、自分の思いに迷うなってこと!  二人の恋には反対なんでしょ? だったら、、」

ユリア「それももうどうなんだか……自信なくなってきちゃってて…」

ローラ「(ため息)……それならそれで、ちゃんと悩みなさい。今のあんた、「邪魔者にしかなれない私なんかいらない」って思ってるでしょ? 」

ユリア「だって、、」

ローラ「そうじゃなくて、反対なら反対!賛成なら賛成!そのためにどうしたら良いのかを一生懸命考えろって言ってんの。それすらまだ解んないっていうなら、答えが出るまでしっかり悩め!」

ユリア「うぅ……」

ローラ「因みに私は断固反対だから! あんたに二人を応援したいって気持ちが芽生えたんなら、まず私をどうにか説得してみせなさい。どうやって応援するのかを、ちゃんと考えなさいよ。「もう邪魔はしない」なんて、曖昧で無責任な幕引きで消えるなんて、ぜったい許さないからね!?」

 

……って、セリフで書き出すには、まだまだ先が長いなぁ……。

 

やっぱ今回はざっくりまとめませう。

 

この台詞の段階で、ユリアは「消える」可能性がある存在だってこと。ローラは全て解った上で、「邪魔」を選んでるんだということは解りますね。

 

この後ユリアはもうひと悩みし、二人と向き合う……否、二人に向き合ってもらう覚悟を決めるのです。

 

 

ユリア「決めた。。私、二人を会わせる! ローラさん、協力してくれる?」

 

ローラ「私は断固反対!……って言いたいところだけど、そんな迷いのない顔されたらねぇ。 どういうつもりで、そう決心したのかだけはちゃんと説明して貰える?」

 

そして、二人を引き合せる。つまり、精神世界で全てを打ち明ける~って展開に至るわけですね。。

 

ローラ「最後に確認。解ってると思うけど、二度と今まで通りには戻れない……というか、、あんたたち三人のうち、誰かは消えることになると私は思ってる。。それでも、やるんだね」

ユリア「お願い」

ローラ「……解った。よし、二人を起こしといで」

 

そっとユリアの顔を撫で意識を落とさせて短めの暗転。

 

……から、薄暗く明転。 保健室のセットのままなんだけど、扉がなく、上下(かみしも)どちらからでも入って来れる「空間」になっている。

奥のベッドには誰か寝ている。(4人以外の替え玉か、なんなら人形でOK。要するに三人の「本体」)

 

ジュリ「ちょっとユリア、どういうこと……急にシオンくんに会わせてやるって…あんたシオンくんと知り合いだったの?……っていうか、ここどこよ?」

(あ、因みにシオンくんってのはミオちゃんのペンネームね)

 

ミオ「ねぇユリアちゃん……こんな夜中になんだっていうのさ……だいたいここって……?」

 

ローラ「ここは見ての通り保健室だけど? あんたたちの疑問にちゃんと答えるなら……心の中の世界~、、とでも言っとこうかな」

 

ミオ「言ってる意味が全然……先生それどういう」

 

ローラ「あんたはほんっとに、、頭いい設定なのにバカだねぇ……というか、鈍いんだよねぇ、ちょっと」

 

ミオ「バカは酷いなぁ…寝起きでちょっと混乱してるだけなんだけど…」

 

ジュリ「ローラ、私、嫌な予感しかしないんだけど、、この人誰? うちの生徒?…っていうか、呼び出した張本人はどこにいんのよ?」

 

ローラ「逆にジュリはおバカな設定の癖に、いちいちそういうの鋭いんだよねぇ……ほんっとムカつくくらいお似合い(小声)」

 

ジュリ「今なんか言った?」

 

ローラ「や、なんも~」

 

ミオ「先生……今、ジュリって言った!? もしかして君……ジュリ……」

 

ジュリ「ぇ、待って、、シオン…くん?って、、ぇ、だって男じゃ……」

 

