♥水無瀬ゆき♥さん描きたいマン(修行中)

ド素人による、水無瀬ゆきさんファンアート修行の軌跡 

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(但し、水無瀬ゆきさんご本人及びユキトモさんは、その限りではありません!)

さかしさ

小賢しさ の上位互換なわけですが、ちゃんと賢い人を指すこともあるからちょっとややこしい。

 

本当に頭いいやつ以外は、頭使おうとすんなよ! って警告のためにあるような言葉ですよね。

 

ぱんぱかぱーん!  私、中年になりました∠( ̄^ ̄)

 

あー、人生において一番要らないと思っていたゾーン。。片足は突っ込んでたけど、大台乗ったらもう逃げらんないよね~ってなもんですが、、相変わらず生きてんだからしょーがない。無駄にしぶといの、ほんと予定外ってなもんです。

 

あ、はい。

前回の話……とはまた違った脳みその話……をしたかったんですが。。

前回の話の続きもしとこーかな、、と。

なんせ色々とツッコミどころが溜まってましてん。

 

ただまぁ、それは後半に回しませう。

ここしばらくは曲作りに脳ミソ割いていたのですが、相変わらずYouTubeやネトフリもポチポチ見て回っているのです。。そんな中で、あーなるほどなー、と、思ったことが一点。

 

色んなタイプを見てはいるものの、ひとつの転機だった赤ジャージの芸人さんのチャンネルは、サンプルとしてけっこう見ているのです。

 

あのバランス感覚と突き抜けない感は何なんだろう。。突き抜けないのに「面白い枠」にあるのはなんなんだろう、と。

 

ファミリー企画が図抜けているのはまぁ当然…というレベルなので触れませぬ。。ツーショットトークの質がめちゃくちゃ高いのも周知のことだし、私自身、あれはシンプルに面白いと思っています。。が、、それ以外のいわゆるエンタメといいますか、バラエティ的なコンテンツの振り切れない感と、なのに「面白い」とされている理由が引っかかってましてん。

確かに面白い感~はあるんですが、突き抜けた感触 や、もっと言うなら「やられた」感をぜんぜん感じないのです。

 

別に張り合ってるつもりも土俵に乗ってるつもりもないんですが、突き抜けた感触を味わうとジャンル問わず「くっそ!」と悔しさが走るのが私のサガでして…

これは幼少期からずっとそうなんですよ。

別格だから感じないとかそーゆーもんでもなく、やられた感 みたいなものを一律に感じるんですよね。

ただ、YouTubeって、なかなかどーしてそこんとこの糸が揺れないんですわ。

 

あー、因みに…媒体は違いますが、荻野さん西さんの「小銭稼ぎ」は、バッチバッチに「くっそ!」って感じてたんで、ネットとテレビの差ではないんだろうなぁ…と判断した上で~…。

結論からまいりませう。

YouTubeのアレは広域の内輪ノリなんですね、てこと~。 

はい、ヘラ・イザさんのパクリです。  ぶっち・ギレ氏原さん? なんかもチラッと見たり、 バンザイの上位互換さんや、ドットコムの上位互換?(←違う)なんかもチラチラ見てはいます。  が、さっぱり面白さが分からない!  わりとほぼ全チャンネルそうなんですよ…。 情報系やミュージックビデオは別物として…  いわゆる企画系全般…  はっきり言って面白くは、、ない。

 

ここまで来てようやく「距離感」の立体視が出来てきました。 YouTubeは距離が近い!っていう言い方をよく聞くんですが…あれは実は大間違いで、正確には「距離感が如実に出る」んだな、と。

私、SHOWROOMは前列ノリで参加しちゃってたのであまり遠巻きの温度差に気付かなかったのですが、きっとああいう配信媒体も似た感じなんだと思います。

「内輪」の認識が片側からでも成立する世界観。。

うーむなんとも。。

 

YouTubeは配信オンリーのサービスに比べて美形が伸び難い理由もそこにありそうですね。次世代組はキラキラ星人が強いですが、トップ層のビジュアルバランスは…なるほど、庶民派。

 

んで、テレビとネットの間をとったスタンスの「動画配信」ってやつの「作用」を少し考えてみたのです。

サブスク配信系の動画は、タイテとCMの無くなったコンビニエンスなテレビと考えて問題ないでしょう。マネタイズのシステムは違えど、クリエイティブな側面やチームアップのスタイルはテレビとあまり変わらないので、出来上がるものもわりとテレビ的です。

じゃあYouTubeの文脈って何? って考えると、こと日本においては、まぁニコ生…なんでしょうね。

要はニコ生からの発展系とテレビからのトレースのミックスが量産動画のベースライン…ってとこでしょう。

 

あー、、だからか。

YouTubeって、編集動画なのに「配信臭」がするものが多いんですよね。配信…つまりはストリーマーの原点は辿っていくとテレビではなくラジオだと思うんですが。。 ←ま、コレはたぶんでしかないんですけど、、動画ラジオの発展系にあたるのがニコ生だと思ってます。

 

でね、このルートとテレビとで明らかに違う点が、文字によるリスナーの参加ってシステムなんです。

 

ボクらが生配信にコメントしてるあのノリって、リアルタイムのハガキ職人なわけですよ。

実際、ハガキ職人あがりの人のコメントって安定感ありますしね。

勿論、テレビにも視聴者からのハガキやらリークやらを紹介するシステムはあるんですけど、ラジオ特有の「またおま」システム…要は、強リスナーがコンテンツに影響力を持っている状態ってのはラジオサイド特有の系譜だったと思います。

水無瀬さん周りで言うと、荻野さん推しの古参さんには西さんのラジオ出身の方なんかもチラホラいたのですが、やっぱりコメント~と言いますか、配信においての居方が凄く上手なんですよね。

在宅無言古参…な私なんかは、一方的に「この人知っとる!!」ってなるくらいの、いわゆる「またおま」さん。

細々と出役やってた私なんかよりよっぽど知られた存在なわけです。

 

