♥水無瀬ゆき♥さん描きたいマン(修行中)

ド素人による、水無瀬ゆきさんファンアート修行の軌跡 

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(但し、水無瀬ゆきさんご本人及びユキトモさんは、その限りではありません!)

センセーションの編成SHOWは、平成昭和の片影でしょうか?

あー、よく寝た。。おはよう令和。

まぁ、よく寝たのは先週末だけど(←記事に時間かかりすぎ)

そうなんですよ、、

私ね、意識戻ったら元号変わってて、お祭り完全スルーだったんで、未だに「令和」の実感湧かない勢なのです。

ま、それはどうでも良いんですが(←マジで)。

 

最近、アニメ見てもマンガ読んでも、「おもしれぇ」より先に、「気に入らない」とこが目に付く。。し、感想もわりと否定的になりがちなんだけど~……、

 

この感じはたぶんあれだ。。脳みそが遊びたがってる感じだ。掘ってばっかで脳みそ凝ってきちゃったかも……。

今回はもう書き始めちゃったし、完全に穴掘りだから、、別枠で、ちょっと遊ぼうかしら、ね。

答え探しや原因追求じゃなく、、空想、妄想、想像、奇想。ごっこで良いからなんか作らないと、「つまんねぇ」が全身に感染しちゃうわのよ。。

 

ども、遊び倒してなきゃ何のための人生よ?が口癖の(いや、言ったことねぇけど……?) The おっ様でし♪

 

そんな(本っ気で)どーでもいいことより、水無瀬さんが先生か~、それ超ハマるなぁ、と、いうお話です。(ほんと、最近話題が1周遅い……)

みなせんせぇって響きもちょっと懐かしいですし、水無瀬さんが学校の先生とか、凄くいいなぁ~♪とか思う私であります。(←学校の先生じゃないけどさ) 教えるの上手そうだし、何より可愛いし!(←関係ない)いっそ教わりたい!

ま、、実際に学校の先生なんかやったら、本人がめっちゃ抱え込んじゃいそうなんでお奨めはしませんけれど(下記参照)、、能力や資質っていう面から見れば、かなり先生に向いてる方だと思うのです。

 

別にテキトーに褒めてる訳じゃなかですよ。

 

私ね、ユキトモって凄く学級感あるな~って前から思ってたのですよ。

まぁ私は他のアイドルさんは本当に知らないので、ちゃんと比較対象がある訳じゃないんですが…あの空気感って、わりと特有のものな気がするんですよね。

 

配信イベやゲームイベなんかで、水無瀬さんを中心にユキトモが一丸となる時の空気感って、一つの学級を思わせるんです。

たぶんそれは、水無瀬さんが丸投げにしないで「纏めよう」「引っ張ってこう」ってしてくれるから~ってのが、一番大きな理由なんですけどね。

水無瀬さんはほんとに人をよく見てらっしゃいますし、とことん向き合って下さる方ですし、大人数相手の対応力もありますし、問題児の捌き方が凄く上手いので、クラス担任とかやったらめちゃくちゃいいクラス作りそう!って本気で思うのです。

問題児の捌き方、ほんとにしっかりしてますよね。(大事なことなんで二回目)

私も例に漏れず、しっかり問題ある身だと思うので、、水無瀬さんのオタクじゃなかったら、きっと続けられなかったし、居させてもらえなくなってただろうなぁ……と、シミジミ思うのであります。

(まぁ別に誰に許可された訳でもないですが、、もし、「居ていいなんて一言も言ってねぇけどな?」って本音をぐっと堪えている方は、デスノートにでもお書き下さいませ。こいつ遠回しに言ってもストレートに言っても、「またまたぁ~w」でやり過ごす腹づもりを決め込んでやがります。)

 

学校の先生がお奨め出来ない~っていう理由は簡単。今の小、中学生は、ほんっ気で話通じない子どもも多いので、相手の本質とちゃんと向き合おうとする水無瀬さんがしんどくなっちゃいそうな気がするのです。「こいつは何言ってもダメだ」って子を見放すでもなく認めるでもなく、妥協点に導く……みたいな折り合いの付け方は、わりと負担に感じる方だと思うのですよ。

「いいクラス」が生まれにくくなっちゃったこのご時世、水無瀬さんみたいなハートフルな先生は、正直勿体ないなぁ、、と。

昔はね、、生徒の側もクラスで仲間作んないと居場所確保できなかったんで、虐められようが馬鹿にされようが取り敢えず仲間になっとこうかねぇ…っていう妥協派がいたんですが…(あ、はい、私もですが)、今はその必要が無いですからね。。

ネットの普及は、ほんま学校教育の難度を爆上げして、存在意義を濃霧で包み込んでしまいますたな。。

 

前も言いましたが、私の両親は教職員なんですけどね…。

曰く彼奴等、、「今のご時世、教職に必要なのは“いい加減さ”、“鈍感力”」だそうで、、。

なんでも、若い教員の退職率がヤバいんだそうです。

モンスターチルドレン、モンスターペアレントは、メディアで触れるほど可愛いレベルじゃなくなっていて、教師いじめもわりと当たり前になってきてます。「いい人」じゃ回らないし、理想の高い自信過剰は叩き折られるのだそうです。

いうて、父親は「俺が正義」系の人種でしたし、母親は典型的な「お人好し」タイプなので、「それ聞くと真っ先に潰れそうだけど??」と個別に言ってみたことがあるのですが、、

「あんた(おまえ)程の問題児に会ったことないから、大丈夫になった」んだそうで。。

そりゃどーも、と。

曰く、「拗ねてるガキや擦れてるガキには対処法がある」(←まぁ、一応熟練の大ベテランでしたから(←既に引退してます))が、「本当に何考えてるか分からない子どもは、叱り方も指導の仕方も分からない」んだとさ。

 

普通ね、問題事には予兆があるから、教師たるもの「危ういなぁ」って気配を見落とさないようにしているんだそう(あ、先に言っておきますが「みんな平等に」は、綺麗事だし不可能です。多少扱いが偏ってもリスクヘッジはしておかないと、学級は簡単に崩壊します)なんですが、、悪さも感情の起伏も(傍から見たら)予兆なく突発的で、発言も突拍子もなかった(らしい)ショタぽぉは、大人たちには奇怪に映っていたようなのです。

家庭訪問での担任の第一声は、「あの子の扱い方が解らなくって…」だそうで、今なんて比べ物にならないくらいの厄介くんだったのですよ。。

 

私は自分のペース、自分のルールで生きていたので「なるほど」と思えないルールには従わない子どもでしたし、それで怒られても別に更生しないし、かと言って反論もしない。。「ふーん、あなたはそう考えるんですね」と、心の中で思ってるだけの子どもでしたので……。まぁ、そうなったのにも一応の理由はありますけどね。。

父親がね……頭ごなしに怒鳴り散らして反論すれば拳が飛んでくる、、会話にならないタイプの親でしたので、、私は早々に諦めてしまっていたのです。

ただまぁ、無視しても殴られるので、私は核心に一切触れず「言っている意味が理解できてない子」「なんかズレてて会話の成立しない子」として生活していたのです。

ただその割には、連絡帳を偽造して勝手に学校休んだり、テストや通知表、親に協力を仰ぐ宿題なんかの偽造や隠蔽、、友達の買収…etc.. とまぁ、明るみに出る「悪さ」が緻密というか姑息でありまして、、「なんでこんなことをした」と問うても「なんとなく」としか答えない。そりゃまぁ、大人から見ればシンプルな子どもではなかったんでしょうね。

ただ、それでも所詮はガキですから、ちゃんと辿れば底は浅かったと思うんですけどね。。私が辿らせなかったのもあって、表向きはかなりの不思議ちゃん……というか、電波くんだったんだと思います。

 

私の両親は、私というモンスターで教育につまづき、時代の移り変わりで増えていった新時代のモンスターたちは屁でもなかった……ということらしいです。

極めて心外なお話ですけどね。

別に私、悪さはするけど、周りに毒撒き散らしたり、悪影響振りまいたりはしてませんからね。

ソロプレイ且つ無害なモンスターだったはずですから。。(←買収、共犯は悪影響だと思ってないらしい)

悪いことするけど悪いスライムじゃないよ!(←)ってなもんですよ。

 

まぁ両親にとってモンスターペアレントが端から敵じゃないのは解ります。。

私から言わせれば、父の本質はモンスターですから、、

自分の職業棚に上げ、私の素行も棚に上げ、頼んでもいないのに学校に怒鳴り込みに行ったりしてましたしね。。

いやぁ、それ別に学校のせいじゃなくね??って、私はため息ついてました。というか、同業者相手によくそんな理不尽なキレ方出来るなぁ、、恥ずかしいから止めてくれ、と。(言ったら殴られるので思ってただけですが)

因みに、父は(まぁたぶんストレスで不安定だったんでしょうけど)母に対してもそうだったので、母はモンスター余裕でしょうね。。

一応の補足ですが、彼なりのルールもあるようで、、母や妹には基本的には手を挙げません。物投げつけたり壊したり、、は、ありましたが、、(だからこそ、勢いで妹殴った時に私がブチキレたんですが……)。サンドバッグは、常に私でありました。 

 

私は父親との関係を未だに問題視しているので、大人になってから何度か当時の話をしてみたりもしているのですが、、(未だにヒートアップするので、冷静に話すの大変……)

曰く父、「感情のままに殴ってた様に見えたかもしれないけど、痕が残ったりしないように顔は控えたり、ちゃんと気を付けていたんだ」そうで……。

いやはや。。理性保って蹴り倒してた事実もそうだけど、、顔や腕を避けてボディに行くのはむしろ典型的な自衛だってのが分かってないのかなぁ、この人は……と、ため息をつきました。

まぁ、自身が教育者ですから、痣だらけの息子を世に送り出す訳には行かんでしょうしね。…っていうか、んなことはガキの頃から気付いてたけども、それを今「気を付けてた」と言える感覚がすげぇな、と。

何より、、身体の痛みなんか今は一切残ってないわけで、、問題なのは「殺される」と本気で思っていた心の方なんですけどねぇ……と。。

 