ユリア「あー、はいはい、勝手にはじめないで~……」

 

ミオジュリ「ユリア!これ、どーゆー……」

 

と、まあこんな感じでゆるっと始めたいですね。

概ね絵は見えてます。

 

因みに、、一緒に喋ってはいるけれど、ローラはあくまでも「外から」話しかけている状態です。

 

今風の演出で、それを途中で説明するのはありですね。

 

ローラ「因みに実際の私は今こんな感じで……」

と、ベッドの脇に腰掛けて見せ、

ローラ「寝言みたいにペラペラ喋るあんたらの身体に受け答えしてるだけなんだけどね」と。

 

ローラ「自覚ないだろうけど、あんたら三人とも声の出し方や喋り方全然違うから、わりとカオスな寝言だよ? 上質な一人芝居見せられてる気分w」

 

みたいに、二人に説明する感じでも良いし、、突然芝居を「OFF」にして、「舞台を見ている皆さん」に向けて説明するのも別に珍しくはない手法ですから。(上手にオンオフしないと滑りますけど…)

 

ふむ。。

ちゃんと見せられそうですなぁ、「精神内での対話」。

 

さすれば、、ネタばらしのネタの部分をこちらも練ってまいりませう。

 

(わりと最近の)昔昔ある所に、古い名家に生まれ、イエスマンとして育ってきた女の子がおりました。その名を……その名を……

 

、、その名をどうしよう。。三人の本体のお名前考えてませんでした。。(←大枠をユリアに使ってしまった奴)

 

振槍(フルウチ)は、古いお家っぽいけど(いや、まんま……)、名家っぽくないなぁ。。

 

いーや、ウィリアム家にしちゃお~……って、ウィルはどう考えても男のファーストネームだ……orz

本名では使えませんなぁ、、。

 

振槍さんちのオフィーリアとか、もはや意味わからんもんな。

 

ウィリアムズなら、ファミリーネームになるから、そっちかなぁ。。なんだか庶民的な気もするけれど…。

 

うーん、、、

 

ジュリア・ウィリアムズ  (なんかミオだけはみ出した感w)かなぁ、、(しかも、完全に国籍変わったw)

 

まぁ、うん。ジュリアちゃんでいきませう。(まさかの一番最初に戻ったw)

 

英才教育と家名のプレッシャーに押し潰され、精神が不安定になった娘のジュリアを、知人の経営するジャポンの寄宿学校に預けたウィリアムズパパ。(たぶん、多額の出資をしてあげた友人の学校~とかなんでしょうねー)二人の中では厳格で頑固なイメージですが、、実際はわりと柔軟だし娘思いの良きパパです。(まぁ、登場させる気は無いので、話にあがる程度かなぁ、と)

まぁ、パパ的には家を離れてリフレッシュしておいで~っていう意図での留学提案だったわけです。

 

転校後、すぐ学業に励める様な精神状態じゃなかったジュリアちゃんに、形だけでも在籍してのんびりやってこや~。ってことで学長が提案したのが、生徒の少ない夜間受講。。だったわけですが、不安定だったジュリアは、この状況を「親に見放された」と受け取ってしまいます。

ジュリア自身は、まだ頑張らなきゃ!と思っているのに、周囲も自分の身体も「頑張る」ことを許してくれない。。周囲の「ちょっと頑張りすぎたんだよ」というワードがかえって心を掻きむしる。。

頑張っちゃいけなかったんだ……と、頑張らない「ジュリ」の人格が形成されていくわけです。

しかし、元々抑圧の中で生きてきたジュリア改めジュリちゃんは、与えられた自由な生き方は肌に合わず、かえって息苦しくなって、また思い悩んでしまう。その結果、、新たな人格、ミオくんが誕生したわけです。

(まぁ、この辺は既に決めてたことなので、お攫いです)

 