SHOWROOMもそうでした。

配信が盛り上がるか否かは配信者さんの手腕に寄るところが 勿論大きいです。我らが水無瀬さんは、そこんとこぶっちぎってました。 ギフトリアクション一個とっても、作り方が上手い。。  力のあるルームではオリジナルリアクションを作ってるのは当たり前…なんですが、頭ひとつ出てる組はそこのセンスがやっぱり違う。

リズムやテンション、語感の良いものはやっぱりまた聞きたいと思うものだし、ラッシュでより面白みを持つ結構負荷の高いリアクションは、ランナーズハイで連打されるとシンプルに面白かったり…と、バランス良いんですよね。勢いがなくてもつまらないし、こなし過ぎても盛り上がりに欠けたりするのです。

 

しかして、このギフトもまたコメントに近しい進行力を持ってまして。。 ギフトのお礼だけで終わっちゃうイベント配信って、既に内輪の人間はお祭り騒ぎでも、初見さんにしてみれば蚊帳の外感があるので考え物。

闇雲にギフト投げまくるリスナーも、配信にとっては邪魔だったりするんですよねー。

それぐらいは当時から分かってやってましたよ…。役割ってもんがあるじゃない? 私はそこまでコメントで盛り上げる自信もなかったので、ぴょんぴょん跳ねることに集中したとです。

最初はちょっと邪魔臭かったかもですが、「こういう人」がルームに浸透する頃には、「これくらいまではスルーしてOK」みたいな線引きもできてたと思うので、ハート連打はタイミング見て一言で済ます~みたいな感じでバランス取れてたと思います。

巨額ドーンをたまにしかやらなかったのにも勿論理由があります。

星投げがルーティン化出来てくると波が収まるタイミングがあって、そーゆー時に新規さんとかが覗きに来ると目立つから星も投げにくいんですよ。。

私が、アバター集めしてた時なんかは、物が飛び交う時を見計らって「今の誰!?」って、ならないようにしてましたから(・・)

ステルスゲットしやすい所は居心地良いので、そのまま居座ってしばらく聞いてたりしますしね。新規ウェルカムが強すぎて、一回のギフトからずっと話しかけられるとリスナーサイドもしんどかったりするから、その辺のバランスも難しかったりしますしね。

幸い水無瀬さんのルームは、コメント欄を盛り上げてくれるイツメンリスナーがけっこういたので、私は投げ専に寄っててOKだったってのもあります。

と言いますか、、余計なこと言わないように発言を控えつつガッツリ参加出来るポジションがアレくらいしか思いつかなかったんですのゃ…(´-ω-`)ゞ

 

そう。本当に大事なのは、ギフトよりコメントだったりします。 んなことは説明せんでも分かりきったこと~…なんですが、、案外プレイヤー特化の配信者さんでそこを見落としがちな人は多かった印象。

水無瀬さんのところでは思い入れが強過ぎて余計なこと言っちゃうマンだった私ですが、他では、わりと配信者さんから評判の良いリスナーだったんですよ。コメントのバランス…考えてたから。。

賑やかし、、振り、、補足、、リスナー絡み(←コレ意外と大事)、ルームで足りてない部分を優先してたり~してなかったり。

まぁ、シンプルに楽しみたい時もあるので、勝手にはしゃぎ始めると厄介っぽくなるのはどこいっても同じです。振りを通り越して無茶振りすることもありましたからねー。。

ただね、こう文字にしたら一目瞭然ですが、配信のハンドルって案外リスナーサイドが握ってたりするのです。

 

うーん、ちょっと違うかもな。ルームによって対峙関係が違ったりするので…。

 

トーク型のルームの場合は、リスナーは話題振りや膨らませる役割を担うからハンドルに近いけれど、企画型のルームでは参加者として盛り上げるので、配信者のハンドリングの上でむしろコンテンツそのものになることもあるわけです。

良くも悪くも、リスナーの質が配信の善し悪しに影響しちゃうのがラジオ型の特徴なわけです。

 

ふむ、やっと本題ですね。(戻ってきた感)

 

コメントの作用や重要性~に関しては、割愛します。

 

この「コメント」の要素が多大に影響するラジオ系譜の配信コンテンツ。この系譜に何故かシステムの違うYouTubeが乗っかってるから、ちょっと残念な文化的過渡期を迎えてしまったんじゃないかしら…と、思ったわけですよ。

 

ニコ生とYouTubeで明らかに違う点ってのもそこにありまして、、ね。その文字が…ね。

右から左に流れるコメント、たぶんあれが距離詰めの最強システムなんだよなー…と。

 

このコメントのシステムの違いって、実は各プラットフォームの距離感を決め打ちしちゃってるんですよね。

 

例えば、ライブ配信は参加型かつ個人コメなので、書き込んで読み上げてもらって初めて内輪に寄っていくんです。私は初期こそ傍観者でしたが、やたらぴょんぴょん飛ぶせいもあってどこのルームに行ってもあんまスルーされない位置にいたため配信の距離の近さに慣れちゃったんだと思います。

対してニコ生の弾幕は自由参加感が強く、フェスではしゃいでる様な感触なんです。隣のヤツ誰だか知らんけどサークルしよーぜウェーイ(ノ≧ڡ≦)←まさにおまえだ

 

ってな感じ。

 

ではYouTubeのコメントは?