まぁ、よくある話……ですし、単純に私が脆くて、早々に諦めてしまったのが問題なんだと思いますけどね、、たまにそう言われますし。。

 

よく聞くDVを受ける子どもの傾向に、「それでも好き」と、数少ない楽しかった思い出や優しいイメージを捨てられずにいる。。という依存パターンがあるんですが、私にはそれがありません。

父が作ろうとした楽しい方の思い出も、「どうせまたすぐブチキレる」「早く終わって欲しい」と嫌々過ごしていたので、楽しかった記憶が一切無いのです。(いや、ほんと遊んでてもすぐキレるんですもん。頼んでないのに「相手してやってんのに」「教えてやってんのに」……ですからね。。)

流石にどっかにはあるはずなんですけどね、、プラスの記憶……。そっちが完全に消え去ってるんですよ、私の場合。

未だに父を見て反射的に起こる精神反応は、恐怖と嫌悪の二択です。。頑張ってるんですけどね、マジで。

殺意が(滅多に)起こらなくなっただけ進歩なんです。。

いやほんと。。そこは笑えない話です。。

どうしようも無いレベルの衝動があったのですよ…。

いつか、殺るか殺られるかしかねぇだろ、もう……って思ってましたから。。

 

昔から、親を殺す夢は吉兆、成長の兆し……なんて夢診断がありますが……当時の私が見ていた夢は、刃物を持って追い回されて、何度も切りつけられ、死に物狂いで刺し返すような、、殺し合いの夢でしたから。

まぁ、起きている時にも包丁向けられて「殺してやる!」と、喚き散らされたことあるんで、病んでたのは向こうなんじゃないかなぁ、とも思うんですけどね。。

ただ本人曰く、理性的に怒っていたんだそうで(ため息)、そういうことにしときましょう……ってな塩梅でありまする。

 

いうて、今となっては普通のおっさんだと思うんですけどね、客観的には。。

こちとら感情を扱うお仕事ですし、、平坦にするくらいは楽勝だろ……って、何度も思うんですけどね、、

そもそも、中学生くらいからこっちは、背丈でも腕力でも負けるところがなかったはずですし……

筋もんの方と向き合ったこともありますし、もっと怖い思いも何回も味わってるはずなんですけど、、本能的な拒絶が起こるのは父親だけなんですよね。

もう全身が「シャーッ」ってなりたがってるんで、何事も無かったように、しれっと感情をオフるくらいしか、未だに対処出来んのです。

それこそ、しっぽが抜けるんじゃないかってくらい、感覚が先走って逆立ちますから……。

 

私の感情コントロールが効かなくなるツートップは、パピーとゆきちゃん、なのですよ。。

うん、並べた瞬間に不快感でいっぱいになったので、二度と並べません。なんか、ごめんなさい。

 

水無瀬さんの前で頭真っ白になるのは、全然別のお話ですから(当たり前だ)。ただまぁ、あれはあれで改善したいんですけどねぇ、切実に。

 

会いたいなぁ……。

 

……。……ちょっと一息つきまする。。うむ。

 

一応の補足と言いますか、、たぶんこれも幼少期からの~ってお話になっちゃうのですが、、私、「グーパンできない星人」なので、やり返したことは一度もありません。

というか、、人を殴れないんですよね……。

そんなに安心安全な人生歩んできてませんので、揉め事に巻き込まれたことがない訳じゃないですが……例え先にやられてカッとなって、グーで振りかぶったとしても、相手すり抜けて壁直行か、寸止めになっちゃうので追撃されて「ふぎゃーっ」ってなる子でした。

 

まぁ、殴れないだけで、、胸ぐらドーンで張り倒したり投げ飛ばしたり取り押さえたり~はしてたんですけどね(遠い目)  ただ、顔面直撃や血が出る系のいわゆる打撃は、生まれてこの方出来たことないですね…(←出来てたらフルボッコ免れてたかもしれないのになぁ…という意味で)

まぁ、喧嘩とか関係なく、自分自身は傷やアザの絶えない子どもだったので、自分の血は全く気にならないんですけどね。。

 

わりと古風な町の育ちの私にとって、この習性は、ただただ一方的にやられる損な習性だったのですよ。。

例えば、、転校してきた半端なヤンキー崩れが、力を誇示するための格好の的になっちゃったりね。。(張り手と掴みかかる以外の抵抗をしないから、殴り放題で、毎日出血大サービスだった)

ただまぁ、、(大人から)打たれ慣れてるので、、そいつに恐怖心を覚えることはなく、普通に友だちになってったんですけどね。

今はそいつ、格闘何種類もやってバッキバキになっちゃってるから、一撃だって貰いたくないですけどねw(未だに血の気は多い困った大人なのです……)

 

まぁでもこの、一番怖いのは親って構図は対大人でも悪い方に転んでまして……

ラスボスがずっと家にいたので、学校の先生ナメてたんですよね。。(これは、前にも少し話した気がす…)

別に殺されやしないだろ?と思ってましたから。。

(逆に、所有物と認識されている実父には、いつか殺されかねないと思って過ごしていたのですよ…)

 

ただまぁ、グレていたわけではありませんので、なんでもかんでも突っぱねていた訳ではなく、「納得いかなきゃ従う気はない」っていうだけだし、それもわざわざ口にはしませんでした。

「ルールだから」という理由で怒られても、知らんがな……「あなたのためなんですよ!」は、余計なお世話だなぁ……っていう、ほんっとに性根の腐りきった子どもではありましたけどね。。

逆に「人に迷惑がかかる」は、ちゃんと「なるほど」ワードだったので、その手の説教はすんなり受けてますた。

が、「誰も迷惑してなくない?」と、私が思う範囲は、基本なんでもありな子どもだったんですよね。

まぁ、、こんだけひねくれてる時点で先生には常に迷惑かけてたはずなんですけどねぇ……。そこは、盲点でしたねぇ……。(←要はあまちゃんのガキ)

あと、親の迷惑は「知らんがな」でした。。

うちの両親がよく言っていた「恥をかいた」は、大っ嫌いなワードでしたので、勝手にかいてろ、って思ってましたしね。。。いやはやガキだなぁ(←まぁ、小学生は実際ガキなんですが)

 

ついでに私、学校で怒られるのは屁の河童でしたが、家庭で怒られるとボコボコにされましたので、基本学校で何か問題を起こしたあとの隠蔽工作は全力でやってました。嘘や言い訳に留まらず、口裏合わせにアリバイ工作、証拠隠滅、電話線管理(←マジで時間帯で抜き刺ししてたヤツ…)

ミスディレクションで小さな説教の種を蒔いといて、そっちをバカ丁寧に謝ったり~とかもしてましたね。

もう、この時点で処世術がクズ思考になっちゃってたんですよね。。

言い訳をしくじったり、嘘をつき通せなかったりすれば血を見るので、口は回るようになりましたが……

そりゃ、ろくな大人にはなりますまいて。。

 

まぁ結局、嘘がバレなくても「口答えするな」で殴られるんですけどねw

 

しかして、私がねじ曲がった一番の要因は、そこではなく、もう一層外側の話だったと思うのですよ。(まだあんのかい)

共働きで休日や夏休みイベも少なくなかった時代なので、親の学校の校外イベとかに連れてかれたりしてたんですよ。(預かり先が無い時とか…)「〇〇先生のお子さん」枠で。

ほんで、その「〇〇先生」の人気を見て、私は絶句するのです。

そこで見る父親の姿は、「優しくて面白いいい先生」だったのですよ。

本来なら、親を尊敬すべきタイミングなんでしょうが、幼少期の私が心の底から感じていた本心は「反吐が出る」でした。顔を合わすと怒鳴り散らして挙句は暴力……否定ばっか吐き付けてくる人間が、人格者を気取ってやがる……と。。子ども時代の私は「はー、、教師って上っ面でやってんだな、、」と、そう感じたんだそうです。

だから自分の学校生活でも、ほんっ気で向き合って「何がどう悪いか」解るまで教えてくれるタイプの先生の言うこと以外、一切耳を貸しませんでした、、とさ。

両親共が教員だと、自宅で職場の愚痴なんかもしてたりするわけで、「困った子」の話なんかも小耳に挟むんですけどね。。

その「困った子」相手に仲良さ気に話しかける「先生」としての姿とか(←いや、こっちはそうあるべきですがw)は、子どもの私には、「陰口叩いてる汚い大人」にしか映らなかったのですよ。

大人同士ならまだ良かったんですけどね、教師の表情は半分はフェイクだ、と、認識してましたので、その辺を我流で探るようになっていったのです。

 

そんな経緯もあって、私は大人の作った表情をやたら見抜く子どもになりました……。私が人の顔色に敏感になったのは、俳優業とは関係ないのですよ。

ただ、私はわりと普段周りを気にしないようにしているので、面と向かってない時はジロジロ人の顔見たりしませんし、空気も読もうとしないんですけどね(←いや、空気は読めよ)

 

先日の幼なじみの笑顔について、、つい水無瀬さんの名前も上げちゃったのに説明が不足してたなぁ……と反省していたのですが、、あれは見た目のお話ではなく、「笑わなきゃ」って意思が見える(ことがある)…というお話なんです。。

表情って感情で動く時と表情筋で「動かす」時で、使われる筋肉のバランスが違うのですよ。

とりわけ目は、嘘でも自分が楽しんでないとちゃんと笑えないのです。。瞳孔は意図的には動かせないので、ポーズで笑う時も、感情の方に嘘ついてあげないと、そもそも目が笑ってる温度にならないのです。。

この「嘘でも」が実は重要で、例えば心の中で「はいはい、楽しんでますよ!」と、(なんならちょっとキレ気味に)思ってても一応ある程度笑えるもんなんですが、「楽しまなきゃ」「笑わなきゃ」では笑えないのです。。

とはいえ、「笑わなきゃ」な笑顔って、性格悪い人より、対人に真面目(&ちょっと不器用)なタイプの人が見せる表情だと思っているので、個人的には好感が持てる表情だったりするのです。ただ、心配になることもあるけれど、、というお話でして。

