♥水無瀬ゆき♥さん描きたいマン(修行中)

ド素人による、水無瀬ゆきさんファンアート修行の軌跡 

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(但し、水無瀬ゆきさんご本人及びユキトモさんは、その限りではありません!)

セブンインワン

このタイミングであげる絵なのか?とも思いましたが.......そもそも着手したのはリリイベの終わり頃ですし、むしろこのタイミングで貼るべきやろ、と。

 

きっかけは、、

水無瀬さんの絵を描いている方々の間で、他のメンバーさんも描いてみたーい!というやりとりをお見かけした所からはじまりまして.......

 

いや、ワシはゆきしゃんしか描かん!というか、ゆきしゃんしか描けん!!

 

なーんて、一度は思ったのですが、、

 

いや待て.......描けん、で、描かないのはただの逃げだぞ.......。

出来ることをやらないのは意志だけど、出来ないのとやらないのは、違う。やらないと出来ないは違うぞ!!(←という、わりと面倒な性格でして.......)

 

さすれば描いてみなければ.......と、なりましてん。

 

驚きの発表というべきなのか、悲しい発表というべきなのか、言い方はいまいち解りませんが、タイミングを見てもたぶん急遽前倒しになったんじゃないかなぁ.......と感じてはいます。

ツアーは、7人でするものと思っていましたから.......。

 

しかし、迷ったままステージに立たない、という言葉には頷ける面もありましてん。

今の私なら、迷っても己を説得して立つ‼ を正解としますが、それが10代であれば、ステージに立つ意味も立たない意味も大きく違うと思いますから。

 

 

 

そんなわけで、発表とか気にせずどーん。


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夢みるアドレセンス (さん)でいっ!!

初めて他のメンバーさんも描いてみました。

うーっすら色分けする辺りに自信のなさを見て取れますね。

描いてみて感じたことは、、

まず、私、水無瀬さんは勿論なんですが、やっぱり夢アドさん、みなさん好きなんだなぁ、と。

相変わらず「見ながら描く」は無理なので(つまり、これも「出来ない」ままじゃあかんということになりますね.......←気付いた)、みなさん「似せる」というよりは、雰囲気で描いているのですが、わりと迷いなく描けました。(もとい、、描き終えました.......)

それぞれにはっきりとした印象があって、そこに向かって描いているので、特徴を強調する似顔絵テイストにはなっていない(といいなぁ)と思います。

 

夢トモさんやメンバーさんに「解る」ってなってもらえるレベルになってたら良いなぁ.......

あわよくば、それ以外の人が見ても「あ、夢アドじゃん」って、伝わると良いなぁ.......

最低限、、「おまえふざけんなよ!!」って思われなきゃ良いなぁ.......(←現実はココ)

 

さて。

 

「印象」について、添えておきたいことがあるのです。それは、荻野さんと水無瀬さんについて。

まず、リーダーである荻野さんなんですが、格別表情力豊かな荻野さんの「らしさ」を描くにあたって、ニコ顔を選んだのは、けして楽をしたかったからではないのです。

もともと、荻野さんをきっかけに夢アドさんを知った私は、わりと他の配信などでも荻野さんをよく見てきていた方だと思うのですが、、それ故に他のメンバーさんよりも、私の中での「ぽい」の幅は広いのかもしれないようでして。。

その中でのあえてのセレクトなのです。荻野さんのキャッチコピー(というか8文字)でもあるくりくりお目目が、閉じきらないギリギリの満面の笑み!!というのは、わりと現場特有と言いますか、メンバーさんや夢トモさんに向けた表情でお見かけすることが多いんだよなぁ~、と思っていて、その感じを絵に描けたらなぁ~という思いで描きました。(描けているかは別問題.......)

眼自体は、爆笑していてもそうなることありますが、ニッコリ~は、わりと現場特有な気がするんですよね。

メンバーさんや夢トモさんに向けられる、嬉しそうな優しい笑顔が描きたかった~のですが、正直力不足でした。

まぁ力量の話をしだしたら、他のメンバーさんも「こういう感じ」を表現しきれていないので、荻野さんに限った話じゃないんですけどね。。

 

してしてそして、我が推し水無瀬さんについてなんですが、、逆に一番迷いました。私の中での水無瀬さんはコレだ!!っていう印象が無い!!のではなく、ありすぎまして.......。

わりとはっちゃけ気味の絵の中で、我が推し様が一番おすましっぽくなっている理由.......描いて行った結果自ずとこうなったので、理由というよりは後からの理解なのですが。。