根が真面目なジュリアがジャポンに馴染まなければと生み出した人格なので、みんな和名っぽいカタカナネームなんですね~。なるほど。(自己完結)

 

無論、ローラさんの正体は、最初からず~っとジュリアに付き添っている本当の主治医、、ジュリアのカウンセラーです。ウィリアムズ家直属のエリートで、ジュリアのお勉強の手伝いもしていた、マルチサポーターです。

(なんでも世話してくれるから、家庭教師とかメイドのポジではない)

わりと歳は近いですが、母親のいないジュリアにとっては、姉というよりはママポジな存在~だったんですが、三人ともその認識はしてません。

どうもジャポンについてくるにあたって、ローラが少し暗示というか刷り込みをしている様なのですが、その辺はローラしか知らないことで、私にも教えてくれません。。

(あ、私、よく登場人物と脳内面談みたいなのやってそのキャラの性格や言いたいことを聞き出してく作業をするのですよ)

まぁ、私に解るのは、最初にはっきりと意識を持ったジュリの人格の時点で、ローラはこの学校の保険の先生と名乗り、そう認識されていた……というのと、ユリアは、主治医として着いてきた人~とは理解している……という点くらいですかね。

 

たまにしか出て来ない学長役は、私がやっても良かですよ。(←出しゃばるなよ……)名前はまぁ、ハリー・マッケンジーってとこですかね。(←やめろ)

だいたいの提案はローラさん発信で、ハリーは「ん~…………いんじゃない?」と、ジジ臭い間で尺泥棒するだけの存在でいいですから。(ソイツいらなくない?)

まぁ、普段はバイクで旅立ってりゃ良いでしょうし、、一応嫁と子どもがいるはずですから、さっさと家に帰らせちゃいませう(←なぜかスクランに忠実)。 良いですよ、脳天禿にサングラスでロッケンロールなおじ様で。(←違う人混ざってきた)

 

まぁ、内田校長はさておき(←違う)、、自由になりきれなかったジュリを解放すべく分離した人格ミオは、品行方正、文武両道、、正に才女の一面を切り出した様な……ジュリアの「建て前」の完成系のような人格……に、なるはずでした。。が、、そこにジュリアの隠れていたもう一つの葛藤が紛れ込んでしまいます。執拗に叩き込まれた「女性らしさ」への拒絶感。嫁ぐためだけに磨きあげられた「女性像」への嫌悪。それが極端な形で人格に現れてしまい、後天的な性同一性障害になってしまう。

因みに、「厳しい教育係」は、ローラとは別におります。

それぞれの分野毎に担当がついている英才教育システムなので、彼らは彼らなりに良かれと思ってジュリアを育ててきた……のですが、まあ量が多すぎたんでしょうね。日替わりどころか分刻みで色んな「先生」が訪れる家とか……私だったら燃やします。(←)

 

こうして、ジュリとミオのふたつの人格で葛藤を二分することにより、徐々に安定していったジュリアでしたが、どちらの人格も大きな葛藤を抱くことになってしまったわけです。

 

因みに「ジュリア」という人格は、この時点では存在しなくなってます。

(疲弊し壊れかけていた状態から、まともに話せるようになった最初の人格がジュリ)

ミオは勝手に普通科に通いだして、最初周囲を混乱させた。が、居合わせたローラ先生が「様子を見たい」「本人の好きにさせてみて欲しい」と学長に掛け合って、普通科の生徒になりました。設定はミオ自身が語った留学生で。夜学のジュリを知らないクラスメイト達は「転校生」として認識してます。

 

こういう部分は、回想として演じてもらった方が見やすいかもしれませんね。

ローラさんが、回想内の自分役をやりながら時折振り返って解説をする~みたいな感じで。

 

 

名家から勘当同然で異国の夜学に預けられた(と思っている)ジュリは、家名の重圧と己の堕落に未だ揺れている。

一方のミオは、許嫁との縁談を心待ちにしている(と思い込んでいる)本国の家族に、自分の心が「女性であることを拒んでいる」、、とは打ち明けられずにいる。

 