まぁでも、そこはガッツリ掘るのは止めましょう。

ニッコリ系(特に写真とか)の笑顔は、みんなある程度「作る」ので、口角上げすぎ!とか目ぇ開きすぎ!みたいな上手い下手が出て来ますが、、楽しんでいる時の自然な笑顔に上手い下手なんかありませんので、言い方も間違えましたね。。反省であります。

言葉選び、大事だなぁ……。

RADWIMPSも言っておりますし、そもそものそれは私の初恋のお話からですし、ぶきっちょな笑い方って、実は、いと可愛ゆす~なのですよ。「無理してない?」「大丈夫?💦」って思っちゃうのは、好きあればこそ~なんですよねぇ。。

 

(´ρ`*)コホン

話、戻しますね。。

 

そういう変なとこに目ざとくなっちゃった私は、中学くらいになると、お説教の最中に「それじゃ謝れないよ、、今、怒っとかなきゃ~で怒ってるだけでしょ?」

「言いたいことあるだけなら、わざわざ怒鳴らなくてもちゃんと聞くから、少しボリューム下げません?」

と、説教自体にダメ出しするようになってましたから。。そりゃもう教師に嫌がられました。

まぁ、逆撫でして殴られたこともありますが(←まだギリギリそういう時代)、父親より恐怖を味わうことがなかったので、、怒鳴られるのは逆効果だったんですよ。。ポーズでボリューム上げられると冷めちゃいまして……

ただ、DVっ子あるあるで、身体はびくーん!!ってなるから嫌いなんですよね、、怒声。。

(後にお芝居を学んで、自らもガッツリ怒声飛ばせる子になるんですけどねぇ~……ただ、まだまだ軽いんですわ、、声質が)

 

ん~~~、、

 

てゆーか、話戻したは良いんですが、、これ、私の性根の腐りっぷりを掘り下げてるだけですな。誰得どころか、ただただ私が損をする話ばかりだ(←いつもわりとそうだよ?(小声))

 

止めよう!(手遅れ)

 

まぁでも、決定的な過去掘りだし、避けて通れない部分ではあるはずなんですけどね。。

 

一応、今更のリカバリーで一つ言っておきますが、、私こんなんでも先生とは仲良かったですからね? 

可愛げねぇ、生意気、とは言われてましたし、実際めちゃくちゃナメてましたが、、仲は良かったです。。

モンスターは、人一倍世話かけますからね(遠い目)

ちゃんと「お前の担任は二度とごめんだ(笑)」って言ってくれてましたから。(←ん?)

 

 

 

さて、もうちょい手前に話戻しますか。

 

えーとなんだっけ、、

「教師に必要なのは鈍感力だ!」でしたっけ?

 

これね、私が進路の話なんか一切しないもんですから、親に教職に勧誘されてた時期があったのですよ。。

ちょうど、「結婚はしなさい」「彼女くらい作りなさい」をマジトーンで説教されて萎えていた頃合い。。

間とって「図書館司書」って選択肢も上がってましたなぁ……。「国こそがブラック企業」っつぅ愚痴を昔っから聞いてて、公務員になりたいと思うわけがないんですけどね。。

 

「おまえくらいいい加減な人間が、教育現場には必要なんだ」とさ。まったく、、それでも、褒めやがらねぇ。。(ため息)←

 

これは、両親とも言っておりましたがね。。

 

お気づきでしょうか?

両親は、私の本質解ってないのでありんす。

まぁ生き方が超絶いい加減ですし、親にボロカス言われても表面ではヘラヘラしてるので、間違ってはいないんですけどねぇ……。(親にバカにされて噛み付いても拳で返ってくるので、発破かけられてもその場は知らんぷりが基本)(納得しなければ改めない!ってのは、家でもおなじでしたしね。。)

私は、鈍獣の皮を被ってるだけで、鈍感力は皆無でしてよ??

オタクとしての様を見てても解ると思うんですが……多少の回復力があるだけで、私はちゃんとダメージ受ける人種ですし、メンタルはかけらも強くなかとです。

 

ただまぁ、精神力を謳ってる「目指せ熱血教師」と討論してズッタズタにしてしまったこともあるので、、教師を聖職者だと思い込んで目指してる人よりは、図太さやしぶとさはある方なのかもしれませんけどね。。

 

この話はしたことあるかしら?

これは、先日話題に上げた幼なじみの仕掛けた罠なのですが……

 

実は彼女も教育者の家庭に生まれておりまして、大学で「一応」と教育課程を受講していたのですよ。(ぇ、私?私は一切取ってませんよ?w)

その教育科のゼミに私をゲストで招いたわけです。

(私の大学は「垣根の無い」を売り文句にしていたので、所属学科関係なくなんでも受講できるし、取ってもいない講義を勝手に聞いたり、討論会に(流石に許可取って)乱入したりは、そんなに珍しくないお話なのです)

一応建前は、「教育者ばかりの家庭で育った曲者~」みたいな感じだった気がします。

彼女にしてみれば、「真面目に教師目指してるからこそのヤバさ」を共有して、後で愚痴る相手が欲しかった~…のだと思うのですが。

彼女の目的は想定以上に果たされてしまったわけでして。。

 

手短にしたいので、ざっくり言うと……

「そんな綺麗事、教育の現場にいらねぇよ?」ってことを突きつけただけなんですけどね。

まぁ、一応は見学者の立場なので、控え目にその場にいた(つもりな)んですが、、

なるほど、幼なじみが手こずるわけだ、と、援護射撃を入れていたら食いつかれまして、自動的にディベート状態になったんですが……

「夢見てんじゃねぇ」というか、「てめぇの"夢"で教育しようとしてんじゃねぇ」ということを切々と語ってしまった結果、折れてしまいましてん。

 

その日のゼミ生の総意を雑に並べれば、「清く正しく」育てるために、汚いものにいかに触れさせず、間違ってる奴をどう徹底して直していけば良いか、と。

まぁまず、「間違ってる奴」と「正しい奴」に分ける奴は教壇には立つな、、と思うんですが……

元々の議題は、「親を殺した少女」の絵本について。(やっぱこの話したことある気がするなw)

「こんなもの絶対に子どもに読ませたくない」っていう「うわぁ…」な発言が飛び交っていたので、「うん。じゃあ、例えば君らのクラスの生徒間でこの本が貸し借りされて広まっちゃったとしたらどーする?」と聞いたら、「そりゃ厳重注意です、、特に貸し出しをはじめた子には~……」と言い出したので、「うーんこれは…」と思ったのですよね。

「興味を持つな」は教育じゃないし、既に知ってしまったものを「忘れなさい」も教育じゃなかですよ。

大事なのは、「見ないこと」じゃなく「見て何を感じるか」だし、感じ方がどうであっても頭ごなしに否定すべきじゃありません。「危うい」と判断した時に初めて、話し合うべきものなんですよね……こういうの。ですから、、「そこは叱る所ではなく一度受け止めるべきところやろ?」と。ホームルームで話し合い~とかなら、ワンチャン…でしたが、「厳重注意」はどーなん?と。

 

そしたらば、汚いものに触れなければ綺麗に育つんだから「見せなければいい」と振り出しに戻されたので、「わざわざ見せろとは言わないけど、いずれ手にするかもしれない物を"見せなきゃオケ"で片付けるのは、教育者として逃げなんじゃねぇの?自分に見えるとこで問題起きなきゃいいって言ってんのと同じだよ、それ」と。

 

実際のところ、そこはどっちでもOKなので、これは発破です(←ディベートの煽り方タチ悪いヤツ)。頭ごなしに否定しなければ、「見せたくない」はひとつの価値観ですし「見せないように気を配る」もひとつの教育手段ではありますから、、

まぁ私はそのスタンスも好かん!のですがw…、論点はそこではなく、「そんな君の理想が崩れたら、どう対処しますかー?」に対して「理想は崩させない」に走ったので、「それは、誰のための理想だ?」と突っ込んでいったら、何人か潰してしまったのですよ。。

 

上記の通り、私は断トツにモンスターでしたから、「そんなんじゃ「はい」とは言えないよ、先生……」を、まだ先生になってない若者(いうて歳上)達に言ってみただけなんですけどね……。わりとしっかり挫けてしまわれました。。

まぁ、いうて大学の時の話ですから、、流石に後でフォローと真意は伝えましたけど。。

私と彼らが新任教師と生徒という立場で出会っていたら、、っていうのが、正に現場で起こっているんだろうなぁ……と。。

 

ちなみのちなみ、大元になった「議題」を放り込んだのは幼なじみです。

「こういう、残酷な描写を含む本が図書館にある」ことを「どう思う」と。。

まぁ、「予想通りの反応だった」と言っていたので、彼らの反応と私の「えー……」は、予定通りだったんだろうなぁ、と思いますけどね。

「思っても言わないと思ってた」そうですが、、まぁ、ゼミなんて意見ぶつけてなんぼですから。。(←ゲストだけど)

 

ただね、、私が言うべきことだったのかは、微妙なとこですよね。。

ベテラン教師が呻く様なモンスターだったからこそ見てきた教育の在り方ってのは、確かにあるし(投げ出した人もいましたからね…)、、こういう場以外でも「オレに一言言わせろ!」って思う場面はなかった訳じゃないんですけどね……。それは本来、私が口にしてもしょうがないのですよ。。

なので、私があの場で言いたかったのはただ、そんな泥水避けて理想を庇うようなスタンスじゃ現場で潰れるし、子どものためにもならんで?  っていう…ただの警鐘だったんですけどね。 

出過ぎる性分は、、この頃からあった……ということですな。。

 

そして、このタイミングで、、今正に……そんな私の心中を潜り抜け、死角から核を貫き通す言葉を目にするのです。

 

「痛みを当たり前だと思ってる人は、人に強くあたりがち」

 

ここを訪れる方で見覚えないって方はいないと思うんですが、、推しの………水無瀬さんの言葉です。

人様へのリプを拾うのは止めときなさいよ……といつも思うのですが、、メタクソ刺さったもんですから、また拾ってきてしまいました。。

 

この人はどうしていつも、、私がたった今見落としかけたものを掲げて立っているのでしょう。。

 