 

ひとつは、純粋な気楽さです。

「水無瀬さんっぽさは、こう!!」と力まなくてもいいくらいには、たぶん私は水無瀬さんばかり描いているんだと思います。大きな表情に頼らなくても、水無瀬さんぽく描ける気がした.......というのがひとつ。(ぜんぜんぽくないんですけど?って言われちゃったら、ただ泣くしかない事案ですが、、)

 

もうひとつは、、

知ってからの時間なんか関係なくなるレベルで、私の中には色んな水無瀬さんが溢れているからです。

 

思えば私、水無瀬さんから受信した色んな感覚や側面を描きたい!!と言って、「いろんな水無瀬さん」を描いてきたわけでして、、そこに「ここがこうだから水無瀬さん!!」なんていうルールはそもそも無いのですよ。

 

荻野さんの例に沿うのであれば、メンバーさんと一緒の時の水無瀬さんは割り増しではっちゃけている印象もあります。

メンバーさんに限らずですが、ソロ写真より誰かと写っている写真の方が、ふざけていたり遊んでいたり~という率は高く、そのイメージも勿論あるのです。

 

じゃあ、なんでこういう絵がしっくりきたのか。。

流石にこの疑問には下絵を描いている時点で気付いていたのですが、答えはわりとシンプルでした。

 

やっぱり私は「水無瀬さん」を描いているんだなぁ、ということです。

 

ふむ。。

解りにくいので、解説をば。

私はちょこちょこ、水無瀬さんからはみ出した水無瀬さんも描きます。

こういうイメージ~の延長線上にある。。かもしれないレベルの絵も描いています。。というか、わりとそういう絵が多い気がします。○○な水無瀬さんの中には、括弧書きで「有り得ませんけどね?」とつくものもあるわけです。

水無瀬さんからしてみたら、えらく出張したイメージ絵と言えるかもしれません。

対して、今回は最初からえらくしっくり来ていたのです。

あるべき場所にある安心感とで言いますか、蛇足のいらない充実感といいますか。

 

「どう描こう」か迷った結果「どう」を捨てたということです。

 

そして気付けば、メンバーさんといる時の水無瀬さんを~ではなく、夢みるアドレセンスの水無瀬ゆきさんを描いていたのです。

 

まだ語弊がありそうで、言い表し方がとても難しいんですが.......

メンバーさんひとりひとりを描きつつ、「夢アドさん」を描いていて、尚且つ、夢アドさんを描きつつ「水無瀬さん」を描いている感覚.......うーん、説明が難しい。

 

誤解覚悟でまとめると、どこまで行っても私にとっての主役は水無瀬さんで、あるべき形で描いた水無瀬さんは、わりとニュートラルだった、と言ったところでしょうか。

 

とは言え、この感覚ばかりが正解とは限りませんし、今回のひとつの発見!といったお話です。

 

発見と言えば、描いていて感じたことのひとつに、夢アドさんって、メンバーさん同士で似た空気感もかなりあるんだよなぁ、というのがありました。

 

私のお絵描きのお話なので、顔のパーツとかのお話ではないです。(確かにメンバーさん同士で、実はわりと似たパーツなんですよねぇ、という話題も以前ありましたが、そういうお話じゃないです)

志田さんを描いていて荻野さんっぽさを感じたり、京佳さんを描いていて水無瀬さんっぽさを感じたりという、わりとボヤーっとした世界の話です。

「雰囲気」を追いかけて描く私にとっては、とても不思議な感覚でした。

7人それぞれ違うベクトルにキャラが立っていて、個性豊かな印象だったので、驚きもありました。

バースデーイベントの締めくくりに、熱い思いを語ってくれた水無瀬さん。その水無瀬さんがステージを下り際にファンに向けた笑顔から、一瞬荻野さんの空気感を感じたのも、それに近しいものなのかも知れません。

 

夢アドさんは、メンバーさん全員が個々の活動をしながらも、グループとしての活動を大切にしていると思っているのですが、その中でも、荻野さんと水無瀬さんは、そういう側面がすごく強くはっきり見えるんですよね。時に自分のことより夢アドのこと!!ってなるくらい、夢アド愛が深くて熱い!そんなところが、ファンに手を振ってステージを去る姿の中で重なって見えたのかもしれません。

 