そして、三人目の人格、「普通の女の子」ユリアが生まれる。

ただし、この「ユリア」は、二人の「代わり」や「新しい生き様」としてではなく、友人として現れる。なんでも打ち明けられる普通の女ともだち、、秘密の共有者として生まれたユリアは、基本的にはジュリアの肉体を使用せず、二人にだけ見える「心の中の友だち」である。

そもそも、三人目~とは言っているけれど、実はユリアの原型が一番古かったりする。

ジュリアのありたい姿であり、ジュリアの生み出した「友だち」像なので、ジュリアがジュリアだった時からいる。。

ただ、ジュリアはそれを架空の友人だと理解していたので、名付けたり語りかけたりはせず「こんな友達がいたらいいなぁ~」くらいにしか思っていなかった。

 

ただ、ユリアと名乗る前から輪郭を持ったイメージとして膨らんで一緒に育ってきた存在だし、折れかけていた頃のジュリアの拠り所にもなっていたので、ジュリやミオよりは事情への理解もあるし、ローラとも古い距離感で接することが出来るし、、何より、「心の中のお友達」として生まれた自分を理解しているので、「人格」だけの存在という形にすぐ馴染んだのです。

 

ユリアの存在に気付いたローラが、ユリアに語りかけ協力を仰ぐことによって、ジュリアの精神安定を図ろうとした……。

 

ってのが、ネタばらしの大筋ってところですかね。

 

まぁ、ミオの名前の件は、、ジュリアにラミアって名前のよく出来た妹でもいたら良いんじゃないでしょうか。

うむ、ハイスコアガールですな。良家において、姉が重圧から逃げ出した場合、妹がその肩代わりをする事になる(んじゃないかなー)っていう。。その罪悪感と「私がもっとしっかりしなきゃ」が、ミオなのですよ、うむ。

(まぁ、ラノベシナリオとかだったら、実はラミアたそはジュリアの許嫁のことがずーっと好きで、タナボタラッキー♪としか思ってない! とか、そういうオチで良いんですけどね)

 

ユリアをジュリアの一人格として引っ張り出したのはローラ、、もしくはユリアと二人を引き合わせたのがローラっていう設定も考えたけど、それだとユリアが作り物になってしまうし、ローラの手の平が広すぎるので、あくまでユリアは自然に生まれた人格であって欲しいです。

友人として生まれはしたものの、それはつまりジュリアの思い描いたひとつの理想的な「在り方」だったわけで、ジュリアの内面から生まれた人格であることには変わりありません。が、、ユリア自身も書いてる私もユリアがジュリアの一人格にあたる存在なのかどうかは、最後まで疑問のままです。

ただ、先にオチを言ってしまえば、そんなユリアが最終的に主人格として残ることになります。

このオチをどう解釈するかは、受け手次第だと思いますが、、少なくとも私は、乗っ取りや入れ替わりではなく、帰結の形として、ユリアに委ねる終わり方を良しとみたんですよね。

賛否はありそうですが、それくらいの方が作品の厚みも出てくるってもんです。

何より、水無瀬さん主演ですから。概念的な話を抜きにしても最後に残るのはユリア一択なのですよ。

 

まぁでも、功労賞はローラですかね。。

矛盾が生じて三つの人格がバランスを失わないように根回ししていたのはローラでしょうからね。ユリアの「病弱だから保健室登校」という「設定」は、ローラがそう説明する様に促したんだと思います。

 

ふむ、大枠は完成したんじゃないでしょうか?