穢れを知らない人の綺麗事は、時に人を傷付けます。痛みを知らない人の正論もしかり、、それはもはや、一種の暴力だと私は思います。

しかして、逆に、痛みに耐えてきた人間の言葉もまた、そうなりがちなんですよね。。

自分は耐えて見せたぞ、おまえも耐えろよ……と。

ん~ん、違うな。。「え?これくらいの痛みは平気でしょ?」って言うんですよ、、言っちまうのですよ。。

 

まるで、行き過ぎたスポコン格闘家のように、、

「HAHAHA、このくらいの痛みは、むしろ気持ちいいくらいだ!!君もそうだろう?」と。

まるで、秘密教団の教祖の様に、、

「アナタぁも、自ラの血で身ヲ清めるのでェす!」と。

自分のボーダーを、他人に強要しよるとです。。

というか、、麻痺しちゃってるから、どっからが痛いのか解らなくなっちゃってるんですよね。。

 

一呼吸おきたいので、ちょっと違う……けど軽く掠る感じの話を挟みませう。。

 

新人の定着率が恐ろしく低い、「揚重」というお仕事のお話です。

私が「補修」の仕事をもらってる会社は、別部署でこの「揚重」業務も請け負っているのですが……

私は、(すごーく)若い頃にやっていたこともあり、たまぁにそちらのヘルプにも行くのですよ。この職業がね~、、ちょっと感覚のぶっ壊れた方々の集まりでして。。

 

「揚重」別称「荷揚げ」業務は、超純粋な「肉体労働」です。まぁ、建築材料をなんでも運ぶよ~ってお仕事なんですが……一番分かり安い「パワー」の判断基準に、「ボード何枚回せる?」ってのがあるのです。

ボードとは石膏ボードのことで、規格や材質は幾つもあるのですが……

要は、一番良く使われている 12ミリ (約 900×1800×12)のプラスター(って素材)  を1回で 何枚運べるか~っていうお話です。(立てかけてる状態からくるりと反転させて横向きに持つので、持ち上げること自体を「回す」と言う)(因みに平置き状態の資材を、てこを使って運びの正位置に持ち上げることを「煽る」と言います←使うことないでしょうけど)

 

このボード、一枚だいたい 15㎏ あります。

ベテラン勢だと8枚とか、最高で14枚っていうのを聞いたことがあります。。(いやはや…怖いよね、、)

重さもなんですが、、厚みもあるので物理的な限界がその辺なんだとか。。

若い頃の私は、オフィスワーク+肉体労働+その他~みたいな感じで複数職に同時につくことが多かったので、物を「持ち上げる」「運ぶ」くらいのことは、チョロいと思っていたのですが(基準:180Lくらいまでの冷蔵庫や縦型洗濯機(ドラムは不可)は片手で担ぐものだと思ってた頃)……6枚が限界でした……。いや、回すだけなら8枚やったことあるけれど……「あかん落とすw」つって、すぐに逆くるんして下ろしました。

いうて6枚でも90㎏なんですけどね。。

 

で、今はといえば、、

たまぁのヘルプで行くと、もう全然パワーが無いから(歳もあるけど)、感覚の違いにビビるのですよ。。

仕事の内容で言えば、何往復もして何百枚ものボードを捌くので、持久力も計算に入れなきゃならんのですが……、4枚でも半日もたないんです。。(まぁそれを、たまに2枚にしたりしながら気合いで乗り切る……くらいが、今の限界です。。)

 

何の話か。

 

この「4枚」が、わりと新人の闘龍門なのですよ。

2枚運びは先輩に「えーっ」(煽り)って言われてしまいます。

しかして問題はそこではなく、、2枚を「えー」と言ってしまう彼らには、2枚すら回せない人の存在が「有り得ない」のです。

まぁ実際、女の子でも4枚回せる子とかいますし、荻野さんくらいの小柄な女の子が2枚回してるの見たこともあるので、健康体の男性であれば、せめて二枚は……と、思わなくもないんですが、、、

この、、「最高何枚」「自分は何枚」「何枚回せる女子がいる」みたいな情報が「当たり前」になってしまい、二枚のまま一日通しで働けない人間に関しては「有り得ない」と、精神論で片付け始めてしまうのです。

いやぁ、、実際キツいよ?w  30㎏を何回も上げ下ろしするのも……

 

結果、「潰れる」子が多発します。まぁ、グループによっては、「潰す」気で扱いて新人を篩にかけるところもありますが(←事故多発するから絶対やめた方がいい…)うちは一応老舗ですし、(超体育会系の輩集団にしては)わりと温厚な社員が揃ってるんですよ。(まぁ、怒声は飛び交うことありますけどね)(私はわりと「いびり」とかあった世代の体育会系育ちなので、下っ端ノリで合わせられるんですが…)

だから彼らは「潰す」気はない……のです。ない……のに、「潰れちゃった」……って言うんです。

 

まぁ、正に視覚的な「ボーダー」の形ですよね。

 

「痛み」だけじゃないんですよ…。

 

「プレッシャー」「責任」「熱意」……

「理解力」「才能」、、「努力」まで……

 

「当たり前」にしちゃった物を平然と押し付けるようになってしまうんですよね、、人って。。

 

これは、子どもに対しても気をつけなくてはいけないことなのだけど、、一方で気を使いすぎて甘やかしたり過保護になり過ぎるのも教育としては良くなくて、、適切なボーダーを探し始めると、なかなか難しい問題だったりするのです。

というか、何を伝えるかをさじ加減で見計らってる大人は見透かされるんですよね……。

問題なのは、どう伝えるか、、ってことと押し付けないこと。なんですよね。

 

あー、、知ってる、知ってた、なのにすぐ忘れちゃうやつだ……。

 

それを、シンプルに……しかも予想外の方向から、それこそ当たり前の外側から差し出してくるのは、、やっぱり水無瀬さんなんだなぁ……って。

 

広い視野で色んなことを独自の角度でしかと見つめ、考え抜く人だと思っているけれど……

言葉に対して敏感なのも、研ぎ澄ませているのも解るのだけれど、、

んなこたぁ、表現者諸君はみんなやっているのですよ。。当然プロも。

それでも、、そこらに散らばってるどんな作品よりも、鋭く貫かれるのは、水無瀬さんの言葉や行動だったりするのです。。

 

好きだから?  それはそう。

しかしてそもそも、好きになったのも貫かれたからなのですよ。

やっぱり、この人は特別なんだよな~、、と、そう思います。

 

でも、どっちなんだろう、、ピンポイントで私に刺さる言葉が多いのか。もっと普遍的なものなのか。

 

前者な部分も確かにありまする。

 

今回もカウンター的に、かなりタイミングよくしっかりグサりますたし。。

落し物だと思って拾ったら、自分宛の小堤で「あれれぇ?中から時計みたいな音が聞こえるよォ??」……つって、勝手に拾って勝手に被爆しますたので。(いえ、別に嫌とかではなく寧ろありがたいお話なんですが)

もちろん、このダメージは、日の光を浴びたゾンビのそれであり、モンスター故に聖水で溶けちゃうっていう類いのアレで、、いわゆる「痛み」とは別のものです。。

耳におさまらず、心もジクジク痛みまするが、それでも「痛み」ではありますまい。。

 

しかして、これも確かなことで……普遍的だからこそ貫通するんだ…とも思うのですよ。。

 

優しさの本質は想像力です。

自分が痛みを知っているか否かではなく、人の痛みを想像できるかどうかです。。

もちろん、経験によって知る痛みもありますが、結局それを自分の物差しにしか取り込めない人間は、優しくなんかなれません。

痛みを知らなすぎる人も、慣れて麻痺している人も、相手の痛みを想像出来ない点では同じです。

「なんか痛そー」って思えるなら、前者の方がマシなくらいです。

 

人の側に立って物をみるには、、かつての私は好き嫌いが多すぎました。「許せない」ことも多すぎました。だから、「嫌い」を減らし、「許せる」ための経験を進んで積もうとしていた時期があります。

その結果、私は「優しくあろうとする」こと自体を、意思を持って止めることにしたのです。

昔の私は、憧れていた優しさを演じていただけの人間でしたから……強さを伴わない優しさでは人を支えることは出来ないし、傷だらけの手を差し伸べても相手を血で汚すだけだったりします。。

何より、そんな芯のない優しさは貫けないですから。。

 

支えようとした腕が折れれば、身を預けた人は倒れてしまいます。差し伸べた手が千切れれば、しがみついた人もろとも落ちていきます。

ついでに例えば、その腕に機械仕掛けの自爆装置が付いていたら??

腕が「やべぇ」と判断したら、勝手に切り離されて爆発する。。そんな自衛機能が付いていたら?