アレっていわゆるレビューなんですよね。。

小豆にコメント、略してマメントを残してる方々は、ライブ配信のリスナーの距離に近い感覚が生まれるんでしょうね。人間の体感なんて意識ひとつで百八十度変わるものですから、登録が玄関先だとしたら、コメント一回するごとに一歩ずつ奥間に進んで行ってるのでしょう。

そこで、家主からリアクションを貰えれば「いらっしゃい」までは確定保証です。

だから、体感はライブ配信に近い…というズレ。。

 

ニコ生の弾幕なんかは、家主無視してリスナー同士が「おう、よく来たな!」なわけですよ。言うたら最初っからパーティ会場。

出入りの自由度も高い仮装パーティーって感じでしょうか。土足で上がり込めるし、挨拶抜きでハイタッチ出来ます。

これが本来の「距離」です。

 

もっかい整理しませう。

 

「コメント」と「主」の距離、です。

 

家主とのコンタクトが有りうるライブ配信、これは握手会的な近さがあります。対して、弾幕チームですが、相手にされるかは別として「盛り上がれる」し、リアクションを残せる。コレは、さっき上げたフェスやトークショーもそうですが、公開収録なんかに近い感覚だと思います。行儀悪すぎるとつまみ出されるのも同じですねー。←

 

では、YouTubeのコメントとは?

まぁ、YouTubeにもライブ配信機能はありますが、、あれは別として考えませう。。

 

YouTubeにくっついてる機能は、善し悪しの評価、感想を添えるためのもの…いわゆるレビュー欄です。

 

つまり、そもそも様式が違うんです。。が、動画の評価、再生効率を上げるためにクリエイター側が勝手に寄せてるんですよね。。

「登録、高評価、コメント…よろしく!」って…まぁ、テレビや映画は言わないですよ。。だって、登録者数とか見てる側からしたら知ったこっちゃねーもん。

 

「それがYouTubeだ」と彼らは言うけれど、システムはそうは言ってない…。

 

なるほどなー。

 

確かにちゃばさんと「コメント」の距離は近いです。

チュバさんサイドがせっせと「コメント」に寄っていってるからです。

そういう意味では、コメントサイドが勝手にはしゃいでるニコ生より近いんです。

 

ただね、配置図が違う。

 

先にも言ったように、YouTubeのコメント欄っていうのは作品とレビューっていう関係性を意識してデザインされている…いうたら、pixivやCLOUDの文脈なんですよ。

つまり、元来はステージとガッツリ切り離された立見席的な配置なんです。単にプレイヤーがステージを降りて絡みに来ているだけなんですよね。

 

なるほど、ルームやブースのようなステージそのものとの距離の近さ~ではなく、プレイヤーがコメントに近づいてってる感覚なんであれば、コメントも登録もしてない傍観勢(←私だ)は「輪の中に入ってる」感覚になることはないし、、内輪ノリに冷ややかなまんま距離が変わらないってわけですね。

 

だとしたら、、この強引な距離詰めが生み出してしまったものは褒められたものじゃないですね。

 

作品と配信の境目を曖昧にした…ということですから。

 

ま、あくまで可能性の話ですけど、、チュバって職種を作ってしまったことで、動画界の革命期を1個逃したんじゃないかしら…と、思うのですよ。 

おそらく、コメント欄がシンプルなレビュー欄として機能し続け、毎日投稿するようなキチガイ(失礼しました┏○ペコッ)が多発しなければ、もっとあの手この手の「動画作品」が横一線に並び、「なにそれ!」という新感覚がサルベージされ、二次元の新時代が模索されていたんだと思うのですよ。。(もちろん、そういう側面も地味ーに水面下で育ってはいます)

しかし、、多発するコスパコンテンツの量産で埋もれてしまった。

そう考えると、レビュー欄の使い方、見方をねじ曲げ、金稼ぎの為にストリーマーの拡張みたいなテンプレを定着させてしまったチュバさんたちの罪は実に重いですよね。。 

 

本当はもっと尖っててクリエイティブな「映像作品」が並ぶはずだったんだ…。映画でもアニメでもない、新しい「動画」のあり方を模索できたはずなんだ。。人形作家の作る超不思議空間で、どこの言語でもない言葉を発信してるチャンネルが100回にも満たない再生数で埋もれちまってる現実よ…。アレ、もっかい見たいのに埋もれすぎてて検索の仕方も分からないんですよ。。(←登録しないからね)

ああいうのが、雑多に散らばる世界が面白いのに…。ああいうのに流れ着いちゃうのがネットサーフィンの醍醐味なのに…再生数高い関連動画のループなんて興味無いんじゃーっ(ノ`Д´)ノ彡┻━┻

 

と、まあ、取り乱したところで、結論。

 

インフリューエンス特化時代は、クリエイターをジャンキーにしてくれやがりました。まあ、ニーズが無きゃ生き残れない時代なんだから仕方がないけれど…つまらないよなー…ってな話。

 

なんだかよく分からないものに囲まれて生きる人生が良かった。妖怪だの妖精だの、鼻で笑う連中とは生きたくなかった。いると思ってる訳じゃないけれど、いるかもしれないくらいに留まっててくれてたから世界に奥行きがあったんだ。ネッシーやミステリーサークルを作ったクリエイターのグッジョブを握り潰す連中の正義ヅラが気に食わねぇ。

あー、気に食わねぇとも。

 

因みに私、幽霊と同じく妖精も妖怪も「居ない」派です。

居ないけれど確かに居た。し、居させる努力こそがクリエイティブだ! と。

これが、私の理想ラインです。

 

あーでも、、

妖精的な人はいました。


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MOGURAで見た推しちゃんの横顔の透明感…エグかったです。

あー、そっかフェアリーテイルってそういうロジックなんだな…って体感的に理解したのが、まさにその時でした。

 

私、推しちゃんについて、アグレッシブでクレバーなクリエイティブサイドでばっかり評価してますが、、お顔も勿論大好きなわけです。

ただね、ふだん可愛い可愛い言うてるし、実際、悪ふざけしてる様や、いたずらっぽい顔するのが可愛い~って思ってるのも事実なんだけど、時折、異常なポテンシャルの美しさを纏うのですよ。。あの方は。

 

そりゃ日常でも、意外な表情やふとした瞬間に「へぇ、この子こんな顔もするんだ」的な発見はあるものですが……推しちゃんのソレはマジで次元が違いました。

時間の流れや空気の温度まで変わる「刹那」を生み出す支配能力とでも言うんでしょうか。。

 

コレ、何回か味わってます。。  でも、まだ何回かしか味わってないんです。

だからたぶん、水無瀬推しの面々ですら、知らない人は知らない領域なんだと思います。

吸い寄せられて視線を外せなくなるので、その間はガン見になります。まずガン見出来る環境と心境が滅多に揃わない上に、まあまあ近い距離感で起きるので、シチュエーションも限られてきます。

ただ、写真や動画には絶対写りこまない類の神秘的な魅力をダダ漏れにすることがあるのですよ。

 

「いや、いつも綺麗じゃん!」って言う人が絶対出てくる案件なんだけども、、気持ちは分かるけどそーじゃねぇんだ…別次元があるのよ、、と声を極小にして反論しておきます。

 

前も言いましたが…いうて私もモデルさんやアイドルさんとお仕事してきてますからね?