あとは、いくらでも膨らませられるし、それこそライトにもヘビーにも彩れると思います。

まぁその辺の空気感は、ローラとユリアのキャラ次第なんですが……

いや、いい塩梅の笑い挟めるキャスティングですよ、このバランス。。

特に、荻野さんと水無瀬さんの声質は、ギリギリまでシリアスな輪郭をぼかし続けて最後に引っくり返すという演出にはビタハマる気がします。

キーの高いいわゆるアニメ声感のあるお二人ですが、荻野さんの声には急展開やトリッキーな発言を成立させるパワーが、水無瀬さんの声には意図的に視点をズラすような天然「っぽい」台詞を意味深に響かせる奥行きがあるので、一見分かりやすいボケやツッコミで掻き回しているように見せかけて、物語を大きく動かしたりってことが出来るのですよ。

水無瀬さん、たぶん逆もできますよね?  超意味深な大事な台詞「っぽい」のに、追っかけてみたら中身なにもありませんでした~みたいな「思わせぶり」なミスリード。(←因みに私、この辺得意です)

って、冷静に考えるとすげぇ逸材だなぁ、やっぱり。

 

変な妄想してすみませんだけど、素材が良くないと当て書きって捗らんもんだし、素材が良いとイメージが膨らむ中でキャラの方が「ああしたい」「こうしたい」って言ってくるんですよね。

 

今回、思いつきの過程のまま書いてるんで、そういう私が組み立ててる訳じゃないイメージの膨らむタイミングみたいなのも透けてるかと思うんですが……

これが、一番楽しいのですよ。(←良かったね)

 

さてさて、幕を閉じにかかりませうか。

 

別に奇を衒いたいわけではありませんので、先程決めた様に……、最後に残る人格は「普通の女の子」で良きと思います。

 

三人で演じ分けるなら見せ方は簡単。

全てを知り、葛藤の飛び交うクライマックスの後、納得した三人の人格。

「私たち、ちゃんと一人にならなくちゃ」とか、「大丈夫、一緒なら怖くない」とか、そういう落とし所でしょう。

個人的には、ちょっとジュリにエッジの効いたポジ変爆弾かまして欲しいんですけどね。

中身のないパリピの陽キャとして描くと噛み合わないので、やっぱりジュリの内面は繊細で、その上にパリピの皮を被れる「ポジ変」の出来る人格なんだろうな、と。中身しかないクライマックスで突発的に開花する、誰もがビックリするような「ポジティブな解釈」をケロッとぶちかまして欲しいです。「それってさぁ!」と。

 

というのも、、ドラマとかの志田さん、お上手なんですが勿体ねぇな、、とも思ってまして、ある種AB型特有の突発感情が陽に振れる人って、そこに凄い個性が出るのですよ。まぁ、ハリウッドバカ等と称されてはいますが、あのテンションあの振り幅で、目から鱗のポジティブをぶっ込んだら、たぶんどんな客もぶち抜けます。

まぁ、そんな役、、当て書きじゃなきゃ役者探す方がしんどいし、シリアスなクライマックスで狙って陽に爆跳ねさせるのは上滑って全部台無しになるリスクがあるんで、博打度高すぎるんですけどね……w

ただ、志田さんは、そもそもお芝居の「コントロール」や落とし所の嗅覚が優れているので、出来ちゃうんじゃねぇかな、、と。

で、嘘でしょってくらい前向きになって、「よし」って空気になった所で、ミオが「でもさ…」と、三歩ズレの再ネガ零して、「おまえ~っ!!」って、見てる側もなるのですよ。

その「おまえ~っ!」を率先して、スポット飛び出して喚き出すローラを宥めるようにして、二人のポジとネガを合わせた言葉で「つまりさ!」って、ユリアが纏める。

そんなバタバタした賑やかな絵が見えるんですよね~。

 

そして、やっと一息ついた時には、全員の気持ちが固まっているんです。

私はこういう所を台詞で表現するの嫌いなんで、アイコンタクトでお願いします。

 

そして、三人ゆっくり目を閉じ、暗転。(まぁ、BGMも煽っときましょうか)

 

そして薄明かりに戻ると、ローラが立っている。

 