そうして考えてみると、夢アドさんらしさって全員が持ってるんですよね。

当たり前っちゃ当たり前の話なんですが、、当たり前ではない気がするのです。

7人揃わなくても違和感なくライブが出来ちゃうのはそういう空気感故なのかもしれないな、と。

誰かがいなくて大丈夫なんてことは決してないんですが、いないと感じさせない空気が作れると言いますか.......間違っても「欠けている」とは感じさせないんですよね。

勿論、そこにはメンバーさんそれぞれの意識や努力も多分にあるわけですが、それ以上のなにか.......「いないけどいる感」みたいなものがありまして。

まーた、言い回しが難しいなぁ。。

「穴を埋める」という言い方が当てはまらない.......と言ったら良いのでしょうか。それぞれの空気感を重ね合わせた所に生まれる夢アド感が、何人でも夢アドだけど7人だからこそ夢アド!!という滅茶苦茶矛盾するおかしな感覚を、おかしくもなんともない説得力に変えちゃうのかもなぁ、、なんてことをしみじみ思ったのでした。

 

これは知人の歌詞の引用ですが、、

「共にいる意味とは空間的な要素に依存しない」

と言いますか、、正にそんな感じなのです。

(ステージ上にいなくても)共にいるから、いないなんてことにはならないし、ひとりひとりで見た時も、やっぱり夢アドさんとしてそこにいるから、別のメンバーさんの空気感を感じてもおかしくはない、、どころかわりと納得しちゃう‼のかもしれません。

とはいえ私は、夢アドのリーダーである荻野さんのいないライブと、最愛の推しである水無瀬さんのいないライブは今までに経験がありませんので、特に水無瀬さんのいないライブでも「いないよ~」って感じないでいられるものなのかは解りかねますが.......

 

それを差っ引いて考えても、たぶんこれって凄いことなんだよな~と思うのです。

 

実は私、これと真逆の感覚を知っていまして.......

「フルハウス」という超有名海外ドラマの続編「フラーハウス」におけるミシェルの存在がそれなんですよね。

まぁ、裏話なんかもいっぱい見かけるので、オルセン姉妹が~、という視点が交じるとよりそう感じるのですが、、

出演者サイドは話題に出したりして、「いないんだけどいる」感を作ろうとしているんですが、むしろ真逆になっていて「いる"てい"だけどいない」んですよ。

「フラーハウス」にミシェルはいません。たぶん、誰が見ても。

共演者からの愛着や愛情は見えます。ファンもたいていミシェルは好きです。だから、誰も排除しようとなんかしていないし、「いてくれたら」や「いるつもり」は本気のはずなんですが、どこにもミシェルを感じないのです。

まぁ、「いるてい」の表現の失敗という言い方も出来ますが.......おそらく、表現で埋まるレベルの話ではないんだと思います。

あのドラマは、表現の枠からはみ出していますから.......

まさに、ある種のアイドルグループのパフォーマンス.......なんですよね、あれ。

プライベートでも仲が良いことで有名で、出演を断ったとはいえ絶縁的なお話ではないことも再三アピールされていますので、たぶん情報的な問題でもないと思うのです。

 

つまり.......

いないけどいる感って、口で言うほど単純でも当たり前でもないことなんじゃないかな.......なーんてことを、なんとか口で言えないものか四苦八苦している私、ナウです。

まぁ、絵にも描けない美しさを描きたいマンですから、言葉に出来ないこともまた然りなのですよ。

 

要約すると、やっぱ夢アドだな!!というお話。←シンプル

 

はてさて、絵の話に戻りませう。

(いつにもまして長い記事だけど、まだ終われませんので←)

 

今回、わりと描き手としても遊んでおりまして.......例えばそれは、手であります。

実はこれ、先述の「重なる空気感」ありきの遊び心なのです。

いわゆる、ダ・ヴィンチの最後の晩餐問題(そんな言い方は無い)でして、「ん?これ、誰の手?」となるように描いています。(このためだけに、わりと空気感のひとつの肝である肌の色や爪の色をあえて描き分けませんでした)

答えのハッキリしている手と、答えが複数有り得る手を描いています。

この仕掛け絵、私自身が見ていてとても楽しいのですが、「もしこの手が○○さんの手だとしたら、この手は.......」と順を追って行く中で、絵の中の距離感と言いますか、ストーリー性が変動する気がするのです。

 

そして、私の中では、、思いつける全てのパターンが正解、です。

 