誰とは言えませんが、地上波で特番取材受けるレベルのアイドルさんと新婚役とかやってた人間が「別次元」って言ってるんだってとこは念頭に添え置きプリーズです。

 

誰しも、大なり小なり人をドキッとさせるような空気感を出せたりするもんです。そういうのを観察したり嗅ぎ分けたりするのも私らみたいな人種は癖みたいにやってます。。勿論、男女問わずです。

 

ただ、水無瀬さんのアレは… 別物でした。

 

なんだガチ恋か…  で、片付けるのもちょっと待った!です。

アレを恋だと言うのなら、ゴメンだけど今までの連れの誰にも恋したこと無かったって話になります。

そういうんとちゃうねん! っていう線引きがあるんです。恋ってのは、もっと現実的なファンタジーやねん!(←壊れた)

 

そうじゃなく…

 

不確定要素とストーリー性、そして確かな奥行。

 

数字評価じゃ測れない世界が確かにあるんだってこと。

私にそれを体感させてくれたのが推しちゃんだった~ってお話です。

 

リンダリンダ的な写真には写らない美しさ~の話ともちゃいますよ。そういう要素も不確定要素の中に含まれるのかもしれないけれど、見えるわけないから写らない美学とは違う、視覚できる美しさの話です。

 

ま、私にとってのファンタジーが水無瀬さんだった~という言い方も出来ますけどね。

つまり、妖精は居るんですよ。 相対的に絶対。

 

うむ。

 

かーなり抽象的にまとめちゃったけど、伝わるかしらね、コレ。

 

例えば、この「妖精を知った」感覚を、視覚的に再現出来たなら、それはひとつの革命かもしれない。色んな映画がトライして、「フィクション」のレッテルを剥がせないまま、ただの名作に留まっている。

 

少なくとも「はい!今日はですね…」から始まるコンテンツに、そんな奇跡は写し出せまい。。

 

取り払うべき「線」を見誤った時代。。それが今。

 

 

さておき、、(もう終わりにしたかったんだけど前半で軽く触れちゃったから例の話も。。)

ちょうど前回、ワンのピース…そのものじゃなく、まあその周辺の話をしたところで、早速炎上してたので笑っちゃいましてね。。

まぁ、もう揚げ足の取り方よ…って話なんですが。。

 

セクハラって言葉もだいぶ広義になりましたね!って話です。 アレがアウトなんだったら、ボキたちオタクは全員アウトなんじゃないかしら…。

私なんかもう…ね。。水無瀬さんサイドから、いつお叱りが来てもおかしくないレベルで勝手なこと言ってきちゃってますからね。。

 

お叱りが来たら秒で消しますから!  何卒! 

 

てゆか、、アレはなんなんでしょうね。。本人が噛み付いて~って話ならまだ解るけれど、もし当人同士が既に同じ話題で盛り上がったりした後だったりしたならば…アーティスト側もいい迷惑でしょうに。

 

まぁ、あの作者さんはお調子者で、危ういなー…って話は前からしてたんで、ちょっとは怒られても良いんだろうけど、「もう読みません」は流石に雑草。勝手にしなはれ、と。

 

さて、余談の本題。  

 

前回、考察ってなんやねん!にかこつけて、超テキトーな妄想を添えていた私、、口にした以上、ちょっと見とくかー……と、いくつか有名な考察動画を見漁ってみたのですよ。最近のやつだけですけどね。

テキトーとは言いつつ、考察脳じゃなく創作脳で勝手なこと言っていたわけで、まぁ被りはしますまい……と、軽く考えていたのですが……ちょうど数日後に似たような説が上がっててびっくらしたしだいです。。

たまたまガチ系のチュバさんが、コラボウィーク的な事をやっていて、そのゲストに来ていた都市伝説のガチさん(つまり作品の考察勢ではない人?)。。が、神々の時代はもっと前に別であったやろ? で、あり、まぁ、仏ちゃんのジェラシー的なところや、古代兵器ってあくまでも「そう呼ばれた」だけでしょ?ってあたりで私の妄言と主軸が被っとる話をしておりましてん。

 

ただ、、まあ、その配信より前に書いた(たぶん上げたのもだけど、、)記事なんで、パクリじゃないよ? と、だけ……w

なんかねー……記事で書くことなくてテキトーにコピペしてきやがったな~って思われるのだけは心外だったりするのです。

閉鎖的な雑記だからこそ、どこにでもある話はしますまい、と言う変なプライドがあるような、ないような。。

まぁ、被んの嫌いっていう厨房イズムだと思います。

一応、妄言の補佐的な話をしておくと……

もっかいひっくり返るってとこに意味があるので、仏ちゃまがやっちまったのは800年前ではなく神々の時代の方だと思うのですよ。

あと、神殺しの話はしましたが……神なんで、完全に消滅はしていない、と思っています。

具体的に書く前に飽きちゃったんで中略してぶっ飛ばしましたが、私流のシナリオは脳内完結してますので。。

 

まぁ、気がのったら後でもうちょい追撃します。(しない)

 