ローラ「ねぇ、起きて!私が解る!?」

 

シルエットが起き上がる。

 

ローラ「あなたは、誰?」

 

ジュリア「私は…ジュリア・ウィリアムズ」

 

明転して、そこには水無瀬さん!で、説明いらんやろ。

 

ただこれ、「普通の女の子」の描き方が難しいですな。

三人いる間は、対比構造で中間位置を維持すれば、「普通の女の子」像だと言いきれちゃえるんですが、、最後に残ったのが「普通の女の子」です! って、説明なく浮き彫りにするのは、実は難易度高いですね。

誰がやっても難しいところではあるんですが……水無瀬さん、別に普通感は無いですからね(←褒めてる)。自分はモブだというけれど、、めちゃくちゃ主役気質なんですよね。水無瀬さんの持つ「普通」感「一般人」感は磨き上げられていて、既に強い個性なのですよ。(←もちろん褒めてる)

 

いっそ、エピローグでめっちゃオタクしてもらおうかなぁ。スウェットで!(←ただの私の好みかもしれませんが……)

これはローラに解説してもらいますが、元のジュリアに「戻る」ということはありません。抑圧されていた自分の多面性を「人格」という形に拡張したジュリアは、どこかで眠っているのではなくもういないのです。

最初に人格が顔を出したのがジュリだっただけで、分裂した時点でミオやユリアの生まれる兆しみたいなものは既に火を灯していたのです。

 

ローラ「ジュリア…あんた普通の女の子になりたかったんじゃ……何そのカッコ……それがあんたの願った普通の女の子なわけ??」

ジュリア「煩いなぁ~、ほっといてよ!だいたい普通って何?? 人口比で言うならオタクはいまやマジョリティ!!超普通じゃん!!?」

ローラ「ジュリア……やっぱりあんた、超めんどくさいっ!!」

 

フェードで暗転しながらBGM煽り、メイド長と問題児のバタバタした喧嘩(音声なし)の後、ユリアを叱りつけたローラは部屋の外へ。音楽合わせのSEで扉「バタン」で、BGM絞る。薄明かりの中、扉前のローラにスポット。

 

ローラ「ほんっと、世話がやける……」

 

と、ちょっと嬉しそうなローラの表情で再フェード。 

暗転END。

 

みたいな、ローラお手上げのコミカルエンドってのはいかがでしょうか? まぁ、荻野さんVS水無瀬さんでイメージしてるから、ローラの口調強めても成立するんですよね。

 

あとまぁ、別にジュリとミオはこっそり結ばれてもいい様な気がします。

二人の悩みって、どちらも身体のある人間だから抱えている問題で(特にミオは)、内側に引っ込んで、心の中の友だちのポジションを入れ替わった形で描くなら、心の中で勝手にイチャラブしてくれてかまわんのですよ。。

 

私は、悲劇だの喜劇だのってのは、受け手が決めて良いものだと思っているので、「これはハッピーエンドです」と、造り手側が言い切る終わり方は、あまり好きではないのですが……

 

素直になった結果ヒキった女の子の脳内で、別人格イチャついてたらシンプルにウザいじゃないですか。

「おまえらもう消えろ!」ってなるじゃないですか、そんな二人に「ジュリアこそ、外に出て、恋のひとつもしなさいよ」とか言われたら、「ムッキー!」ってなるじゃないですか。

 

ロミジュリがなんで悲劇なん? 

