♥水無瀬ゆき♥さん描きたいマン(修行中)

ド素人による、水無瀬ゆきさんファンアート修行の軌跡 

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(但し、水無瀬ゆきさんご本人及びユキトモさんは、その限りではありません!)

めっちゃ掘りていっ♪(タイトルに反した考察系?ブログ)

あー、、世代が出るタイトルだなぁ。。

 

ズバッとハマータイムだ......(←違う)

 

水無瀬さんの話していたことを反芻してるうちに派手な発作に陥って眠れなくなり、、考えるの止めようと思ったら、水無瀬さんのことで頭いっぱいになって、どっから夢かわからぬままに寝落ち出来たみたいです。。

朝起きて最初に思ったこと、、やべぇ、超好き。。あ、遅刻する(←)

 

どーも、キモヲタ上等、ガチ病み(身体的に)進行形のオッサンです。

 

単純に、(こないだのファニコンの配信が)めっちゃ掘りたい内容やったなぁ~、というお話。

 

レポっちゃうとあれなので、基本私の考えベースで綴りますが、水無瀬さんが眠れぬ夜に考えるようなこと、いつかどこかで聞かせてもらいたいなぁ~、と、シミジミ思う私なのでした。

 

たぶん、あれこれ思いを馳せるものに共通点があっても、考え方や可能性の拾い方は人夫々だと思うのです。

だからきっと、水無瀬さんの感じる世界と私の感じる世界とは違うものだろうし、そう感じるためのロジックも噛み合わないのだと思います。

 

が、、この手の話に「私はこう思う」はいくらあっても良いと思うのです。違うからこそ面白い部分もあったりしますしね。

 

これから話す私の考えもまた、結論や正解を押し付けるものではありませんので、読んでくださる奇特な方は「へぇー(´-ι_-`)」って聞き流す準備をよろしくどうぞです。たぶん、読んでも役にはたちません故......w

 

まず、私ミクロとマクロは専門外なので、あくまできっかけレベルに添え置くことにしまする....。

そもそも一般的に言われているのはミクロとマクロの照応性であって、反転では無いですしね。

いわゆる、ミクロコスモスとマクロコスモスは、人間って宇宙よね~(ざっくり)、、というお話なんで論点も違いますしね。

例えるなら、お酒飲んでる時の水無瀬さんが言う(らしい)「宇宙っすね~」って感覚はいわゆるミクロコスモスの内側にマクロコスモスを感じているってお話に......(なるだろうか......?w)

 

昨今は経済用語になりつつあるミクロとマクロ。ただ、視点の問題という一点の解釈においては、経済的な用法の方が私のロジックに近いんですけどね。

 

地下⥄地上の関係性や可能性を語るなら、表裏の共生や反転を用いた方が幅が利きます。(そんな言い回しがあるのかは知りませんがw)

(視点の逆転という点で、結局ミクロ⥄マクロとも併走できるお話なのですよ。。)

 

以下は持論......というよりは、持ネタなんですが......。

無から有のビッグバン→質量が生まれる=どっかに空白(スペース)生まれる。つまり、無のスペース(宇宙)とは別に有のスペース(空間)が生まれているはずだけど、それは有の内側にしか有り得ないから、あるとしたら、今見えているものの内側(裏側)に生まれたんじゃないの~?  .....ざっくり言うとこんな感じ。(←雑過ぎ)

 

.....てことは、地球の真ん中の方角に裏側(空間)があるんじゃね?

例えば地底人ってそっちより(移住かそっち住みか)の人なんじゃね?

 

みたいな、いわゆる屁理屈を夜な夜な捏ねては、異世界だの異次元だのを紐付けていた私。。

 

まぁ、私の見方の場合、反転に+αで、歪みが加わるので、「オレらの見ている宇宙って、そもそもビックバンによって作り出された空間の裏側......つまり不要な物の方なんじゃないの?オレらの宇宙って、実はゴミ箱みたいな存在なんじゃないの?」っていう解釈になります。(←乱暴な解釈)「星=ゴミ」......何とも捻くれてますね。。

 

最初にも言ったように、たぶん、コアな話だからこそ(地球の中心なだけにね←)、水無瀬さんの感じる地下や宇宙と私の感じるそれらは、全くの別物なんでしょうけど......

 

ただ、考えがイコールじゃなくても、そういう可能性を感じ、知識と常識の隙間に触手を伸ばす人って凄く好感が持てるのです。

ましてや、親愛なる推し様の口からそんな話が零れたのなら、そりゃテンションだって上がるってものです。

 

てなわけで、めっちゃ寄り!!