そんなことより、気になったのは主力級と思われる考察勢の中に、小中時代の友人……うん、たぶん友人だったヤツと声がそっくりだったこと。まぁ誰とは言いませんが、南の海の飴ちゃんたちの男の方みたいなチャンネル名の人です。。もう、声やらイントネーションやらため方のくせまでそっくりで、意図しない声の完全一致って有りうるのか??という新しい議題を私に置いてきやがりましてん。

ただまぁ、このチャンネル……日本語がどうにも下手っぴだったので、中学時点で私より成績良かったはずの彼とは思えないのですよ。。

まぁ国語単科で見たら、私は学内でも頭一つ抜けていたらしいので成績も私の方が良かったんですが、、だとして!  ってやつです。

このチャンネル、ボケなら良いのですが、、仮説の上に仮説を立てて「証明」と言い換えていたり……と、なかなか逞しいスタイルを用いており、「きっとそうに違いない」を「これが答えだ」と言ってしまうという、、わりとマナー違反な切込みをしております。というか……言い方悪いんですが、あまりに「さかしくにゃい!」な、、と。

顔出して叩かれたり鼻で笑われたり~ってとこまでをキャラクターとして売ってるなら分かるんですけどね。。

どこか芸能系のゴシップブログに似た、ツッコめない人間が鵜呑みにしてしまいそうな危うさが悪寒に変わるTheメディア!な感じがしてあまり好かんかったのです。(関連を流し聞きしてたので、何本か聞いたんですが……纏めが纏まってなくて((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル)

日本語……では無いのですが、やたらと多用するオマージュという言葉も引っかかってイライラするんですよ。

あの作品は前後リンクが意図的に多用されていて、〇〇編は███編のスケールアップ! みたいな見解はよく見ますし、それは紛れもない事実なんですが、、同作者……ましてや同作中のストーリー展開を「オマージュ」って、、何を言っとんねん……と。オマージュって状態を指す言葉ちゃうぞ?? 広義では名詞的にも使えるけれど、元来は動詞的な利用が主であり、作者→別の作者っていうリスペクトの構図があって初めて成り立つ言葉なので、ぜーったいおかしい……。

たまにモチベーションという言葉の用法で迷子になる人がいるのは分からんでもないし、今となっては私もどこまでセーフか解らん!って思ってますが、、オマージュをこれ以上広義で使うのはムリじゃね??と。

 

そもそもそれ、やっぱ「考察」じゃねーよ、と。(振り出しに戻る)

 

もちろん、考察の末の予想もあるので考察要素が無いとは言わないのですよ。。でもほとんどが、ただの読解なんですよね…。

彼らの使う「この考察は~」が指す先にあるのは「予想」か「妄想」。その手前に考察をしているだけだぞ?と、ずーっと思っているし。もっと言うなら、発見や気付きの段階を「考察」って言ってる奴までいるから手に負えないのですよ。。

まぁでも「考察」は……たぶん現代語としてねじ曲がって定着し、広義では~……と、予想屋を含む単語に認定されていくのだろうな……というのは、もうだいぶ前から気配のあった話なので、飲み込むのが吉でしょう。考え、察していること自体は間違ってませんからね。

 

ただ「オマージュ」を飲み込むのは無理だなぁ……。

 

よくよく聞いてると、「考察者です」って名乗ってる方々の8割は「オマージュ」って表現を使っているようで…その半分以上が意味をゴッチャにして使っている模様…。。嘘やろ?と。。それぞれに何十万とか何百万とか見てる人がいて、誰も気になんないのかしら……。

証明になってねーよ。とか、オマージュじゃねーよってツッコんだ形跡が無いんだよなー……。「なぞる」とか「似てる」って意味で使っちゃってるのかなぁ……。

 

もう、オヂタン怖い!

 

あ、はい。揚げ足とりです。。ただね、、ずーっと足が上がりっぱなんで、そういうプレイなのかと。。(⟵終始全力で失礼)

先に述べたように、必要以上に断言してしまう性質も相まって、滑稽というより軽くホラーなんですよね。

 

まぁ、YouTube上の日本語は全体的にヤバめ…ですよね。対談なんかで言葉が怪しくなるのは仕方ないし分かるのだけれど、コレ読みあげだろ?っていう収録物が原稿から崩れていたり、編集の漢字間違いが酷かったり……。

生配信や若い子がスマホでポチポチ作ってそうな動画なら、まだ可愛げも伸び代もありますが……いい歳こいてスタッフ抱え込んでるようなプレイヤーチャンネルで誤字や崩壊した日本語を見ると、メディアの末期やなぁ……とも思います。

あー……だからジャンク扱いでナメられるんだぞー……?と……。

 

そう考えると、やっぱりテレビってしっかり作られてたのよね。。まず、「間違えない」。例え間違えても、正せる人間をフィルター役に置いている。言葉をねじまげる時は、意図的に仕掛けていて「(間違ってんの知ってますよー)」という土台の上で、造語を踊らせて食い付きを待っている。

YouTube上にも検閲のしっかりしたチームや日本語に長けた人は勿論います。ただ、やっぱりニーズの高い能力じゃない。。

局って組織図は、やっぱり安定感あったんですね。。 だからこそ、動けなくなったんだけどね…

 

ただまぁだからこそ、YouTube…基い、チュバってるコンテンツ群は、後に残るメディアじゃねーのよなー……とか思う反面、流れるプールに潜みたい願望もあったり無かったり。

ちゅばりたいとは思わないものの、そこにある楽しさは齧っときたいよなー、と。

これ、前に言ったかもですが、やるならカメラの人(声の人)専任(むろん編集はやるけど)が良いけれど、出役候補の数名とは上手く話が纏まらなかったのですよ……(=_=)ゞ

そもそもそれはサブ的にやってみたいことで、企画を引っさげて~というよりは、試しにやってみてー……って程度だっのでジャブで食いつき悪いから引っ込めちゃったんですよね。

無言カメラマンはやったことあるけど、だいぶ昔であまり技術もないし(素材撮りは勝手にやるので差し込みには困らないタイプ)、裏回し…というよりガヤ回しが得意なだけで、トークスキルが高いわけでもないので。。

