姦しくも賢しい喧騒は据え置いて、夢見がちな物語の続きを朝まで積み木崩し.......。
手詰まり感と手付かず感は似ても似つかないのに、いつの間にか一体化して偽物の壁を構築していやがりますな、と。
対する私は、目的地を定めてゴリゴリ航路を突き進むタイプではなくて、ただ無作為にたゆたって流れ着く先を経験値に蓄えたい、という気質であったはずなのです。
ともすれば、泥舟もまた一興であったはずなのです。
なのです、が.......
いつからこんなバランス論者みたいになったのか、、
事なかれ日和見主義に寄ったのか、、
歳のせいにはしたくありませんが、時のせいにくらいしてしまいたいものですな。
走っていたつもりが足踏みすらしてない足に気づいた瞬間に、より一層驚かされるのは、息だけは一丁前にあがっているという事実。
おまえはいったい何に疲弊してんだよ?ってなお話でして.......。
少し整理をしたいお年頃ナウです。(いや、もういい歳だけど)
積荷を燃やしてブレイクブレイク。
ブレイクタイムにカフェインとdrawing
さすがにちょっとフィクショナボーなヘアアレンジになっちゃいましたが、脳内絵画はそもそもフィクション。
写実主義とは縁遠いものですから、目をつぶっていただきたく。。
水無瀬さんのくるりくるりと表情を変える髪型は、とてもワクテカな魅力のひとつなんですが、あれだけどんな髪型でも「らしさ」を保っていられるというのは、実は驚くべき資質なんだよなぁ~、と、しみじみ。
服装なんかも込み込みで空気感みたいなものが変わって見えることはあるのですが、水無瀬さんは常に水無瀬さんなんですよね。勿論良い意味で。
キャラが立ってるから~ってのもあるにはあるんでしょうけど、たぶんもっと奥行きがあるお話だと思うのですよ、これ。
以前、水無瀬さんを漢字一文字で表すなら~という話題が出たことがありまして、その時私は「芯」と答えたと記憶しております。
「真」という文字をあげてた方が何人かいたのも覚えています。
意図するところは近しいんだろうなぁ、と、思っていたんですが、一方で「真っ直ぐ」なイメージともちょっと違うんだよなぁ、、と感じていた私です。
別に私のように弄れているという意味合いではありません。1本通った折れない芯を持っているけれど、それはけして愚直なものではなく、柔軟で表情豊かな印象なのですよ。
私が小学生の頃に、くねくね曲がる鉛筆という物が発売され、ロケット鉛筆の陰に入り込んで、爆発的に流行ることのないまま消えていきました。鉛筆としての利点は特にありませんでしたからね。。
ただ、私にとってはなかなかの衝撃で、子どもながらに何か強く惹かれるものがあったのです。
わりと柔軟だけれどけして折れない「芯」をイメージしたものですから。
変化球に富んだ水無瀬さんのリアクションセンスや、考え抜いて悩み抜いて、それでも前向きな響きで締めくくる姿は、なんだかその鉛筆の芯を思い出します。
それはかつて私が焦がれた強さに似ているような気がして、練り込まれた黒鉛がキラリと輝いて見えるのです。
壁にぶち当たってウロウロしているうちに迷子になって、歩き疲れて路地裏で缶コーヒー飲んでる様な自分が情けなく思えてきて、、気付けばまた歩き出しちゃう、そんな底力をくれる光。
やっぱり私の動力回路を辿ってみると、今はシンプルに水無瀬さんなんだよなぁと自覚する日々であります。
シャープペンシルが主流になって、ロケット鉛筆も見かけなくなった頃、夢の国に頓挫するねずみ様グッズあたりで、くねくね曲がる鉛筆と再会しました。しかもその鉛筆は、芯が七色に練り込まれていて、書く度、削る度に表情を変える代物でした。
遊び心も進化する。
というより、遊ぶ心こそ軽やかに前進する。
目に見えた利点ばかりが価値ではないんですよね。
ましてや魅力というものはさ.......!!
水無瀬さんはけして強さや堅さの人ではないと思います。だけどもだけど、間違いなく強いし、パワーがあるし、何より魅力的です。それはきっと、柔軟な芯に寄り添った逞しい遊び心の力なんじゃないかなぁ、なんて思うのです。
負けてられませんな。
行脚に出かけたわけじゃなし、退屈な地団駄は軽やかなステップに踏み変えてしまいましょう。
推ししゃんに倣って、ブレーキオイル抜いて参ります。