一瞬でも判断が遅れて、腕が切り離されてしまった時点で、吹き飛ぶことは確定ですから。。最初っから爆弾突きつけてるのと同じなのですよ。

 

自衛心の強い人間の優しさなんて、しょせんはそんな爆弾なんですよ。。

 

そしていざそんなことになった時にやっと、、守ろうとした相手も、自分自身をも「裏切った」んだと知るのです。 手遅れですけどね。

 

私は自分の本性は知っていましたし、人を傷つけてばっかの人生だってのも自覚はあるのに、、それでもそんなことを繰り返して来てしまったのは、、結局、腕がもげるまでは気付かない鈍獣だから。。

痛みなら、嫌ってほど蓄積してたはずなのに、、なるほど、慣れて麻痺してたわけだ。。

 

鈍獣の皮は、痛みを緩和するから気付かんかった。

皮の下の皮膚も、、いつの間にかかさぶただらけでガッチガチになっていたんですね…。

 

「痛みを当たり前だと思っている」って言葉は、、ほんと正にだなぁ、、

 

そういう人たちを嫌ってきたはずなのに。。

 

「それくらい」と言われることが、一番嫌だったはずなのに。。

 

水無瀬さんのお陰で、、ここで一度、足を止めることが出来ました。痛みをなぞることで、もう一度思い出すことで、、濁りきった鈍獣の目、くり抜くくらいのことは出来るでしょうか……出来たら良いなぁ、と、そう思います。

 

水無瀬さんは私の先生です。 まぁ、「違うやろ」って誰しもに言われるでしょうし、月謝とか払ってないので完全なモグリですけど……私にとっては、ずっと先生……というか、、「師」なのですよ。今思えば初めから、、。

 

何者でもない人の言葉が刺さるほど、私は空っぽでも純粋でも無いつもりなんですけどね。

特別な存在だからあそこに居られたんだってことは、解かっていて欲しいなぁ~と、、そんな風に思います。

 

夢アドにいたから特別だったんじゃなく、特別だったから夢アドになれたんだし、特別だったからあの場所で輝けたのですよ、と。

 

これまた、私の言えた義理ではないですけどね。

 

ふむぅ。。

しかして、貫かれたからには我が振りを省みなければ、ですな。

 

私は基本、上から来る相手にしか噛み付きませんが、いざ噛み付く時はわりと容赦ない……というか、、逃げ場をどんどん絞って責めますから……。あたりは、、キツい方なんだと思います。。

痛みが当たり前……って響きを聞くまで、そういう時の自分のスタンスが「てめぇもここまで下りてみてから物言えや」なことに気が付きませんでしたよ。。

 

いやはや。。ほんとに気をつけよう。

 

まぁ、そういう性質以前に……そもそも私、仕事熱心じゃないので、よっぽど愛せるクラスじゃなければ、折れなくても投げる気がしますけどね。。

え、やだよめんどくせぇ!って言いますし、許せないことは黙ってらんない質なので、私がクラスをぶっ壊す可能性の方が高いですよ~、と。

 

ただし、下向きに噛み付くことは、ほんとまず無いので、若者には甘いんですけどね、私。。

それでも、私の前に幼少期の私が生徒として現れたら、躊躇なく全力で叩き潰すと思います。

私はたぶん、、私に耐えられません。。許すことも出来ません。

 

そう考えると、父親がああなったのも仕方ない気もしますけどね……。

少なくとも大多数の子どもを相手に何十年も「良い先生」をやってきたわけだし、わりと若いうちに校長職に辿り着くくらいには、優秀な人材だったのでしょうから。。

 

私が父をあんな風にしたのか、父が私をこんな風にしたのか、は、、ニワトリたまご ですけどね。

 

私に先生は、、無理なのですよ。

 

塾講師とか、チューターくらいならかまいませんけどね。。実際やってましたし……。

 

そう、私、塾の先生やっておったのです。。一応、ね。

 

看板の上では「個別指導」なんですが、自習室をぐるぐる回ぁる~で全員見る~ってシステムだったので、通ってくる子全員生徒でありんした。

 

とはいえ、ある程度担当みたいなものがありましたので、主に小3~中3の子を教えておりました。(まぁ、誰に懐かれるか~…みたいなレベルのお話だったので、私は結局、全員見てましたが……)

そもそも小、中学生向けの塾なのですが、高校に通うようになっても継続する子がたまにおりまして、、そういう子の勉強にはお付き合いしてましたけどね。

 

塾なので、もちろん勉強を教えるのですが、、

私、人生で「学業」と真剣に向き合ったことが無かったので、、ちゃんと「勉強」したのは、この時が初めてだったように思います。

特に、算数・数学はからっきしの生き物だったんですが……この期間に、かなり取り戻しましたね。。(使いどこらが「教える」以外にありませんがw)

 

ビックリなお話なんですが、、「沼」脳は数学力を勝手に育てる(らしい)のですよ。

私は昔から計算が苦手だったので、算数の時点でつまづいてしまい、数学は序盤からアウト~でありました。

なので、「国語専任」のつもりで塾講師に応募したんですが、「全教科見る」こと前提だったので、腹を括って勉強してみたのですよ。

結論。。やってみたら解る。(←中学数学は、全学年特につまづくところがありませんでした……)

いやぁ、、当時マジで理解出来んかったぞ、コレ……というのが、しれっと解るんですよね。。

これは、ちょっと本気でびっくりしました。

 

以前お話してますが、中学生時代の私は、特技科目四教科(体育・美術・音楽・技家)はぶっちぎりのオールラウンダー(オール5)に漕ぎ着けましたが(←一応努力はしてますた(←楽しくw))、主要五教科は綺麗に平均位置でして…平均3ちょいくらいの人間なのですよ。。しかもどんどん下がって行った口でして(←勉強しないし、授業あんま聞いてないからや…)……

最初は4と5を彷徨っていた国語が、漢文サボったお陰で4固定になり、、一段階下のたまぁに4になる英、理、社が、3固定になり、、はなっからギリギリ3だった数学は、ついに2になり~……(←この成績で進学校行くってほざいてた奴)  まぁ、都立受験に提出する最終成績は、数学(補講で)3にねじ込んでもらいましたが、、「ほんっとにギリギリ2に毛が生えた3だからな!」というお墨付きだったのですよ。

 

まぁ、私の場合、提出物出さなさ過ぎの減点もあったので、理解だけで言えばもうちょっとだけ上がったのかもですが……。どう考えても、人に教えられるような成績ではありませんでした。

 

まぁ、そっから3ヶ月の「受験勉強」で都立問題を常時八割越えするレベルまでは詰め込みましたが(←確か84だか86%が合格ボーダーだった)……、英、理、国で引っ張り上げてただけで、数学は六割も危ないラインのままだったはずです。(確か本番は数学がギリ七割、、英、国は九割後半とかで通過したはず……社会の詰め込みは間に合わなかったので、穴突かれたら落ちてたかもw)

公立校の問題はセンター試験と同じで、難易度の上から下までが綺麗に振り分けられてる問題なので、10点20点の差はそのまま学力差なのですよ。。

まぁ、とにかく数学はほんっとに解らん!ってまま進学したんです。

そして、入学早々行われた「中学の復習」と称されたテストで、見事に12点(100点満点中w)という赤点の半分以下の数字を叩きだし、高校数学は落第クラス(←数学だけレベル分けの授業編成があった)から一歩も動かなかったのです。(←投げた)

まぁ高校は、授業自体参加してなかったので他の教科も大概でしたが、、数学はミリも進歩してないはずなのです。。

ついでに言えば、大学受験時に再度詰め込んだ英、国、社、と違い、完全にノータッチだった数学は、おそらく中三の終わりから一切触れていないのです。

 

高校時代はネタ抜きで最初っから投げてたので、定期テストも一桁とかでしたしね……(0点もあったなぁ、、実際)

大学受験時に模試だけ受けてみたことあるんですが……高校数学で解けるのは、中学の延長にあたる因数分解のほんの一部と、確率……(←中学生の解き方だから、Pとか使わないw)あとは、図形が少々……くらいのもんだったんです……

見たことないような偏差値やったなぁ……数学だけw

 

まぁそんな手も足も出なかった数学が、、大人になってやってみたら、出来ちゃいました!とさ。

私が塾講師をやっていたのは、20代の終わり~30代前半ら辺なので、大学卒業からでさえかなりブランクあったんですけどね。。

「あれ?出来るわ、、と」

勿論、暗記したものは一切残ってないので公式は攫い直しましたが……。

公式知ってりゃ解けるじゃん、コレ、、と。

 

特に図形問題は、「あ~……そっか」と、勉強し直さなくても勝手に解けるようになってました。

証明するためのワード(錯覚とか、2辺とその間の角~みたいな言い回しとか、、)は、すっぽり忘れてましたが、、「いや、見りゃ解るじゃん……」と。。

角度や面積、体積を求める問題は公式攫う前に解けておりました。。

 

当時は、解けなかったのに……あんなに、落ちこぼれてたのに……。

結局、、理解力って「向き合い方」次第なのかもしれないなぁ……と、シミジミ思いますた。まぁ故に私の教え方は終始そこに注力する形になるんですけどね。

 

私の勤めていた塾は個別指導のフランチャイズだったのですが、塾長がお小遣い稼ぎ大好きな人だったので、ワンコインオプションと称して「講義」スタイルの授業枠を設けておりました。。(勿論、私らも別額支給)

そしてその「授業」、、私の担当はまさかの「数学」になったのでした。

まぁ、「国語」の授業枠はありませんでしたので、しゃーなしですが。。w (個別指導は全教科対応ですが、生徒毎に受講教科が違って、そもそも「国語」の受講者少なかったのです)

やってしまったら出来てしまったのと、私の独特な数学の教え方がわりと塾長のお気に召しておりまして。。

「数学はお任せします」と。

 

いや、、塾長の方が数学得意やん……と思いながら、渋々承諾しておりました。(給料割増だし♪←)

数学落第組で、克服すらして来なかった私が「数学の先生」とは……、人生分からんもんだなぁ、、と。

 

かつて、授業が理解出来ていなかった私は、「当時先生はこうやって教えてたなぁ~」という真似が出来ませんので、「数学の教え方」は、一から構築しなくちゃなりませんでした。

 

問題が解ければ教えられるというものではありませんので、そっから一回解体して、「教え方」を考えてみたんですが、、結論は、、「相手による」。(身も蓋もない)

ただまぁ、「みんな」に教える際は、分解したジョイント部分や理屈の交錯する部分と落とし穴が伝わるように組んでました。

私の生徒は、落第組(半分ヤンキーみたいのもいた)から受験組まで、成績の差が凄かったので、この分解……というか段階がわりと重要だったのですよ。

取り組む問題を別けるのではなく、同じ問題に取り組ませ、目指す段階を別ける……のです。

 

もしかしたら~で、水無瀬さんのヒントになるかもしれないし、さっぱり役に立たないかもしれません。。

が、、一応で、私流の授業の組み方の一例を添えておきまする。。

 

私の授業は基本的には「クイズ」と「パズル」です。

まぁ、問題作りにけっこう時間割くことになりますけどね。。

例えば図形問題なんかは、中級に練られた問題を探して、数字や記号を全部消した物を生徒に渡します。

 

そのひとつの図形を使って(プリントにして配る)、例えば「これと同じ角度に全部丸つけて」 から始めるのです。当然すぐクリア出来る子がいるので、クリアした時点で情報をひとつずつ増やしてあげます。