 

うむ、、言っててもなんか向いてそうではあるんだけどなー(=_=)無茶振りしたり展開指示出しするタイプのカメラマン。主役がいないとやることないですから、致し方ないです。

まぁ、一旦置いときましょう。

 

しないつもりだった妄想話に戻しとこうかな。。

前回雑過ぎた故のいくつかの補足~なんですが。

ジョイなんちゃらってのは呼び名から察しなさいよってところがちょっとありまして……

普通に考えたら「遊び人」なんですよ。なーんか、超共感する響き。水無瀬さん界隈で、私は「ただの遊び人ですから」と言っていた頃が懐かしいです。

……が、たぶん、この場合「遊び相手」だと思うのですよ。

いえね、モデルが存在した~っていうのは知っとります。ただ、モデルの彼そのもの~としちゃうには、役割が大きすぎます。

モデルになってるのは神の系譜……というか、踊り子の神の系類……。メシア扱いするには少々逸話不足ですし、何よりそこにハマるべき人種ってのがちゃんといます。ならば、文字通りの遊び人的な存在なのか?と言われれば、、違うもっとシンプルに「ハッピー野郎」の権化……ただし、神に気に入られた~ってところが無難な気がするのです。。

ま、広義の「遊び人」って枠で見るのが一番好みですけどね。

 

イムちゃま ニカちゃま の昔話~ってことを前提に、少年少女の恋にもならない無邪気なすれ違い。。ってな展開も素敵です。(⟵これは、流石に作者のフィールドから離れすぎますが……)

 

まぁイムちゃまは2代目で、その母ちゃまとニカちゃまの物語……って可能性はちょこっと残るのですが、私ならニカちゃまと仏ちゃまの親子関係みたいな展開は書きたくない! ので、脳内に浮かんで~からの、不採用!

まぁ、、あの作品は血縁よりも「絆」!なので、そういう意味では有りうるんですけどね。。ほっとかれちゃった娘ちゃん……は、私の人魚姫的な空回りと近しいですから。

はてさて、どちらにしても彼女は孤独だったのですよ。

んで~……殺した、と言っても神ちゃまだから死んでないってのは文字通りで、実質眠っている……神様として機能していない状態~ってのが、「世界の夜明け」に繋がるお話を書くためには必要でしょ? っていう……。

その動機は占有するためだった! ってのが、私なりの物語。

だから~、いるでしょ。あの城に。ただ今は息をしていないってだけで、さ。

 

あの界隈は謎と違和感だらけ~ではあるんですが、違和感としてくっきり残っているもののひとつに、水の底に届く太陽光……陽樹イ・ブ(以下イブたん)があります。太陽の力を持つ樹があるとして、その養分は太陽そのもの……ではなく、太陽神の生命やろ?  と。だからあのてっぺんの城界隈に眠っている~ってのはかなり手堅いと思ってるんですよね。

彼の完全な不在で色々凍ってるのであれば……恐らく樹も仕事してないと思うのです。んで、お魚さんの国が800年前にはあそこら辺にあったことが確定しているのであれば、既にそういう状態だった~ってことなので、やっぱりそれ以前にスリープしちまってたはずなのですよ。

ただし仏ちゃまにとっても「思ってたんとちゃう」形になってしまった……からこその、「凍結」なんだろうな~、とも思っているわけですよ。

 

それを呼び覚まそうとしていたのがジョイなんちゃら~であり、仏ちゃまだったりするんじゃないかしら?

 

つまりは、ジョイなんちゃらと仏ちゃまは対立ではなく同じ目的を持つ立場にあったのだけれど、方針の違いで互いに失敗した。。

協力はしていなかっただろうから、互いにからまわった結果。。ってところでしょうか。

 

まぁそもそも、裏テーマというか作風というか、、アイデアを得るためではなく、詰め込むためのオマージュをしている作品なので、メタよりベタな展開が増えるのは当たり前だと思うのですよ。

 

無論「他作品」へのオマージュの話です!(←うるせー)

 

これは、最後の最後のオチ以外には作者のプライドはそこまで危険に晒されない最強システムなんですよね。元ネタが面白いんだから~ってことで、作者に問われるのはそのピースの繋ぎ方。。

まさにワンたるピース……。

たぶんね……そこを履き違えてるひとが多いのですよ。

頭が良いから上手に散りばめているヒントなんじゃなくて、いっちゃん最初の動機が寄せ集めて繋ぎ合わせることにあったんでしょうからね。

でなければ、タイトルはこうじゃなかったはずなんですよ。。

そこのメタ部分を拾うのであれば、何がしかのエンタメが「宝」にあたるって読みもまぁ分からなくはない。。

漫画がご褒美っていう説や、フィルムがご褒美って説もあるけれど……漫画の原点は一枚絵です。崩し絵に諷刺をきかせた大衆向けの一コマ絵こそが、コミックの原点でした。近代で言うと針すなおさんの政治欄の絵なんかが正にその系譜です。フィルムもしかり。写真があっての活動写真です。

 

ピースがあるから繋がるんです。ならば、そこにあるのは繋がった何かではなく、抜け落ちたピースでしょう。

 

良いですか? 抜け落ちた百年の歴史、その虫食い部分を真実で埋めたいと考えるのは、歴史家や革命家です。

創作で埋めたいと考えるのがクリエイターです。

余白への書き込みがなければ、歴史小説と教科書に差はないんです。

ニカちゃまの物語は大昔のことだったとして、この作品が向き合い続けているのは、空白以降の世界。てことは、ジョイなんちゃらの作った嘘の歴史……もとい、創作された歴史が用意されてたんじゃないかしら? と、そんな風に思うのです。

 

そもそもね、歴史が空白ってのは随分と不用意なんですよ。。普通は「塗り替えられている」はずなんです。都合の悪い歴史を消した……だけっすか!?