二人で現世からトンズラこいて、あの世でよろしくやってるに決まってんじゃん。あの二人は選択をしただけですよ。(まぁ、確認と伝達不足ですれ違ってもいますが)

 

ふむ。

 

そっち書いてみたいな。

自殺しちゃったから地獄に落ちたロミジュリ夫婦の地獄生活記。  喧嘩ばっかしてんだろうなぁ……w

 

まぁ、それはまた別の機会に。

 

と、まぁ雑に当て書きシナリオ作って遊んでみましたが~……わりとこれ、良い舞台作れそうな土台ですね。(自己満)

 

各人格を丁寧に描くほど、「同一人物」である衝撃も、悲恋性も、人格が消えゆくという切なさも増していく(消さないかもだけどw)、台詞と演技でどこまでも名作化出来る迷作であります。(いつも通りの自画自賛)

 

まぁぶっちゃけフライヤーが負けますw タイトルも変わるでしょうね。(タイトルだいぶ適当ですから)

 

実はね、ローラとユリアの配役を逆にして、ユリアが第三人格、カウンセリングをしているローラが第四……というかジュリアそのものの人格でした~ってオチも頭を過ぎったのですよ。本来人の中で起こる葛藤ってそういうものですからね。客観的な視点を持った主人格がいて然るべき……なのですが、、

それだと、最後に残るのはローラになりますし、「理性」という黒幕が全てを押し殺す感じのシナリオになっちゃいます。仮に他の三人の誰かが、ローラから主人格の座を奪ったとして、、その場合、一番外から見て来たローラという人格の存続は難しいのですよ。。

消えても残っても後味が悪い。

 

物語において「理性」を記号化すると 、「感情」や「衝動」を抑圧する害悪になってしまいやすいのです。

だからローラには、極端な「理性」の現れた人格ではなく、ローラという人物の「理性」と「衝動」で動いて欲しかったのです。

逆にユリアは、あくまで側面的であって欲しいのですが、それでいて誰よりも「人間臭い」存在であって欲しいなぁ、と。

 

そっから先は演技の方向性でも変わってきますしね~(要は演出面)

舞台上の人格をどう演じ分けるかは、やはし悩みどころです。三人で演じ分けるというのは、三谷さんの「ベッジ・パードン」の逆を行く発想ですよね。(いや、誰も知らんかしら…)

「ベッジ・パードン」は若き日の夏目漱石が留学していた時の物語なんですが、役者が五人しか出てきません。

というのも、全てのモブキャラを浅野和之さんが一人で演じてらっしゃるのです。下宿先の旦那、奥さん、一人娘、神父にギャング、警察官、、果てはイギリス女王(の亡霊)まで。

めちゃくちゃ面白いコメディの仕掛けかと思いきや、、実は海外生活に疲弊し病んでいた金之助(野村萬斎さん演じる夏目漱石)は、イギリス人の顔が「みんな同じ顔に見える」精神状態だったという「闇(病み)」の深さの壮大な伏線。まぁ、回収時にもしっかり笑い取るんですけどね。。

残りの三人、顔のある人、、同じ日本人のそーたろー(大泉洋さん)、ヒロインのベッジ(深津絵里さん)、ベッジの弟グリムズビー(浦井健治さん)は、金之助が心を許せた数少ない人間だったという設定。

(まぁ、そーたろーが実は拗らせ君で、この信頼関係はズタボロになって終わるんですけどね……)

舞台作品なので簡単に映像手に入るか解りませんが(←持ってる)、名作なので、是非見て~な作品です。

 

逆に多重人格を一人で演じる……というパターンで思い浮かぶのは、若き日の唐沢寿明さんが主演している「出口なし!」。確か、同じく三谷さんなんですが、、映画で見るようなドタバタコメディではなく、わりとシリアス強めの作品です。

 

こちらの作品は、二重構造で「多重人格患者のフリをして欲しい」と言われてやってきた役者志望の青年(唐澤さん)が、実はそこの患者で、多重人格のひとつの人格であった……というお話。

 

多重人格のフリをしている時のキャラ芝居による演じ分けと、実際に人格が入れ替わった時の演じ分けの差異に息を呑む、名演ありきの名作。

 