「じゃあ、ここの角度が37度だった時、53度になる角は何個ある?」「この三角形と相似の三角形はどれ?」「オケ、証明ヨロ」……みたいな感じです。

手詰まり組の様子見ながら、板書でヒントを増やして行き、一番手詰まりの子に合わせて、初手問題を完了させてく形で、授業をします。

まぁ、段階別にヒント、まとめ、は、やるので、書き込み用に、同じ図形がいっぱい必要ですけどね。。(フリーハンドだから面倒臭いw)

 

受験問題の後半にある文章題や図形問題をみんなで遊び倒す。のを、目標にしてやっておりました。

 

この際、「カンペ」と称して、必要な公式や法則を纏めた紙を別途渡します。(ネットや参考書から引っ張ってきた視認性の高い物を切り貼りしただけ)

私の授業は「カンニング自由」です。

ただし、受験組には「おまえは見たら負けな?w」って言いますけど。

 

例えば正負の計算式、、

数字を一切使わずに ± とアルファベットの数式を板書して、「これの答えはプラスマイナスどっちだと思う?」から始めたりします。

 

因みにこれ、正解ありません。(記号内の数字の大小で変わるから)

 

例えば、全部勝手に「1」として計算して「解った~!」って言う奴がいてもOK。

ただ、このタイプは納得いってなくても「なんとなく」で計算を押し進めることが出来てしまうため、凡ミスや早とちりがめちゃくちゃ多く、結果に対しても「あってた、間違ってた」の認識しか持たない子が多いので「考えてから計算を始める」癖をつけてあげた方が良いです。

 

「これ、計算できなくない?」って気付いた子には次の質問。

「じゃあ、どこの数字が確定してたら、± 確定出来る?」 と。

この時点で、課題を二分します。

「答えでなくない?」って話聞いて「行ってる意味わかったやつ~」と、「何言ってるか分からないやつ」と、「何故か解けちゃったやつ」。

ターゲットは後の2パターンで、計算以前の式の構造が見えてない子たちなんですが、、

式を出来うる限りぶった切って、短い複数の式に書きかえます。

まぁ、正負でこれやっとくと、因数分解への抵抗感薄れるんですよね。

 

まぁそもそも、記号でやる一番の理由はこの式を分解する作業のためです。解体した式のどこに何が残るのを見易くするのが目的です。

 

その間、「計算出来ない」「ここさえ分かれば±は確定する」が分かる子には、そのまま穴埋め(虫食い算)をしてもらいます。

B が12  で、答えが-6になる式を作って~、と。

 

長い計算式は、「解く順番」のルールを教えて「練習~」がセオリーですが、、式の構造が分かんないまま順番だけ追っかけると迷子になるのです。。

 

 

例えば、比例反比例。

十字を書いてテキトーにグラフ線を引き、カッコを書いて顔文字→(± . ±)クイズから始める

」とか言って遊ぶけど) ついでに三角形書いて~、、と、まぁ大問を遊び倒すスタンスは変わらずです。

 

文章題は立式命なので、まずは数字見ないで、最後の1文から言葉で立式してもらったりします。(こればっかは文章題のタイプによりますが……)

 

証明も立式も、基本的には後ろから順番に「何が欲しいか」を問うていきます。マンツーマン出来る時は多少誘導しながら、、後ろから順に虫食いの立式をさせて、「じゃあ、ここ埋めるためには何が欲しい?」を繰り返します。

だいたい、スタート付近の虫食いは数パターンあるんですが、その時点で虫食いの穴埋められるのは一個だけなんですよね。

っていうかこれやると、稀に正当ルートが複数ある抜け問題を見つけたりして面白い。

 

まぁコレ、本来は脳内でやる「アタリをつける」作業で、実際の試験では時間をかけちゃダメなんですけどね。。

何回か丁寧にやってみることで、「おまえは困ったらコレを疑え」みたいな、その子専用の必勝法を見つける手がかりになったりするんですよね。

 

勿論逆もやります。一回ゴールを無視して、今ある情報を箇条書してもらい、そこから思いつく限りの立式をさせて「どこまで情報増やせるかゲーム」をしたりします。 出来る子は芋づるでゴールまでいきます。(というか、引っ張り出せる情報の中に答えが無いはずないんですけどね…)

 

高校受験の後半の文章題なんかは、だいたい3~5番目くらいに思いつく情報がキーだったりするんですよね。(その子の性格や嗅覚)

 

やってみると分かるんですけど、子どもって自分で思ってるより「理解」してることが多いんですよね。

ただ、いつまでも答えにたどり着けないでいると、何が分からないのか分からないまんま、全部分からない、になっちゃうのです。

答え合わせして、順を追って説明してもらって、それを真似してみても、またどっかで間違えて答えが違っちゃうし、そもそも何をすれば今の理解から先に進めるのかが分からないから立ち止まっちゃうのです。。文章題や図形の応用問題って「こっから何が出来る」を探せるかどうかでしかないので、、まずは手数を増やしてあげて、正確に的を絞る「考え方」は、視野が広がってから教えれば良いのですよ。

 

正負や因数分解は特にそうだけど、数学の問題は一緒に数字も動くから、自分が何にハマりやすいのかも気づけないまま、当たるか外れるかの博打で真っ直ぐ進む~を繰り返すだけになっちゃいがちなんですよ。。何を追っかけてるのかがイメージ出来ないと、勘頼みになっちゃって、例えその一問が解けても力はつかなかったりするのです。

 

因みに、受験生の頃の私は「勘頼み」でやってましたけどね。。

図形とか、逆算の「何が欲しい」と、見えてる情報からパッと思い浮かぶ新しい情報を用意ドンで繋げていって真ん中で手詰まり起こしてました。。

 

まぁ、中学生時代の私は立式ゼロで、ん~40度くらい?……で、他に紙面にある数字の下一桁見て、なんか38度ってのがあるから、42度にしとこう……みたいな、超雑な数学してたのですよ。。(稀に当たってますがw)

ただね……丁寧をやってみてから、別問題を雑数学(ただの勘)でやってみると、わりと当たるようになるんですよね。。(これもびっくりした)

可能性の視野を広げるだけで、直感の制度が上がるのですよ。

 

そういう、直感クイズみたいのもたまーにやります。

 

こんな感じで、私の数学の「授業」は、ほっとんど数字を使わないし、計算に至っては全くしません。

 

理由は幾つかあるんですけどね。

・数学の「考え方」を身につけるのに数字は邪魔。

・計算過程を省くことで、短い時間で大量のクイズが出来る。

・数字嫌いでも参加しやすくなる

・計算練習はドリルでやって~?

・私の暗算はけして早くないので、授業進行遅れる(←ここわりと大きいw  ) 

・っていうか、私が間違えたら元も子もないし、私の計算力が邪魔してスムーズに思考を繋ぐトレーニングの意味が無くなっちゃうw

 

まぁただ、私は「計算嫌~い」って公言してたんで、必要な時は計算得意な子(そろばんやってた子とか)に「計算して~」って丸投げしますけどね。(頼んだ上での確かめ算はしますよ?)

あ、あと最後に類似の問題やらせるので、生徒は計算もします、、が、あくまで「考え方」のトレーニングなので、「今日は全部、一回メモで書き出して解いて~」って言います。

 

個人指導の時は、基本なんがしかの問題集やってて「わかりませぇん」からスタートするので、分からない問題でちょっとはみ出して遊ぼうぜ~って、こんな感じのことやります。

まぁ、慣れてる子や、試験近い時は普通にヒント出しとかで進めることもあるけども。。凡ミス以外はなるべく分解したり可視化したりして、

 

因みに私が数学を教える中で一番苦手だったのは「塩分濃度」でした。

まぁ、比例、反比例や、立体なんかも伝え方難しくて頭抱えましたが……。

塩分濃度って、頭ん中でゴチャゴチャになるんですよね。。

すぐ脳内でイメージしたり可視化したがる私は、塩分濃度はかえって迷子になるのですよ。

だって、、いつまでも透明で、常にしょっぱいんですもの。。

 

いや、砂糖と塩なら混ぜたら甘じょっぱくなるから、甘め~とかしょっぱめ~とか、イメージ湧きますけど……AもBもCも全部しょっぱいから、さっきのしょっぱい感が口の中に残ってて……しかもそのしょっぱい度数を少数で表されても……ピンと来ない。。

なんとなくでイメージを追っかけると、なんか量減らしたら濃さ変わる様な印象があって(変わりません)、子どもに説明しようにもこっちのイメージが地に足ついてないから、「ドーユーコト?」が上手く伝わらないのですよ。

 

結局私は「色」で可視化して解釈しました。

 

だいたい一問で扱う食塩水は3液くらいまでなので、、

 

A~Cの塩を三原色に、真水を白に置き換えて、脳内で色を混ぜていきます。

勿論ただの色水でも起こることは同じなんですが……濃さの視認って水が透明だとやりづらいんですよ。。例えイメージでも。

まぁ早い話、、イチゴシロップを水で割って、徐々に水を足していっても、パット見の印象は余り変わりませんが、水じゃなくて牛乳やったら、ピンクの色合いがどんどん変わって、さっきより薄い!ってすぐ分かるじゃん?……と。

つまり、この白さこそが濃度の視認なんだよなぁ、、と。

 

まぁ私はこれを、お絵描きツールのフィルターを使って説明してました。

 

白背景にに半透明な三原色を乗せていくんですが、透明度で濃度を表すんです。

ただ透明な色フィルターを重ねて行くとどんどん色が濃くなってくんですが……

この、どんどん濃くなる~が、わりとよくある落とし穴の可視化なのですよ。。

 

食塩水を表現したいなら、原色ではなく、ピンクや水色でのフィルターを用意しなけりゃならんのです。

 

私も昔そうだったし、わりとよくある話なんですが……

計算だけで塩分濃度の問題を解いてると、なんでかABCより濃い食塩水が出来上がってしまうことがあるんです。。

(それ見て「あれ?」ってならない子は、既に迷子なので整理してあげないと立式覚えても応用で毎回詰まります。。)

食塩水同士をいくら混ぜても(一番濃い液より)濃くなることは絶対にないのに、数字で見えるのが濃度と量なので、AとBを別量混ぜる際等に、多い方を塩だけ増やしちゃってたりするのですよ……。