 

いえね、現実世界にだって語られない真実、握りつぶされた事実、そんなもんは腐るほどあるわけですが、空白になることなんざ滅多にないのですよ。

だって、空白のままだと想像されちゃうから。。

 

まぁよーするに、「創造」する力を持ってない奴らが残されちゃったから、空白になったのでしょう、というお話です。

だから、無くなったのは必ずしも世界政府に不都合な歴史ばっかじゃねーぞ? と。

 

んじゃあ、宝ってなにさ?

 

まぁ「生き物」なら最高に面白いんですが…流石にそれはないかなぁ、、と。 

それはそれでやりつくされた感がありますからね。

最奥で眠り続ける「何か」が目覚める~ってのが主軸の話は、むかしっからあります。(ま、むかしっからあるから面白いと分かるわけですが)

 

だから、「鍵」パターンも無い気がします。

 

鍵は生きてた方が面白いからです。

これもだいぶ使い古されちゃってますが、鍵を用いるシナリオに更に条件付けやストーリー性を持たせる最適解が、「生きている鍵」なんですよね。

まぁ、この作品の場合生きている鍵に相当する存在が既に何パターンか描かれているので、それらと並び立つ存在が宝ってのもしっくり来ませんしね。

 

あと「温泉」…は、最後の島にあっても良いけど、、宝としては論外でしょ。。 

 

 

私の理想は「地図」か「食べログ」ですね。

まず、この世界には島の地図はあるけれど、世界地図ってのが無い…無いし存在し得ないってのがひとつ。それは、ほんの数名しか行ったことがない島があったりするから。そいつらの誰かが書かない限り世界地図は成立しない。  ついでに、彼らは「方角」で航海していないので、島に行っただけじゃ地図はかけないわけですよ。

 

月から見て地図書いた~  とかも出来ちゃう世界観なので、世界地図はワンチャン。  ただ弱い。 のと、ナミの夢とぶつかる。。

もう一つの難点は、おそらくその時と地形が違う。

 

それこそが真実!  ってのと「宝」はちょっと分けて考えたいし、分けてあって欲しい。

 

歴史は財産とも言うけどね…。ココに全ての答が揃ってマースってのは、ご褒美というよりは強制終了な感じがして嫌なんですよね。

 

ってことで、食べログ!

 

勿論、お店の評価とかじゃなく。。名所やら名産がバチくそ書き込まれた地図。  であれば、地形が変わってても有用じゃんね?  と。

歴史ではなく、世界を知れる~がメインでついでに歴史も知れちゃうもんってなるとそんなとこかなー、と。

 

どこでもドアとか、通り抜けフープクラスのチートアイテムがありなら、それでも良いんですけどね。

 

食べログ~とは言ったものの、名称としては「宝の地図」がベターなんじゃないかなぁ、と思います。

 

さんざん旅してきて、最後にもうワンランク上のガイドブック渡されて「旅を続けますか(ドラクエ二択)」、を、ご褒美と取るかしてやられたと取るか…。

そんなとこかな~と。 

 

でね、

この「もう一周」=ご褒美  っていう価値観は「最後の一コマ」問題にも関わってくると思うんですよ。

 

「最後の一コマは決めている」ってのもね…二択だと思うんです。超カッコつけるか、超描き込むか。

んで、未だかつて無いっていうのなら後者でしょ、と。

 

ここでまさかのキングなコングの「西野」理論。  基本、コスパが悪いことが出来ないクリエイターたちは、手数の多い仕事を真似出来ない。が発動するんじゃないかなー、と。

 

「今まで出てきた全キャラクターを見開き一枚にぶち込む」

 

宝の正体ではなく、エンディングが「大宴会」なんだと思うのです。

 

私、一応文学やメディアを学びに大学言ってたわけですが…読解は「時代背景」も読めと言われましてん。

 

かの作者。私より年上ではありますが、同世代。。ならば、絵の力で人に衝撃的な娯楽を与えたアレを知っているし体感しているはず。

 

「ウォーリーを探せ」

 

あれ、私らが子供の頃に新作を出していたので、ちょい上の世代はブームど真ん中のはずなんです。

 

たかだか数ページの「絵」に、何時間も熱中できてしまう驚異的娯楽。今じゃちょいちょいあるエンタメの形ですが、、シリーズ後半の「やり込み要素」もすんげー楽しいのです。

知ってますでしょうか、、あのシリーズ。最後のページで次のお題が出されてもう一周する仕組みなんですよ。

 

もう一周する楽しみを作るのが「ご褒美」。

 

もしコレが答えなら、起源はウォーリーです。

絵本なら、数年かければ作れる。マンガでそれをやるなら半生を要する。。   ってことなんじゃないかしら?

 

その可能性から見た時に非常に興味深いのが、この作品の圧倒的なモブキャラの多さと、やり過ぎなくらいのキャラデザなんです。

捨てキャラとも言えるようなポジで、何故か名前とバックボーンを持ってるキャラが異常に多いんです。

 

コイツらを全員描いたページがあったなら、双方向にもう一度遊べますよね。

 

覚えてるマイナーキャラを絵の中から見つけるのも然り、逆に絵の中にいるけどどうにも思い出せないキャラを探して本編をもう一周。。するとそいつにはちゃっかりバックボーンがあって、もう一回絵を見直すと実はちょこっと進展が分かる絵に…っつっても、本編から戻ってきたら「アレ…あいつこの辺に居なかったっけ?」でまた探すところから…。

 

愛着ある人ほど永久に遊べる1枚絵。

これが、作者から読者へのご褒美なら…。

「宝」が一生使っても回り切れないガイドブックってのもありじゃね?  って考え方です。

 

この作者さんの人物は絶対自身で描く。モブさえアシスタントに描かせない…ってスタンスからもキャラ絵への拘りや意味付けを見て取れます。

最後のページに全員集合~は、ヒントもあって割と予想されてるんですが…その意味するところの解釈が違う。

「探せ!」

「この絵の全て(のキャラ)を作品に置いてきた!」

 

って、いかにもあの作者が言いそう…基い、言いたくてウズウズしてそうじゃないですか。

 