ちょっと無理して伸ばした手だっていい。

そんなイタズラもあっていい絵なのです。

なんなら、構図上不可能な動きだって「それは画力の問題で実は.......」と、押し切ってくれていい。

むしろ、そうして欲しいくらいなのです。

 

そもそも、集合写真なんかで「あれ、これ誰の手だ?」ってなる密度って、仲の良さというか、一体感のひとつの形だと思うのですよ。

識別要素を踏み越えた一体感の中に生まれる「誰かの手」。(心霊写真のお話ではありません。)

 

言い方を変えれば、描いているのは「夢アドさんの手」なのです。

例えばピースに関して言えば、(ピースしている手は3つ描かれていますが...)7人全員にピースをしている可能性があると思っています。

そして、7人全員がその可能性を潜ることで、みんながピースをしている様な空気になる。。んじゃないかなぁ.......と、思っています。(やや実験的な試みです)

まぁ、実は見切れたスタッフさんの手だってあるかもしれないし、ピースだけ写りこんじゃった夢トモさんがいたかもしれないですが.......(これは後付けですw)

 

更に言うのであれば、、

私はこの絵に13の手(腕)を描いているのですが、つまりは誰かの片手は確実に絵の中に無いのです。

こういう絵だからこそ、見えていない手にもまたストーリー性が滲むと言いますか、広く可能性を残せると言いますか。

 

「きっとこう!!」は、いくらあってもかまわない。

そういう絵が描きたかったのです。

 

そういう可能性の幅も全部ひっくるめた一体感を描きたかったのです。

 

画力ないのにようやるわ.......くらいに思って頂ければ本望です。

 

 

ここでひとつ、もう一度確認です。

私がこの絵を描いたのは、京佳さんの卒業発表より前です。故に、7人いて当たり前のような感覚で描いているし、その感覚のままブログを書いております。

そして、その感覚の延長線上にあたる感覚に、少し触れておきます。

 

おそらくは、最初で最後になる7人の夢アドさんの絵。

 

発表を知った今、拙い絵でも描いてて良かったなぁ、と素直に思いました。

勿論、「え~っ‼」とは思いますし思いましたが、、この絵と向き合ったお陰で、わりと前向きに捕えられる気がしているのです。

 

私は3人~5人(正確には、5→4→3→4)の時の夢アドさんも見てましたし、3人の時に唇噛み締めて踏ん張っていた京佳さんも(画面越しにですが)見ていますから、、

今の夢アドさんがあるのは、7人全員の功績だと思ってますし、それはこれから6人になっても変わらないんだろうなぁ、と。

山田さんの時みたいに「いなくなった」感じにはならないんだろうな、と思っているのです。

というか、私個人は、小林さんの休業と山田さんの一件、そして小林さんの復活を見て、夢アドさん熱い‼ ってなった人間なので、山田さんがいて...いなくなったストーリーもまた夢アドさんの一部~として受け取っています。(←当時は戻ってこいよ派でしたし)

その期間に刮目していたから、新メンバー募集やオーディションに目を止めたわけですし、オーディションに向かう水無瀬さんの姿を(これまたネット経由ですが....... )見ていたから、今の私があるわけですし、、、私の中では全部繋がっているのです。(岡さんに関しては、あまりリアタイを知らないのでピンと来ないですけどね...)

 

私が現場に足を運ぶようになったのは、7人になってからなので、正直なところ山田さんの気配を感じたことはありません.......話題に上がる(というかネタに上がる)ことがあっても、先述のミシェル同様、時空的な繋がりが切れてしまっている気がしますので。

しかし逆に、6人の夢アドさんは、たぶんきっと、京佳さんのいなくなった夢アドさんではなく、京佳さんのいた夢アドさんとして映るんだろうなぁ、と感じています。

こればっかりは、現時点では解りませんけどね。

 

しかして、、

おそらくこれから6人体制でのツアー準備をするんだろうな.......と思うと、大変だなぁ.......

というか、、この時期にまとまったお休みが生まれたのには、そういう事情もあったんだろうか?

などという、余計な推測も頭を過ぎりますが.......

 

くれぐれも水無瀬さんが体調崩しませんように。。

もとい、、プロの体質になった水無瀬さんが、ツアー後にぶっ倒れるようなことになりませんように。。

 

これ、切実な願いであります。

 

今の私にとって、主役はどうしたって水無瀬さんですから、水無瀬さんの大好きな居場所が、今後良い方向に転じてくれることを希うばかりであります。

 

夢アドさん(京佳さんも含みます)の未来に幸あれ。