まずこの、量が増えるだけじゃ濃度は変わらない、っていうことをちゃんと理解してないと迷子になります。

言葉では理解出来るんですけどね~、今自分がしてる計算が何を弄ってるのか分かってないと平気でそういう基本ルールを飛び越えちゃうのですよ……。

 

かと言ってこれを現実でやってみて?って言うと、「増やす」時に直に水を足しちゃって、今度は薄めちゃったり~とかするんですけどね。。

まぁだからさ、、そんな食塩水の扱い方、現実でしなくない??  みたいなのをむりくり文章題にするから、真面目に聞くと「は?」ってなるのですよ。。

 

ただ、数学苦手な子は「ルールだからこうして」だと、また迷子になります。

分数の割り算は「ひっくり返してかける」って言われても、納得できんのですよ。

 

逆にイメージさえしっかり出来てれば、塩分濃度なんか、立式しなくても「勘」である程度近い数字を言い当てられるのですよ。その凡その目星が付けられるなら、立式で迷っても軌道修正出来るんですよね。。

 

因みにこういうのの教え方こそ、正に「相手による」ところでありまして、、

そういう公式や計算方法をツールとして扱う子は、そもそもこういうところではつまづかないので、、ツールの使い分け(適材適所)と引き出し整理を手伝ってあげるだけで問題は解けるようになります。(ただ、なんで解けてるのかは分かってないことが多いけど……)

 

図形と方程式、どっちが得意か~、、どっちの方が応用に耐えるか~……で、説明の仕方が変わってくるのですよ。。

上記のように視覚化して教えるのは「図形派」。

「数式派」に塩分濃度を教える時は、式の量を増やして教えます。

 

どっちも苦手~という子には、先に上げた数字を一切使わないクイズとかをやってもらうんですが、、たいてい数字に惑わされている「図形派」なことが多いです。

 

このタイプの子は、自分の理解の及ぶ範囲にある問題を落としがちなので勿体ないんですよね。。

 

 

うん、、頭疲れてきますた。

実際にテキストでもないと、 「教え方」を説明すんのは教えるより難しいですな。。

 

水無瀬さんは、「なんで解んないの」を言う人じゃないでしょうし、準備にちゃんと時間を割いてくれる先生の様なので、生徒さんがほんとに羨ましいです。

 

てなわけで、今回のお絵描きはみなせんせぇ⸜( ・ᴗ・ )⸝

(相変わらず、Twitterとの時差凄いけど……)


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まぁ、これと言って難しいことはしておりません。

線はそういうエフェクトでブレさせておるだけであります。

 

 

そうそう線と言えば……

先日の記事の、キリトとアスナのくだりで思い出した余談が一つ。

ちょっと前に「あいのり」を流し見(というか、7割耳で)していた際に、感の鋭い系の面白い男子がおりましてん。まぁただ、話題にしたいのはその子の性格やキャラクターについてじゃなく、ひとつのエピソードについて、、で、あります。

 

現地の公園かなんかで、ツーショットでお散歩をしていたのですが、、一緒にいた女の子がセグウェイに轢かれましてん。

セグウェイで遊んでいた少年に後ろから突っ込まれて、巻き込み事故(軽め)みたいな事になったのですが、、

その時、咄嗟に彼の口から飛び出した言葉に、スタジオが湧いておりました。「大丈夫? ごめん、後ろ見てなかった」と、彼はそう言いました。

並んで歩いておりますし、いうてパーク内の舗装道路です。後ろ気にして歩くような所じゃない。。とのこと。

 

いや、でもそう思うよね……と。

口に出して言うかは別として、、キリトくんには無かったその歯痒さは、、衝動的に起こるものよね?? と。

 

水無瀬さんがスリの話をしていた際に、、

「なんでオレその場におらんかったんや」ってなりましたもん。

いや、いたらいたでそっちの方が問題なんですけどね。。

 

例えばな例え話です。

きっちり終電解散したところをうっかり終電逃していれば、、遊ぶお金もタクシー代もなかった私は、行く宛てもなく渋谷をウロウロしていたと思うのですよ。

若い頃、渋谷界隈に住んでた友人はみんな引っ越しちゃったので、、ワンチャン一泊させてくれる知らない人を探していた頃合いなんじゃないかと思うのですよ。(←それもわりとどうなん?)

まぁ三次会と仰っていたので、はたして何時頃のお話かは解りませんが~……。

もし、フラフラしている目の先に御一行様を見かけたら、、いや、解散後だったとして、、視線の先に水無瀬さんを見かけたりしていたら、流石に目で追ってしまっていたと思うのです。。さすればきっと、そんな輩を見落とすわけがなかろうもん。

例えば車道の反対側だったとして、全力で突っ込んでいたと思うのですよ。。で、途中でトラックに……(←)

 

意味の無いたらればですし、実際そうなってたらそれはそれで問題しか思い浮かびませんし、、お巡りちゃん来る前に「にっげろ~!」な案件に早変わりするんですけども。(←たぶん、スリに一撃入れちゃってるだろうから💧)

 

まぁ、この手のもしを口にしだしたら、だいぶ残念な感じになりますしね。。(今口に出したじゃん?っていう拾われ方したら、つらたん過ぎて一週間は携帯触れなくなるなぁ…)

 

「こないださぁ、電車でキモいハゲオヤジに髪の匂いクンカクンカされてさぁ……」

「なんて卑劣な!もしその場に俺がいたら、そいつの髪の毛一本残らず引っこ抜いて、スキンヘッドにしてやったのに」

 

「こないだオタクに酷いこと言われたー」

「なんで奴だ!くそぅ、もしその場にボキがいたら、そいつが生きる気力が無くなるまで、全身全霊でディスり倒してやったのに」

 

「昨日乗ってたバスがバスジャックにあってさ~」

「なんてこった! もしその場に私がいたならば、悪漢共を一網打尽に致しましたものを…」

 

……うん、もう何も言うまい。。

 

 

ただね、、そう思ってしまうもんじゃね?  ってお話の続きな余談でありますた。

 

そして、余談の余談に移るのですが、、

この「後ろ見てなかった」彼は、東大卒でありますた。

スタジオのベキさんが「失礼かもしれないけど、東大生っぽくない」と言っていたのですが、私も最初そう感じておりますた。。が、、彼を見てるうちに、そうじゃないのかもなぁ……と。

 

染まる人染まらない人がいるとして、大学ってやっぱりカラーがあるし、多かれ少なかれ「っぽさ」があるものよね~、ってのは間違いなくて、それにもちゃんと理由があるのですよ。

なぜ偏っていくのかと言えば、卒業生や在学生を見て「目指して」入るからってのが一つ。

校風や教育理念に魅力を感じて選択するということは、少なからず先駆者の作り上げた空気に共感するということですからね。

その上で、その環境に身を置く訳ですから、、まぁ最初っから染まりやすい土台があるわけです。

 

ただね、、彼を見て思ったのですが、、東大に関して言えば、きっと「目指す」層が変わったのだろうな、と。

 

少なくとも、私の世代くらいまでは、まだベキさんのいう、「東大生っぽさ」は、「解る!」って感じあったんですよね。

事実賢い方々なので、人付き合いがまるでダメ…ってことは、まぁ無いのですが……

遊び心が足りないと言いますか、遊び方が雑と言いますか……。頭硬ぇなおいっ……ってところがしばしばありましてん。

会話ができないわけじゃないのに、話が通じねぇなぁ……と。

 

ただ、当時ってまだ学歴社会の名残もありましたし、「いい大学を出る」ことが「目標」の人が少なからずいて、そういう考えを持つ時点で、その人の価値観や人生観が透けて見えちゃうところがあったんですよね。。

 

でも今って、ある意味で学歴のブランド力は極限まで下がっていて、下手に振りかざせば「だから何?」ってバカにされるくらいのお話で、、だからこそ、そういう「学歴 」だけが目当ての受験者は激減しているんだろうなぁ、と。

赤門を「ゴール」として思い描く層は、おそらく絶滅危惧種なんじゃないでしょうか。。なんてことを思ったのです。

 

ひとつ、解りやすいモデルとして、めぞん一刻の五代くんや、キテレツ大百科の勉三さんがおりますが。。

例えば彼らは「受からない人」の代表なわけです。

そりゃ、あんだけ周りに振り回されてりゃ、勉強なんざ捗りませんよ。

特に五代くんは、全身全霊で恋しちゃってますからね~、、あれで受かるシナリオは当時の選択肢には無いでしょうて。

というか、あれは「受からない人」の魅力を描いた作品ですからね。

暗に「お人好しじゃ受かんねぇよ?」っていう良い例でもあります。

もうひとつ。あの手の「受験生」象からは、「受かる」領域にいない人が何年もかけて目指す場所だった~っていう、時代背景も見てとれるわけですが~……今ってそこまででしょうか??