たぶんね、こういうことだと思うんですよ、エンタメって。

色々詰め込みすぎて大作になってはいるけれど、風呂敷広げれば広げた分だけ、最後の一コマに遊びが増える。

それだけを目指して始まったプロジェクトなんじゃないかなぁ、と私には思えるんです。

 

これは、読者と言うより書き手の嗅覚ですけどね。

キャラクターへの愛着とシナリオへの固執がアンバランスなんですよね、この作品。

シナリオは、たぶん「いい話」「面白い話」ならなんでもいい!っていう潔さ…ある種の雑さを感じるんですよ。良くも悪くも柔軟性があり、必然に見せかけているものほどハリボテだったりします。

ただ、、キャラクターは雑に作っているように見せて(異常なキャラデザとかねw)めちゃくちゃ拘り持って描き分けてるんですよね。

そこを既につつかれて、「この人、あの時の子どもですよね?」みたいなことをSBSでちょこちょこ明かしてはいますが…、そもそもが最後の一コマに何百人単位のキャラクターを描き込む予定で動き出したプロジェクトだったとしたら、その種蒔の一角を摘まれたに過ぎない話。。なんなら、種蒔の根付けにご協力ありがとうございましたってな話です。

 

だからね、、実はシナリオはシンプルな方がいい作りなのに、キャラクターを育てる過程で膨らんだ物語が大作化しちゃってる感じもするんですよね。。

仕掛けはね、かなり面白くなる準備が出来てるんですが…作品として面白く終われるのかはちょっと怪しい気がします。

 

さかしい文芸はプロットが邪魔になることがあるのよね。。って話と同義です。

ミステリーと推理小説の曖昧な線引きにわざわざくっきりと境界線引くならココ!  みたいな話です。

 

しかけと感情の相乗効果こそが「作品」ではあるものの、しかけの効いた感動(感激に限らず)って、結局は感動ポルノだったりするのですよ。

掌で転がされることを良しとできるか……という、作者VS読者の構図が成り立つものだったりするんです。

 

そんな世界に私はあまり興味が無いのです。

というか、そういう世界には私のニーズもないのです。

雰囲気だけで中身なんかなくて、中身の答え合わせをしないで手探るからこそ奥行きが生まれた… そんなかつての邦画であれば空気だけでも演じられる私のようなプレイヤーの強みもあったのです。

私は別に怒れないわけでも悲しめないわけでもないけれど、その辺すっ飛ばしてぬぺっと芝居するのが好きだったのですが……そーゆー枠、ほとんどないからなぁ。

アングラな舞台にはありますけどね。

説明の多い芝居は好きじゃないんですよ。ほんとは、ね。

 

以前、石黒賢さんに聞かれたことがあるんです。「何に怯えてるんだ?」と。

無論、私…ではなく、役が…です。

説明出来なくもなかったんですが、「何ででしょうね…この瞬間(シーン)急に怖くなるんです」と感覚的に答えました。。映像作品だったので、NG出して何回かやり直す羽目になったのですが…。

私は芝居のああいうとこが好きだったりしたんですよね。。

設定を読み、役をイメージし、寄せる。 シンプルにこなしていたつもりの先に、予想外の感覚がある。

段取り自体はさして複雑ではなく「もう少し落ち着いた感じで」という注文も凄く分かりやすかった…のに、役に入ってそのくだりに突入すると、ちゃんと頭が真っ白になる…という感覚。

その前の部分の方が細かいさじ加減と嘘が必要な「動き」の段取りなのでよっぽどミスりそうなのだが、そこはしれっと出来る。

ただ、「瞬間」の先のパニックレベルが予想より大きくてコントロール出来なかった。。

でも、芝居ってそこの模索なんだよなー…。

 

と、大層な役でもないくせに首を傾げたあの日の私。

 

やるべきだったことの答えはしごく簡単で、役に引きずられている部分を抜く。か、役の中で辻褄を合わせる条件を付け足す。

コレでサクッと出来るパターンなのですが、、何回かまんまでチャレンジしてNG出したんですよね。。

いやぁ、、でも不思議な感触だったなぁ。「なんだろこの感じ」に意識が全振りされちゃってて(勿論、コントロールしようとはしてる)、NG出してるって危機感もなく「もう一回」をやってました。。(←大問題)

 

大問題がオオゴトにならなくて良かった~w

 

なんかそん時、帰り方を聞いてきたモデルさんと一緒に帰ったんだが(←コレも問題なんだけどね…)、お芝居は段取り優先で教わってるって言ってたな~。。

まぁ、寮制のタレント事務所って言ってたし(←なおのこと異性の共演者と行動とかアウトやけどな…)、独自のタレント育成論があるんだと思いますが。。

 

日本ってスクリプターをあまり付けないから、役者の段取り負担がけっこう大きいんですよね。。国民性もあって、わりとみんな「きちんと」やること前提だったりするんだけど、負荷がけが増えるとその分入りが浅くなるのは必然的な話でして。。

私自身も別に段取りが苦手~って訳じゃないんですけど、、たまにつまらなくなっちゃうんですよね。。

 

そういうシステマチックな進化は要らねーんだよ!と言いたい気もするけど、その感覚が老害プレイヤーなんでしょうから。。

 

言いません。

 

これもまた、、時代か~……

 

 

と、まあ、長々と「時代」を憂いてみました~、とさ。

 

まぁ、だから「やり方」を変えるんですけど、ね。

 

 

 

時代と言えばさ、お絵描きAIがねー。もー、パなっ!よな~。

 

お絵描きおじさんとしても、ますます居場所なくなっちまいますやん。

まぁ、こういう時代を逆手に取れるのが真の「遊び人」だろ?  っていう「振り」だと思ってますけどね。。

 

プレイヤーにもクリエイターにもなり切れないなら、ちゃんと「遊び人」たれやー!ってね。

 

 

さかしきも  究る先は  遊びなれ

 

 

では✋