むかしむかしあるところにはあったとんでもな物語を、当たり前のように消化して体内に蓄えて育った私たちは、自分の薄っぺらい感情にだって壮大な物語が潜んでいることをついつい見落としてしまうのですよ。
こんばんは、やり場のない感情が鉄筋に激突して拳の軟骨が粉砕しました、大人気とはまだまだ無縁の中年オタクです。(笑えないw)
あ、いえ、また本業関連です。わりと心を最大限使うものですから、消耗も疲弊も大きいし、理不尽な出来事や納得しきれない論争も多いものですから.......。
一週間近く右手がジンジンいっていて、我がことながら嘲笑と溜め息ですよ、ほんと。
いちいちウギャーってなるのと、いつの間にか慣れて当たり前になるのだったら、大人気なくウギャーってなることを選びまする。むしろムキャーってなりまする。
嗚呼、悔しかぁ~。
正直なところ、現在本業周りやいくつかの環境において、納得のいかないこと、どうにも納まりのつかないものが増えてきて、そっちのムキャーが取り憑いているため、オタ活におけるムキャーとゴッチャにならないように整理整頓しなきゃ~という頃合いなのです。
間違っても、ストレスの捌け口や逃げ場所にはしたくないですからね。
思うようにオタクに自分を割けないことも割とストレスで、ムキャーってなりそうな時がありますが、オタク出来てない時にオタクとしてムキャるってなんだか矛盾してますしね。
こういうところ本当にガキだなぁと思う反面、こういうところで大人になりたくないんだと思うのです。泥臭く、青臭くありたいと、どこかで思っているんでしょう。その執着こそがガキの証だというのに、いやはやまったく、楽しいなぁ、くそぅ。
最近は上手くオタクのタイミングが合わないなりに、隙間を見て違うオタクな一面を引っ張り出して紛らわしていたりするのですが.......
移動中に見そびれていたアニメを見たり、カートに溜まっていた楽曲を買い漁ったり。。(←元々はこういうオタク)
そんな流れもあって、ちょっと前に話題に上がってから「四月は君の嘘」と「ピアノの森」をのんびり見返していたのだけれど、、なんでかな、展開を知っちゃってるからか、やたら泣ける。
昔を思い出すのもあるんだろうか。。
まだ才能だの可能性だののやり取りを命かけてやってる奴が周りに沢山いた頃を。。(私は命を何かにかけることは絶対しない半端者ですけどね♪)
どこにいたって仲間は絶対にいるんだけど、入れ替わるし、ずっと同じメンツで肩を並べて歩いて行けることなんてそうそうないのかもしれない。
誰かが去っていった数だけ不貞腐れたてきた根っこの部分に染みるのですよ。。こういう作品は。
音楽系の作品って、基本的には天才たちの物語で、共感するとこなんてほとんどないはずなのに、こうも突き刺さるのは、音楽自体が感情に寄り添って揺さぶってくるからだと感じるのです.......。
そして、今の私は何を見ても水無瀬さんが頭を過ぎるのだなぁ.......と。
君だよ君なんだよ
教えてくれた
暗闇も光るなら.......
導いてくれた光は君だよ
つられて僕も走り出した.......
全然境遇とか違うんですけどね、、止まっていた私の足を動かしてくれたのは、水無瀬さんに他ならないものですから。
だけど、ちゃんと歩こうとすることと水無瀬さんに足マメに会いに行くことの両立は頗る難しいようでして、相も変わらず振れ幅のでっかいシーソーがギッタンばったんしてる縦スクロールな日々なのですよ。
あ、、だから泣けるってのもあるのか。
反復横跳びのプロになりたい。。
ん.......まぁた、話が逸れましてん。
そもそも私はピアノを追い込むほど弾き込んだ口ではありませんし、早いうちから脱線して基礎もガッタガタなまんまオモチャにしてしまったものですから、コンクール系のお話はさっぱりと言えばさっぱりですし、具体的に筋を追っちゃうと「ん~?」って、なるところもありますが、、
まぁ、身内にコンクール話は多くありましたし、自身は今も尚品評の渦中を彷徨う人種でありますので、純粋にそういうお話にも心が揺れるんです。
ただ私ね、サイドストーリー的な、他のプレイヤーの物語が好きなんですよね。
音楽物の作品は獲てしてだいたい天才と秀才の物語な訳ですが、どちらにも手数の足りない半端者や凡才の有象無象も顔を覗かせる。
そんな彼らが、天才や秀才の本質に触れてしまう瞬間の物語が好きなのですよ。
なんとなく自分の限界値を勝手に悟ってしまい、「本気」のラベルを貼ったルーティンワークを惰性で続けている人間がどれほどいるか、、
一マスも進まない双六で、8割がゼロのルーレットを回し続ける日々をどう耐えているのか.......。
しかして、それを辞めてしまえばマイナスの連鎖が始まり、あっという間に無に帰す世界なわけです。
だから一筋の光とささやかな気付きの重みを知っているし、ミリでも「変化」のあることを捜している。
私の出会った光は水無瀬さん。
これは絶対。
だけれど、凡のストーリーはそこから分岐する。
水無瀬さんに出会ってからの変化も手応えも確かにあったし、見えるものも変わってきたけれど、化けられたわけじゃない。
モブがモブのままステージに上がるには、一種の覚醒が必要なのですよ。
そこは正に自分次第.......。
いやはや甘くないですな。
はてさて、そんなわけで、、と繋がるかは微妙でありますが、今回のお絵描きは、そんな世界観から春の兆しをば。
ドビュッシーのアラベスク(1番)を攻め気な解釈で。
と言いたいところですが、、
私のお遊びでご勘弁ください。。(←むしろ蛇足でしかない)
スマホ打ち込みでピアノ曲を書いてみようと書き始め、途中で悪ふざけし、最終的に「ま、いっか♪」ってなってる曲です。
が.......やはし、この手の曲は打ち込みで書くもんじゃないですなぁ。。(音質もだけど、呼吸感みたいなものが圧倒的に足りない)
ピアノ曲なら自分で弾けよ!!とも思わなくはないのですが、たぶんこの曲左手キツいので、私には無理かと。。弾いてみたこともありません。 単純に指足りないんじゃないかなぁ、とも思いますしね。←弾くことを想定して書いてない。
こういう寄り道が多すぎて、中々前に進まないというのもあるのでしょうが、そういう歩き方を今更変える気は無いのですよ。歩き始めたからにはしっかり寄り道をする。脇目も振りまくる!!
ただね、自分が何者かを定めるつもりはないけれど、彷徨い方くらいは選ばなくてはな.......そう思う今日この頃なのですよ。
幾つになっても変わらんなぁw
むしろ、腐って変わりそうだったところを水無瀬さんに救われたというのが正解なのかもしれません。
それが吉と出るのか凶と出るのかはさっぱりですが、らしくあれて幸せなので、私はこのシーソーから下りる気はないのですよ。