まぁただ、オーラの強い花形役者さんにありがちなんですが……(藤原さんとかもそう)、弱い人格にも芯が通って見えてしまうのが個人的にはちょっぴり残念。。

ただ、これはもう「おまえがやってみろや!」なお話でして、、まぁ、弱さや陽気さはなんとか行けますが、逆にダークな人格の迫力は、、到底敵わないですなぁ。。

 

いやでも、やってみてぇな、アレ。

 

こちらはもっと古い作品ですし、舞台セットも簡素な感じなんですが、「演技」に興味ある方は見て損のない舞台です。

 

 

いや~、

なんだか久しぶりにシナリオ考えたなぁ(超雑だけど)。

やっぱり、こういうパズルが一番楽しいです。たぶん、脳内やそれこそ沼にピースはいっぱい転がっているのだけれど、なかなか組もうと思わなくなってきてますからね。

 

ただ、こういう欲求を放置してると、人様の作品の細かいところが気になってしょうがなくなります。。

自分が土俵に上がってないのに揚げ足ばっかとるのはやってる本人も「なんだかな~」って虚しくなります。

 

最近で言うなら、こないだフガフガ言ってた「鬼滅」もなんですが……あひるの空。。

いうて前に読んだことあるんですけど、、アニメで見ると「ん?」ってなる率が高くて……

 

まぁスポーツ扱う漫画は、大なり小なり「?」ってとこありますけどね。。

「とんでもバスケ」の代表格である黒子のバスケでは感じなかったんですよね。(まぁアレはいわゆるテニプリ系ですしね)

「あひる~」のバスケは「ちゃんと」説明しようとする割に「そうはならなくね?」ってのが気になっちゃうのですよ。。

 

例えば、、空のシュート練習……4時間ぶっ通しで千本。。

うん、無理ですね。

まず先に、、すげぇ事みたいに言ってますが、、バスケバカなら、部活ない日とかに3、4時間ぶっ通しでシュート練習すること自体は、別にそんなに珍しくないです。

 

が、、スリー1000本は、、無理ですね。

流石に何かを参考にしたんでしょうけど、、プロや強豪チームのシューターの練習量の何倍~っていう単純計算なのかなぁ、と。。

 

というのは、、一人でシュート練する場合は、ボール出しも球拾いもいませんので、4時間ずっと機械的に打ち続けるなんてことは不可能なのですよ。。

学校の体育館で空くんクラスの成功率であれば、ボール籠を2つ用意すれば多少効率的には回せますが、、籠から取ってシュート~を、流れ作業でやる練習は、、あまり意味がありません。

 

シュート練全般そうですが、、特にロングレンジはミート(ボールキャッチ)や、ステップを意識した練習をしなければ、、むしろ悪い癖ついちゃいます。

 

あとね……「ビックリするとこそこ?」っていうのもありまして……

 

千秋くんのやってるテクニックなんかは、高校生離れしてる風に扱われるんですが、、公式離れしてるだけで「凄く」はなかったりします。。

「エルボーパスなんて、高校生で出来るやつアイツぐらい……」

なんじゃなく……、公式戦でそんなストリート技やってたら怒られるで~ってだけの話で、「and1」世代の中高生は、むしろみんな「出来る」けど使わないテクニックです。

 

逆に誰も触れないんですが、、空くんのシュート、何が凄いってジャンプスリーのヘイダウェイなんですよ。。(絵を見る限り)

どっちもやろうと思えば出来ますし、そういうプロシューターは少なからずいますけど……それこそ、雑草系プレイヤーが手を出すシュートじゃないです。。

ジャンプスリーとは……通常のジャンプシュート同様、ジャンプの最高到達点でボールをリリースする打点の高いシュート。

厳密に言えばみんなジャンプシュートなんですが、高校生のよくやるスリーって、そんなにちゃんとは飛ばず、リリースが少し早いのですよ。

空中で止まった状態でリリースするのではなく、ジャンプで上に伸びる力をボールに乗せてリリースするので、打点はちょっと低くその代わりモーションは早いです。