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流石に寄りすぎたかしら。

 

こういう淡い感じの「厚塗り」がしたかったのです。

ただここまで画角無視レベルのアップになったのは想定外。

 

塗りやすく大きく描いたらこうなりましてん。

このお絵描きはミクロ的なのかマクロ的なのか。画角(え)で見るかモチーフ(絵)で見るか??深淵を覗いているのか、覗き返しているのか......まぁ、ただのドアップなんですが(身も蓋もぽい捨てw)

 

はてさて。

私が表裏の概念界隈をウロウロしていたのは、まぁまぁ若い頃のお話でして、、

 


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例えばこんな感じで、創作物の中に紛れ込ませたりしていたわけです。。(セリフが青臭い......w)

 

当時から思念、、というものも私の中ではひとつのキーセンテンスだったのですが。。

いわゆる「頭で考える」それとは、違うイメージで使っています。

 

思念に触れているのは人間の脳みそかもしれないけれど、それは必ずしも頭の「中」の話ではない。 。と。

これは概念的にはミクロとマクロのお話に通じるところもあるのですが、、話のベクトルは大いに違います。。

 

思念や、それがもたらす気配というものは、個人の中で処理されているものではないのだ~、というお話。

 

わりと霊感が強く、心霊体験もちょこちょこある幼少期ではありましたが、、私の出した結論は「幽霊になる人はいないが心霊現象はある。幽霊だって存在はする」でした。

 

結論から言えば、死んだ人が幽霊になることはないけれど、死んだ人やその周囲の人の思いが唐突にぶった切られることもない。そういう身体の外っ側にある思いは気配に変わり、そこに誰か「いる」感覚が生まれる。

 

少なくとも人間の脳は脳科学で説明できる範囲よりもずっと敏感にそういう気配を感じ取れるし、必要と有らば、その輪郭を捉え視覚化することだって出来るはずです。その気配の側からの影響力も然りで、空間に強い思念が残っていれば、ちょっと気にかけるだけで、その影響を受けてしまう人だっているでしょう。

 

それ、つまりは魂じゃん?ってなるかもしれませんが、私の解釈だと根本が違います。

生命体の内側にいた何かが出てくるのではなく、生命体の外側で育った何かが残るのです。残留思念というやつですね。

 

まぁ、この話は長くなるからざっくりで......。

理屈上そう解釈していても、故人に語りかける私ですから、結局言い方の問題で「いるよね?」って思ってるわけです。(そしてこの「いるよね?」もまた、思念として外側で育つのです。)

 

葬式は遺族の自己満......的な心理学っぽい解釈もあるなにはあるのですが、そういう思念のバランス調整には必要不可欠なんだよなぁ...とも考えている私です。

 

更に私は、言語に宿る物(水無瀬さんのいう言霊とはちょっと違うかもしれませんが)についても、わりと大きく見積もるタイプなので、地底人も宇宙人も名を与えらられたその瞬間に、どこかしらには「存在している」んじゃないかと、、そうも思うのです。

「いるよね?」って思う人、発する人が増えるほど、その曖昧な存在の気配は色を濃くしていき、ある日ひょっこり顔を出すんだろうな...と、そんな風に考えています

そもそも言語には外側の気配に輪郭を持たせたり、思念を長く有り続けさせる力がありますから。。

「なんか怖いね」と誰かが口にするだけで、気配は具体性や存在感を色濃くしていくのです。

 

そもそも言葉というツールは強力です。

魔法みたいな特別な言語以前に、祝詞だの経だのという文化的な刷り込み音声技術もあり、、無意識で繋げてしまった言葉の繋がりに既に意味が生まれていたり、、無意識で働くその意味は、気づけば大きな思念体を作っていたり......むしろその逆で、何かの思念に引きずられるように、気付いたらその意味をなぞってしまっていた、、なんてことが世の中には溢れているんじゃないかな、、とか思うのです。

 

例えば、「メトロとノーム」という(私のw)ネタがありまして。

 


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これ、、

メトロの中にはノームがいるんだよねっていう(強引な)ロゴイメージから始まったのですが、、

(私はこのイメージをさらに捻じ曲げ「メトロの一部は最初からノームに支配されている」と解釈しますw)

 

地下鉄って車窓の情報が無いから、よりいっそう電車のリズム(いわゆるガタンゴトン)がまとわりつくよね?