要するに、、当時の受験者(勿論合格する人も含め)には、すんげぇ色んな物を犠牲にして、机に齧り付いていた人間が少なからずいて、、そういう方々の中には、人並みの思春期や青春時代をすっ飛ばしてきちゃった、、「勉強だけが友だち」な方々もおったわけですよ。

 

私の友人にも一人……ヤベー奴がおりました。

まぁ彼が行ったのは京大だったんですけども……。

まず第一に、、彼、小学校の頃とか、そんなに「頭の良い」印象がなかったんですよね。。

鉄道とエンジンにやたら詳しい知識欲の塊みたいな奴でしたし、運動嫌いでスポーツに時間割きまくってる人間に「時間が勿体ない」とか言っちゃうヤツではありましたが、、少なくとも口喧嘩で私に勝ったことがない、舌の回らん男でありました。

 

まぁ、口喧嘩……と言っても、、

「ロボットはどこまで進化すれば生命に成りうるのか」

「クローン技術に遺伝子操作を施し、唯一無二の個体が作れれば、それは人間を作ったことになるのか」

ぎわ

とか、、そんな話です。

うむ、、嫌な小学生たちだなぁ。。

 

まぁ、彼がエンジンの仕組みや、飛行機械の構造について知識を貪っていた頃合いに、私は生物図鑑(図書館にはない学術書タイプのやつ…)やファンタジー文学を読み漁っていたので、、ほんとに全く価値観が合わなかったのですよね。

 

私は部活っ子でしたしね。。

 

あ、でもね。私が落第忍者乱太郎を読みふけっていたのは彼の家でしたね。

あんな名作を愛読していて、どうして彼は落第しなかったのか、私には理解しかねまするが。

 

まあ彼についての逸話も色々ありますが……今回も既に文量が嵩んでおりますので、ざっくり参りませう。

 

大学院を出て、わざわざ海外の研究チームに所属してた彼ですが、帰国後も相変わらずでありまして、

挙句は、ニューロチップで知識ベースの共有が出来ば、学校教育は必要なくなる……

知識はダウンロードする時代になる……

とか、ほざき出しましてん。

教わる、教える、、って過程はいらねぇよ、と。

 

まぁ彼に対しては、あたり……どころの騒ぎではなく、私は真っ向からボロクソに言います。

 

知識ってのはね、自分で手を伸ばした先で手に入れるから意味があるのですよ。

それに、学校というミニマルな社会は、別に知識を詰め込むためにある訳じゃないのです。

彼は、道徳や倫理や会話力なんかもインストール出来るようになる!と。。

 

うーん、この。。

 

私が水無瀬さんの言葉に揺さぶられるように、、どんなタイミングで誰の口から聞いた言葉かによって、意味も価値も全然変わるんですよ。。

そういうのの積み重ねが価値観になり、人格になり、個性になっていくのですよ。

会話力なんてのは、そういうベースの上に乗っけるデコレーションみたいなもんなんだ。。

 

そりゃ、デコが綺麗でバリエーションが豊富なら、興味は引きやすくなるだろうし、上っ面のトークは一瞬で「上達」するのかもしれません。。

だけどね、そんなものは文字通りのハリボテです。

ここまで極端にバカな秀才を作ってしまうんだから、学校教育ってやっぱ考えものだな~、、と、思うんですけどね。。

因みに彼は、マズローの段階欲求を飛び級出来ると思ってるタイプの人間です。

というか、自分は最終域に到達するくらい「満たされている」と思い込んでる人間です。

 

だから、「人類の未来のため」に、真剣にそんな世界を目指している一人なのですよ。

 

ダウンロード学習が一般化すれば、学力による個体差は実質皆無になる……と、彼は言います。(まぁこの辺の発言にコンプレックスを感じますが)

アホ抜かせ……学力に「格差」が出るだけじゃ……と。

思考力を伴わない「暗記」部分のみをシステムに頼ると仮定しても、そこに平等は生まれない。金積んだもん勝ちのスペック競走にするようなもんだ。。

 

彼曰く「何をダウンロードするかが選択になるから、意志を持った学習は出来る」と、、

いったいその意志はどこで育むんだろうね……と。

 

ちょっと考えればわかること。。それってつまり、電子辞書を脳ミソに突っ込むだけの話、、。

義務教育レベルの知識が無料配布されるとして、そっから上乗せするのものはオプションなわけで、人間の能力の差が、搭載スペックの差になってくる……って、勉強好きじゃない人間から見ても、そんな未来に希望はなかです。

まぁ、いくら知識を積めてもそれを使いこなす能力が育たなければ意味が無いわけですが……演算ソフトも金次第になるでしょうからね……。

正に攻殻機動隊の「電脳化」なわけですが、それが、教育の代わりに成りうる、と、彼は言うわけです。

 

まぁ、ボロクソに否定した上に説教まで添えましたが……。

 

彼との議論はめちゃくちゃ長いので、私が見てとった部分からザックリの結論に転じさせてもらうけれど、、どうやら彼は「自分は教師でハズレを引いた」と思ってるようなんです。

まぁ、私も小中と同じ学校に通ってましたので、お世辞にも当たり続きだったとは言えないなぁ~、とは、思います。何より彼は、教師に格別構われるタイプの子どもではありませんでしたので(自分が寄らないせいもあるんだが、、)、正当な評価やチャンス、教育を受けられなかった → 損をした、、と感じてるんだろうなぁ、と。(口ではそうは言いませんが……)

 

彼はその、「環境差」「優遇差」が能力の差に直結しうることを問題視しているわけです。

私とバチるくらいの考えや思いを、教師にぶつけてみたことも無いくせに……。

 

上記にある通り、私は先生を「ただの人」と思っていたので、「教育者」としてナメてました。。が、だからこそ、「人」として、言いたいことは言ってました。

私が彼らとの関係から得たものが「正しい」のか「間違っている」のかは知りません。。私の場合、親との関係性も然りです。

だけど、そのどれひとつとして、電子辞書なんかに乗ってないのですし、私が私になったのは、教科書ではなく彼らの影響ありきなわけで、そういう過程をすっ飛ばして社会に出てくる奴らが量産されるなら、私はその人たちを「カモる」商売にでも切り替えます。(メンタル、チョロそうだもん)

 

確かに私の教育理念も「詰め込み教育」には否定的です。しかして、それは「考える力」「感じ取る力」に重きを置くからであって、「知る」「覚える」過程が無駄だと考えているわけじゃないんですよね。

「知識」より「知恵」に、「学力」より「学習能力」に着眼しようぜ? ってなお話です。

 

知らん間に出来なかった数学が出来るようになっていた……という事実は、裏を返せば、私が20代のどっかしらで得た経験値に近しいものが、数学の学習から得られていたかもしれないってことなのですよ。

まぁ、結果だけ見れば、私はどっかで得たのでしょうから、良かったですが……

現役数学の時点でそこに届いていたら、また何か違ったのかもな~、、というお話です。

 

教育という大枠をとっぱらって、「学習」という狭い範囲においても、育まれるものは一様ではないし、箇条書きできる「知識」以外の部分の価値を見落としては行けないのです。

 

子どもと接する大人は、「職業」じゃなくても、大なり小なりの責任があるんやで~……それを「脳ミソいじって機械化してやるよ♪」って本気で考えてる同い歳がいることが衝撃でありました。。

 

まぁ、彼は「教育」そのものを不要と考えてる風でしたから(一人で育ったと思ってる口よね…)、もう論外でしたけどね……。

 

せめて、教育の在り方で一回悩んでから、踏み外して欲しかったです。(まぁ、どっちにしても全力で叩きに行きますが……)

 

私はシュタイナー(ヴァルドルフ)教育や平田オリザの様な…視点を変えて芸術的観点に重きを置いた教育方法に魅力を感じていた口ですが……

実際何かを教えるにあたって取る思想は、モンテッソーリに寄っています。

 

まぁ、シュタイナーは、教育準備に手間がかかると言いますか、、理想に対するアプローチが少々回りくどいので、一朝一夕で彼の理想とするプログラムが組めないってのが難点なのですよ。。(取り入れる~ ではなく、一貫しないと意味をなさないことがある)それに、子どもによっては返って頭硬くなる可能性があるんだよなぁ、、と、考えてまして……。興味深いけど、使う気にはならん……という感じ。

一方のモンテッソーリは、やり方を完全模倣しなくても良い…と言いますか、、基本理念をベースに我流でアレンジしても、さほどマイナスには転ばない(プラスの振れ幅が変わるだけ)と思っているので、取り込みやすいのですよ。

極端な話、ものを伝えたり指導したりする時に、「手伝わない手助け」を意識するだけでも、だいぶ違うと思ってます。

 

各人(シュタイナーもモンテッソーリ(あと平田さん)も人名です)の教育理念について説明を始めると、当然書籍何冊か分にはなりますので、興味あったらご自身で調べて下さいませ。

どちらも、「自由」を重んじていますが、「自由」の性質もアプローチもだいぶ違います。

 

「教える」職業に就かない人でも、親になるつもりがある方なら覗いてみて損は無いですよ~、と。

まぁ、ズラリと並ぶ育児ハウツー本なんかにも、それとは告げずに明らかに影響受けてんだろ!みたいな育児方法も載ってますけどね。

 

はて? 

私は昔から「教師には絶対ならん」と言っていて、「結婚をするつもりがない」人間な訳ですが、、

なんで教育論を齧っているのか……?

 

答えは簡単です。

児童書を書く人間は、最低でも子どもにどういう影響を与えたいのかは意識しなくてはならんからです。

子どもに物を伝えるにあたって、どういう手法、落とし穴があるのかを知っておいた方が良いからです。

 

堅実な物語の上に教訓を乗せるような名作じゃなく、正解の存在しない、意図的に縁どった余白の中に無数のトラップを仕掛けるような迷作が書きたい、と。そこには、私の教育方針も大いに関わってくるのです。

だから、私はファンタジーの余白に可能性を見ておるのですよ。読む人、読む歳、読む時代 によって顔色を変える余白を探して沼にいるのですよ。

 

「教育」をも超えたい……という野望です。

 

はてさて、例によって長くなりましたが……。

こんだけの脱線と熱量の締め括りのカッコつけた一言の上にもう一言。

私にとっての水無瀬さんは、とっくに教育を超えてる人です。

「こうありなさい」と言われるでもなく、「あぁ、自分ってこうありたいのかもしれないなぁ」ってことを考えさせてくれる存在なのですよ。

 

良いっすか、大事なのは余白です。

タイトに正解を押し付けることは、、ある意味ではニューロチップと大差ないものですから。

コレは自分に何かを伝えたり、自分に何かを問うてみたりする時も同じなんです。

何かを決め兼ねる時、何かに迷う時、必ず自分の内側に子どもがいます。(まんま子ども時代の自分ってわけじゃないけど…)

その子を「自由」にしてやる時間が、大切だと、、私は思うのです。

じっと、待つ必要はありません。

衝動でちょっと動かしてみて、好きなようにやらせてみて、しっくり来るものを探させたって良いと思うのです。

大事なのは、焦らせないこと、押しつぶさないこと、決めつけないこと。。

 

子どもも自分も、扱い方は同じなのですよ。

 

基本的には、、ね。

 

(いざって時のブレーキや軌道修正を大人のサイドが怠ると、私みたいになっちゃうのでお気をつけくださいませ!←)