メトロノーム(ガタンゴトン)が誘う世界って、きっと地層のもっと奥深くだよね。

 

てゆか、メトロノームってさ......。

 

気づいてしまった時にはもう手遅れ、思念の気配に目を凝らさなければ触れずにいられたであろう世界。視覚に頼っていたせいで見落としていた、リズムの果てへと続く線路.......「ノームの国へようこそ~ヽ(*´∀`)ノ←」てなお話です。

 

ま、このネタ。ストーリーの方を考えるモチベがなくて、長らく眠ったまんまなんですけどねw

 

ただ、この「メトロノーム」というワードが、緩やかに闇に引きずられるような印象を醸し出しているのは、地下を連想する2つのワードが揃っているからに違いなく(単調な一定のリズムが有する「不安感」ってのも、電車のそれに通ずるのが面白い所...)、

偶然の一致でしかないこの繋がりが、日本語(カタカナ)表記され、私の脳内でまたひとつ繋がり、意味を持ったように、、誰かが無意識で連想する地下鉄の果てが、大きな思念体として、いつしか地下の国を作り上げることもある。

 

そんな解釈になるのです。

 

この思念による創造は、結局はみんなの思念の共有スペースみたいな所から生まれてくるので、否定の思念が強いところでは成立しません。逆に誰しもが否定しきれないものは、いずれ存在することになる。そしてそれは、発見と同時に、ニワトリ卵な存在になります。

 

「思念が先か存在が先か」

都市伝説は、噂が先か実例が先か。。

 

噂の根源は解らないことの方が多いので、発見されてから証明するのは難しいのですよ。

 

だって、誰が最初に宇宙人や地底人の話をしだしたか、厳密に分かる人なんかいないでしょう。記録に残っていたり、〇〇の小説に登場したのが最初、、みたいなお話も、そもそもその創作の元になったアイデアの根源はなんなんですかー?ってなったら、作者の見つけたひとつの気配だよ~。。としか、言いようがないのです。

どんなに突拍子もない思いつきも、思いつくためのきっかけは必ずあるものです。

 

因みに、メトロノームは開発者の名前が由来ですし、地下鉄の方はメトロポリスを語源にしてます。地下ではなく首都です。日本は海外のネーミングを真似ただけで、確かイタリアの首都鉄かなんかの方が、最初にメトロを名乗っています。

当然どちらもカタカナなんか無い国で生まれた物ですし、そもそもパラケルススの四大精霊ノームは、ギリシャ語が語源で、正確な発音はグノームです。

 

バラッバラのピースを、微調整して強引に当て込み、「ハマった」と私が勝手に言っているだけのお話。

 

ただね、、このくらいトリッキーな言語の組み合わせが魔法なんてものをうっかり産んでしまうのですよ、、たぶん。

 

「おしいれの冒険」というわりとバカ売れした児童書の影響で、押し入れの中や木壁の染みに異世界の気配を感じるようになる子どもは少なくありません。その気配は、ただ「いやーな感じ」とか、そういうレベルでも、意味を持ってしまうものなのです。

 

例えば「メトロとノーム」がバカ売れして(妄想)、子どもの頃読んだ~って人が大人になって、終電間際のガラガラの地下鉄に揺られている時に「なんか暗い気分になるなぁ」なんて思いはじめたら、窓の外のノームと目が合っちゃって......。

そんな経験談が「気配」を濃くし、、「最近、行方不明者多くね?」なんて展開も有りうるわけです。

 

そういう風に出来ているのですよ。

 

というか、そういう風だろうと思ってた方が楽しいのですよ。 

 

そういう、ほんの些細な世界の歪み(別にホラーに限りません)を生める作り手になりたいものです。誰かが見つけた可能性のピースを埋める紡ぎ手でありたいものです。

 

 

乱文ですが、、本当はもう少し丁寧に説明できるロジックなんですよ~、、とヘラヘラしながら、逃げの幕を引こうと思います。

 

くれぐれも、地下鉄の網棚にメトロノームを置いて回るような、意味深なイタズラはなさりませぬよう。。(←しねーよ)

 

 

 

【おまけ】


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淡く塗りすぎて上からのアングル感や立体感が飛んでしまっていたのを微調整。表情も変えちゃいましたが、影を足して口を小さく描くことで、横広に見えていた違和感は薄れたはず。極端じゃない角度のつけ方(描き方)は、もうちょい知識も必要そうです。

 

こういう絵は、ある意味で最初っから画角に喧嘩売りに行ってる感じなので、意外とアイコン向きだったりします。試しにブログアイコンで使ってみようかしら。。